第19話 自室での話 1
■■■■
ソフィアはシャワーチェアーに座り、「はぁ」と知らず深い息をこぼす。下ろした金の髪を両手でかき回し、さっきあったことを振り返った。
演習中、A706号室の倉庫をのぞきに行ったこと。
そこで、現実の怪異に遭遇したこと。
持衰が怪異を〝喰った〟こと。
――― ……実際に、幽霊っているんだ……。
自室に戻ると、ついそのことばかりを考えてしまう。
あれほど、会うことを熱望していたのに、実際に会ってみると恐怖で身が竦んだ。
――― ……まあ、会いたかった霊では、なかったのだけど。
そう。
ソフィアが熱望していたのは、サイモン・キーンの霊だ。
彼が起こした交通事故により、ソフィアは両脚を失った。
ライトには思わず、『伝えて!』と叫んでしまったが。
もし、サイモン・キーンに出会えるのなら。
伝えて欲しいことがある。
ソフィアは膝頭に両拳を乗せたまま、脚を見る。
膝頭から下がない、自分の両脚。
『ごめん、やっぱり俺、無理だわ。だって、君が努力をしないんだもの』
人生で初めて出来た恋人のケインが、別れ際にそう言った。ソフィアの両脚を見て、絞り出すような声で。
なんとなく別れるような予感はしていたから、深く傷つきはしなかった。
『脚を失おうが、腕を失おうが……。君が生きていてくれてよかった』
事故直後は、人目を憚らず、号泣してソフィアを抱きしめたケイン。
意識を取り戻したソフィアが初めて目にしたのは、そんな彼の姿だった。
愛している、よかった。生きていてくれた。大丈夫だ。俺がいるよ。
入院中。そして、リハビリ訓練中、繰り返しケインはソフィアにそう言い続けた。看護師や理学療法士たちに、幾度からかわれたことか。
だが、ソフィアには、その言葉が自分に向けられているのではなく、ケイン自身に向けられているような気がした。
一生懸命、恋人としてふるまおうとしているように見えたのだ。
そんなケインに、ソフィアは別れを切り出したこともある。
明らかに、以前とは生活スタイルが変わったからだ。
彼に不便や迷惑をかけるかもしれない。ケインからは言い出しにくいだろうと、ソフィアは別離を申し出たのだが。
『俺は大丈夫』
ケインは胸を張り、気丈な笑みを浮かべた。
ソフィアとしては、その言葉を信じるしかなかったし、実際、退院して大学に復帰した際は、恋人同士として過ごせていると思っていた。
しかし、次第に彼は、電動車いすを利用することに対して、嫌悪感を見せるようになった。
『どうして、
筋電義肢とは、筋肉を動かそうとするときに、わずかに放つ表面筋電位を利用して動かす、義手義足の一種だ。
四肢欠損があったとしても、うまく利用できれば、車いすなど使用せず、二足歩行での生活が可能になる。
だが、万人に有効なわけではない。
ソフィアの場合、いろんなチップを試したが、表面筋電位を装具がなかなか拾えなかった。もともと微弱電波だ。体質によるものもある。
筋電義肢ではなく、義足を使っての訓練も受けてみたが、動きがどうしてもぎこちない上に、結局は、杖か車いすと併用する生活となるため、次第にリハビリへの意欲が減退した。
ソフィア自身は、電動車いすでの生活に不便さは感じない。
逆に、義足や義手だと、障害があるとわかってもらえず、混雑のある場面や速足での移動を求められる際、周囲から白い目で見られる場合もあった。
『誰もがうまく使いこなせるわけじゃない。君らしい生活をすればいい』
義足が使いこなせず、落ち込んだ時、作業療法士も理学療法士も、ソフィアの生活の質を向上させることを提案したが、ケインは違った。
『怠けてるからだ。あの選手を見てみなよ。義足なのに、健常者と同じぐらいの速さで、走るじゃないか。あのモデルなんて、堂々と義足でランウェイを歩いてるよ? 他の人ができるのに、どうして君だけができないんだい? 君はきっと、努力が足りないんだよ』
ケインは、ソフィアに〝努力〟を求めた。
ソフィアも、自分には確かに辛抱や努力が足りないのだろう、と筋肉トレーニングや、義足での歩行運動により一層、心を入れ替えて取り組んでみたりしたのだが、結局、ケインはソフィアのもとを去った。
まぁ、仕方ない。
そんなものだろう。
あっさり思い切れる自分は、どこか人として変になってしまったのだろうか、と不安になったことは覚えている。
あの日。
サイモン・キーンが運転する車に衝突して。
自分の両脚が切断された事故に遭って。
自分は脚だけではなく、人間らしい感情の一部も切れてなくなったのではないだろうか。
根気とか、情熱とか、陽気さとか、相手の気持ちに寄り添う優しさとか。
ソフィアは、サイモン・キーンが四年前に引き起こした事故によって、それら一切を失った気がした。
だからかもしれない。
未来に対して何も願わない。人が自分から離れていっても何も感じない。努力不足だと言われても、そうだ、と首肯する。両親が自分の脚を見て泣いても共感が得られない。
あの事故から。
ソフィアはなんだか、ふわふわと思考の視点が定まらない気がする。
だから。
だから、言いたいのだ。
事故を起こした張本人。
サイモン・キーンに。
『私は貴方のことをなんとも思っていないから。だから、貴方も成仏してちょうだい』
と。
『サイモン・キーンは今でも、あなたのことを悔やんで私の枕元に立つの』
さめざめと泣きながら、サイモン・キーンの妻はソフィアに訴える。
まるで、自分が彼のことを許していないと言いたげに。
だから、いつまで経っても、サイモンが幽霊となって自分の元に現れるのだ、と恨みがましげな目つきで。
本当に、自分はなんとも思っていないのだ。
お互い、不幸な事故だった。だから、なにも気にしなくていいのだ。
そう、伝えたいのに。
ソフィアは、サイモンの姿を見ることができない。声を聞くこともかなわない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます