第17話 給養係の話 1

「はいはい」


 ライトは軽やかに返事をすると、戸惑うソフィアを余所に、扉に向かう。腕に人形を抱えたまま、彼は電子ロックを外し、来客者を確認もせずに扉を開いた。


「あの……」

 空気の排出音の後に、狭い室内に響いたのは、控えめな男の声だ。


「こちらに、持衰じさいという霊能力者がいる、と伺ったんですが……」


 男はライトと、それから室内をのぞき込んでソフィアを交互に見る。その榛色の瞳は、どちらが持衰だろうと探っているようだ。不意にソフィアは可笑しくなる。


 どちらでもないのだ。

 持衰は、ライトでも、ソフィアでもない。


 あの人形だというのに。


「お話を伺いましょう。さあ」


 ソフィアの気持ちが伝わったのか。ライトも可笑しそうにくすりと笑うと、半身になって男を招き入れた。


「どうぞ、座って」


 ライトはそう言うと、自分がさっきまで座っていた椅子を男に譲る。自分は、というと質素なベッドの方に、どさりと座った。折りたたみ式なのか、寝台部分には壁から伸びるアームが見える。


「あの……」


 それでも、男は戸惑っている。ソフィアは男を見上げた。


 軍隊用のTシャツに、こちらも軍規定のカーゴパンツを穿いた男だった。

 年はソフィアより少し上だろうか。ライトと同じぐらいに見える。


 二〇代半ば。後半には見えなかった。栗色の髪を短く切りそろえた男で、他の軍人たちのようにがっしりとした体躯を持っていた。


 ソフィアの側に立ったからだろう。

 彼女の視界には、彼の手首から指までが目に入った。


 どうしても、車いす生活をしていると、視界が低い。


 他の人間は二足歩行に対し、ソフィアたちはいすに座った状態での視界になるからだ。だいたい一三〇センチほどの視界で、顔を上げずに視界に入るものといえば、『手』だった。


 この男の爪は随分と丁寧に切られている。それに、おや、とソフィアは目を見開いた。


 腕時計を、していない。

 ソフィアの勝手な印象だが、軍人というのは割と腕時計をしている人間が多い。電子通信器具を持ち込めないこともあるのだろう。時間を知ろうと思えば、昔ながらの『時計を腕に巻く』というスタイルが一番いいらしい。


 そして、彼らは時間に忠実に生活をする。ソフィアの知るほとんどの軍人が、腕時計をしていた。


「そちらは、ソフィア・ハートさん。売店の軍属」

 ライトの言葉に、ソフィアは慌てて顔を上げて彼を見上げた。


「ソフィア・ハートです」


 右手を差し出すと、男は少しほっとしたようにうなずいて手を握り返してくれる。また、ソフィアは目を瞬かせた。


 軍人とはあまり思えない、ほっそりとして柔らかい掌だ。中尉のように後方支援を担当している人なのだろうか。


「僕はライトだ。君の話を聞こうと思うが……」

 ライトは腕に人形を抱えたまま、首を右に傾げてみせる。


「ところで君の名前は?」

 そこで男は慌てて敬礼をした。


「給養係のアンリ・ミラー・モンターニュ伍長です」


 踵を揃えてそう言われ、ソフィアは納得した。

 なるほど、軍人は軍人でも、調理をする人だ。で、あれば腕時計をしていなかったり、爪を短く切っていることも腑に落ちる。


「今は演習中で、誰も食堂には来ないものですから……。こんな時間ですが、よかったですか?」

 不安そうにアンリが尋ねる。ライトは頷いた。


「どうぞ、伍長」


 ライトは右手を伸ばして椅子を示す。軍人でも何でもないのに、まるで上官のようだ、とソフィアは苦笑を浮かべる。アンリはそれでも、しゃちほこばって椅子に座って見せた。


「どのような怪奇体験に出会いました?」


 ライトは人形をそっとベッドに座らせる。


 人形は一度右に傾ぎ、ライトに凭れるようにして動きを止めた。だらり、と腕は伸ばしているが、足と腰はしっかりとしている。後ろに倒れるような気配はなかった。


「首を、絞められたんです」

 アンリは膝の上で拳を軽く握り、ライトに訴えた。


「寝ていたら、首を……」


 ソフィアは彼の首を見遣り、そして息をのむ。

 ちょうど鎖骨のあたりだ。赤黒く丸い跡がふたつ、並んでいる。そこから斜め上に伸びる羽のような跡は、指ではないのか。


「寝ている時?」


 ライトの声に弾かれるようにソフィアは彼を見た。ライトは足を組み、目を細めてアンリの首元を見ている。


「そうです」

 アンリは勢い込んで頷いた。


「なんか、息苦しいな、と思って……。寝返りを打とうと思ったんです」


 アンリは身を乗り出すようにしてそう言い、「こう」と上半身を左にひねる。成り行き上、ソフィアと目があった。


 ソフィアは彼の顔を見、それから励ますように頷く。というのも、その顔にはありありと恐怖の色が滲んでいたからだ。


「仰向けに寝てたんですね」

 なんとなく力づけたくて、言葉を添えた。アンリが頷く。


「はい。二段ベッドの、俺は下なんです」

「二人部屋なんですか?」


 ソフィアは首を傾げた。ソフィアは車いすのこともあり、二人部屋をひとりで使っている。


「いえ、四人部屋です」

「四人!」


 目を丸くした。ひょっとして自分は特別対応なのだろうか、とソフィアはいまさらながらに狼狽える。


「壁際に二段ベッドがふたつあって……。俺は北側の二段ベッドを使っています。あの……」

 アンリはそろり、とライトを見た。


「部屋の状況も説明しましょうか? 配置とか」

「いえ結構」


 ライトは苦笑して首を横に振る。アンリは曖昧に頷き、それから再び口を開いた。


「いつも通り、寝てたんです。だいたい、俺、仰向けに寝ることが多くて……。で、すごい息苦しい、というか……。痛かったんですよ、正直に言うと」


 アンリはそう言うと、自分の喉元をそっと撫でる。あの、首を絞められたような跡を、彼の指が覆う。


「もがいたんだと思います。なにかが首に触れてるから、逃れようと思って。だけど」


 一旦そこで口を閉じるアンリを、ソフィアは見つめる。視線に気づいたのか、アンリはソフィアに双眸を向けた。


「動かなかったんだ。体が。こう……」


 アンリは首から手を解くと、体側に沿って腕を垂らす。その状態で、首だけ左右に振って見せた。どうやら、首から上は動くが、体は縛られたように動かない。そう表現したいらしい。


「それで……?」

 おそるおそる、促す。アンリは頷くと、舌で唇を湿らせた。


「目を、開けたんだ。流石にここまで来たら目が覚めてさ。『え。どうなってんの』と思って……」


 うんうん、とソフィアは無言で頷く。アンリも釣られたように二回、首を縦に振った。


「そしたら。乗ってるんだよ」

「乗る?」


 なにが。


 ソフィアは目を瞬かせる。そんな彼女を無表情でとらえ、アンリは答えた。


「女が」


 アンリの端的な言葉に、ソフィアはしばらく思考を巡らす。


 首が苦しくて、もがいた。

 ところが体が動かない。


 目を開けた。


 そしたら。

 乗っていた。


 女が。


「体の上に、ってことですか」


 想像して身震いした。自分で自分をかき抱いて尋ねると、アンリは表情のない顔で大きく首肯した。


「俺の腹の上にまたがってさ。こう。自分の両足で俺の胴体を締め付けて……。女は俺の胸の上に両肘を乗せて……。俯いたまま、俺の首を、ぎゅう、っと絞めてるんだ」


 ひえ、とソフィアは背を反らせた。拍子に車いすの背もたれにどん、とぶつかる。くすり、と笑い声が聞こえて視線だけ移動させると、ライトが口元を緩く握った拳で隠して笑っていた。


「そ、それで」

 ソフィアは途端に腹ただしさがわき起こり、背を伸ばす。


 人を見て笑うとは、なんと失礼な男か。

 だいたい、同席させたのはあの男ではないか。別に自分は進んで聞きたいわけではない。それに、合いの手もいれないとは、聞き手として失格のような気がしてきた。


 このライトという男。傾聴の姿勢が全く出来ていない。


「ぎゅうぎゅうに俺の首を絞めてくるもんだから、大声で喚いて飛び起きたんだ」

「あ。声が出たんですか」


 ソフィアは目を丸くしてアンリを見た。アンリもきょとん、と「声は出たよ」とか言っている。こういう流れでは、「声も出ない」のかとおもったが、違うらしい。


「で。夢かと思ったら、首にほら……」


 アンリは自分の首元を指さし、口をへの字に曲げて見せた。ソフィアは眉をひそめて嘆息する。


「それが何日も続いて……。流石に、同室のやつが『持衰にすべて話してこい』って」

 経緯を話し終えたアンリは、肩を落としてライトを見る。


「お願いします。助けて下さい。まともに眠れませんし……」


 眉をハの字に下げて訴えるアンリの視線をたどり、ソフィアもライトを見た。


『災いは引き受けた。あとはこちらで』


 ふと、そんな言葉が蘇る。


 そうだ。

 持衰は怪異を語り終わった人間に、そう告げると聞いた。そしてそれ以降、怪異がその人物に襲いかかることがない、ということも。

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