第18話 給養係の話 2
「ひとつ、聞きたいんだけどね」
ライトは足を組み、膝に頬杖をついた仕草でアンリに尋ねた。
あれ、とソフィアは夢から醒めたように目を瞬かせる。
「なんでしょう」
アンリが不安そうに。
だが、返ってきた反応に、少し安堵したように、応じた。
「その、女の顔を、伍長は見たんじゃないのかい?」
ライトは黒曜石に似た瞳を、まっすぐにアンリに向ける。ソフィアはライトの端正な顔を眺めながら、「この人は東洋系が混じっているのかしら」と感じた。そんな、象牙色の肌をした青年だ。
「見た」
アンリは重々しく答える。ぼんやりと違うことを考えていたからだろう。ソフィアはその予想外の言葉に驚く。
「え……? 見たんですか?」
さっき、『女は俯いて俺の首を、ぎゅうっと……』と、言っていなかったか。
「最初は、俯いてて顔なんて分からなかったんだ」
アンリはソフィアに言い、そして自分で俯いて見せた。彼のつむじがソフィアの目に入る。
「こんな感じで……。髪も長いから、顔全体が覆われて、全くわからなかったんだけどさ」
アンリはソフィアにつむじを見せたまま、言葉を続ける。
「ちょっとずつ、上がるんだよ」
「上がる? なにが」
ソフィアは戸惑って尋ねる。
「顔」
ぼそり、とアンリが声を返した。
「顔?」
「俺を絞める女の顔がさ。毎晩、ちょっとずつ上がるんだ。こうやって……」
アンリはゆっくりと。徐々に。だが、確実にソフィアに向かって首を上げて行く。
「最初は額が見えて……。次に眉が見えて……。目が見えたときに、俺……」
アンリは蒼白な顔で下唇を噛む。
「ど……、どうしたんですか」
ソフィアは、掠れた声で尋ねた。思わずマグカップに手を伸ばしたが、そこにはもう何もない。ぎしり、と音が立ったから反射的に顔を向けると、ライトが人形を抱えて立ち上がったところだった。
「知り合いだった?」
ライトは机に近づきながら首を傾げた。
「ええ、そうです」
アンリは膝の上に肘を置き、頭を覆う。
「別れた、恋人でした」
アンリの言葉は、ライトがソフィアのマグカップにお湯を注ぐ音に紛れる。
「カノジョさん?」
茶葉の瓶を軽く持ち上げてみせるライトに、ソフィアは首を横に振る。言葉はアンリに向け、ソフィアは問うた。
「ええ。この艦に乗る前に別れた恋人だ。ナターシャ」
のろのろと顔を起こしたアンリは、自分の左目の下を指さして見せた。
「ここに、泣きぼくろがあるんだよ。銀色の髪で、菫色の瞳をした女で……」
アンリはそう言うと、机の側に立ったままのライトを見上げる。
「生き霊ってあるんでしょう? 念が強すぎると魂だけの姿になって、襲ってくるとか……」
「別れ話でこじれたの?」
ライトは苦い笑みを口端に乗せて尋ねる。
アンリは言葉に詰まった。その姿を見て、ソフィアは呆れたように小さく息を吐く。それを聞きとがめたのか、アンリは彼女をきつく睨んだ。
「いろいろ口うるさい女だったんだ。最初は従順だったのに、だんだん俺に対して『どこに行くの』とか『私も一緒に連れて行って』とか……」
ソフィアは軽く肩を竦め、ライトを見遣る。
ライトも肩を竦め返した。アンリが付き合った女性は、束縛系だったらしい。それが別れの原因か。
「で……。別れたんだが……。まさか、ついてくるなんて……」
アンリは盛大に息を吐く。片手で目を覆い、緩く首を横に振った。
「この
ライトはそんな彼に言葉をかける。アンリはそっと目を上げた。ライトはそんな彼と視線を合わせると、ふわりと微笑んでみせた。
「設計の段階から、そりゃあ、いろいろあったんだよ。不思議なことがね」
「不思議なこと?」
尋ねたのはソフィアだ。ライトは片手で人形を抱えたまま、彼女に向かって頷いて見せた。
「設計に携わる人間が次々と不幸に見舞われたり、病気になる事で有名だったんだよ」
ライトは自由な方の手で指を折ってみせる。
「体調不良、事故、行方不明。そうそう、精神的退行なんてのもあったな」
次々と数え上げていくから、ソフィアは唖然とする。
「とにかく、事業として認可され、責任者も予算もあるのに、設計がまずできない。チームとして組んでいるんだけど、櫛の歯が抜けるように人がいなくなって……。で、補充して、また欠員が出て、を繰り返して」
ライトは愉快そうに笑う。
「そこで結局、一度チームを解体して、もう一度組み直して……。で、祈祷やお祓いをすることになったんだ。その時に携わったのが、僕のじいちゃんでね」
ライトはソフィアに片目を瞑って見せた。では、彼の〝じいちゃん〟という人も、呪術師のようなことをしているのだろうか。
「そこからは、なんとかかんとか事業が進み始めて……。で。実際に艦が作られたんだけど……」
ライトは、ふふ、と笑う。
「とにかく、電子機器の不良が多くてね。ほら、これ。航宙母艦でしょう? それなのに、電子機器がいかれるとか、ありえないでしょう」
何が可笑しいのか分からないソフィアは、ぽかん、と彼を見上げる。
「いや、だって」
ライトは何故この面白さが伝わらないのか、とでも言いたげに、ソフィアに向かって片腕を広げてみせる。
「湖に浮かべるボートならいいよ。モーターも機械も何もないような舟ならね。電子機器に不具合が出ても、誰も命の危険がない。最悪、船底に穴が空いたとしても、皆で湖に飛び込めば良い。救命胴着を着てね。だけど、だよ。こんな」
ライトは天井を見上げて見せた。
「機械の化け物が制御しているようなものに、電子機器のトラブルが出たら、一発アウトだ。艦になにかあったらどうする? 救命胴着を着て宇宙に出たら、即死だろうね」
あはは、とライトは一人笑い、ソフィアとアンリは困惑を通り越して、うすら寒さを覚えて彼を見た。
「なんだかよく分からないけど、電子回路と幽鬼って相性が良いんだよね。人間も電子を帯びているからその名残なのかな」
不思議そうにライトがソフィアに声をかけるが、彼女は強ばった笑みを浮かべて「さぁ」と応じた。
「白童丸は、巨費を投じて作成された最新式の航宙母艦のはずが……。電子機器のトラブル続きで、試運転でもまともに稼働しない。あやうく無用の長物になるばかりか」
ライトは口角の両端を上げて見せた。
「無理を押して宇宙に出た途端、大事故勃発で乗員全員死亡、なんてことさえあり得る状況になったんだよね。当初」
ソフィアはちらりと、アンリを見る。アンリは彼女の視線を受け、慌てて首を横に振った。「そんな話は知らない」。そういいたげな表情だ。
「そこで、
ライトはつまらなそうに息を吐き、ソフィアとアンリを交互に見比べる。
「何か異変が起れば、持衰が災いを受けるように。艦を無事に目的地まで到着させるように」
「白童丸にだけ、持衰がいるのはそのせいなの……?」
ソフィアはようやくそれだけを尋ねる。ライトは穏やかに頷いた。
「そうだ。この艦はなんだか不思議だ。いろんなものを呼び寄せる」
そう言い、目を細めて微笑んだ。
「話はすべて聞いたよ。どうぞ、今後も気を付けて」
アンリにむかってライトは、わずかに会釈をしてみせる。
「……ありがとう」
安堵したように溜めた息を吐くと、アンリは椅子から立ち上がった。戸惑うソフィアの前で、ライトに向かって手を差し出す。
「助かりましたよ。宜しくお願いします」
どうやら、これで自分の首を絞める女の幽霊から逃れられると思っているらしい。
ソフィアは慌てた。
そうだ。アンリは同室の男から、『持衰にすべて話してこい』としか言われていないのだ。これで怪異から解放される。そう信じ切った顔をしている。
「いや、あの……」
違うのよ。そう言ってやろうとしたが。
「お疲れ様」
そう言って、ライトも握手に応じるから呆気にとられた。
――― え……。あの、台詞は……?
『災いは引き受けた。あとはこちらで』
そう、言うのではないのか。
そうして、災いは去るのではないのか。
持衰が。
災いを、喰らうのではないのか。
「それでは、お先に」
アンリは、ぽかんと口を開いているソフィアにそう言うと、さっさと部屋を出て行ってしまった。
「部屋まで送ろうか?」
ライトにそう促され、ソフィアは初めて我に返る。
「……いいえ、結構です」
それだけを口にして、電動車いすのジョイスティックに指をかけた。なんだか変だ。違和感がある。
「失礼しました」
ソフィアは表情硬く言い置くと、持衰たちがいる営倉を後にした。
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