第16話 営倉での話 3
「あのさ」
もうあと数口で飲み終わるだろうか、というときに、ライトに声をかけられた。
「はい」
ソフィアは素直に返事をする。ちらりと飲み口を見た。少し口紅がついたから、そっと指で拭う。
「どうしてあそこにいたの?」
ライトは椅子の背に深く上半身を預ける。ぎしり、と簡易な椅子は軋み、左腕に抱えた人形はしなだれるようにライトの鎖骨当たりに顔半分を埋めた。
「え……?」
「倉庫A705の前」
ライトは口の端に穏やかな笑みを浮かべたままソフィアを見ている。
「別にお店の商品を置いてるわけじゃないでしょう? 演習中に上官から何か命じられたわけでもないだろうし……」
探るような目つきに、ソフィアは内心慌てた。
何か、勘ぐられているのだろうか。
「いや、あの……。ちょっと、その……。忘れ物……?」
「どんな?」
ソフィアは口から出任せを言ったが、追求されてあっさり口ごもった。その様子が可笑しかったのか、ライトはひとしきり笑うと、ソフィアに向き直る。
「別に君が敵国のスパイでもなんでもいいんだけどね、僕は。ただ、不思議で」
そう言ってライトが指さしたのは、薔薇ジャムの壺だ。
「倉庫A705の怪異に出会った下士官が、お礼にとセイラに持ってきた商品だ。君、この商品をラッピングするときに、彼から怪異を聞いたんだろう?」
言われて、ソフィアはおずおずと頷く。両手でマグカップを包み、紅色の液体に視線を落とした。もう、ほんの数口しか残りはない。
「怖い、って思わなかったの? どうしてわざわざ近づいたんだ?」
ライトの声は咎めるでも、非難する調子でもなかった。
だからソフィアは上目遣いに彼を窺う。やはり彼は怒っているというより、不思議そうな顔でソフィアを見ていた。
「そこに行けば〝幽霊〟が見えるのかな、と思って」
ソフィアはゆっくりと口を開く。ライトは小さく二度まばたきをし、それから上半身を起こした。左腕に人形を抱えたまま、右肘は机に載せる。身を乗り出し、ソフィアを見やった。
「君、幽霊を、見たかったの?」
問われてソフィアはうなずいた。
「本当にいるのか。そして自分も見ることができるのか。それを試したかった」
そこまで言うと、ソフィアの心にも踏ん切りがついたのだろう。一気に残りの紅茶を呷ると、ライトを真正面からとらえる。
「地上にいるときもやってみたんです。降霊術とか、霊視とか。だけど」
ソフィアは顔をしかめる。
落とした視界には、マグカップの底がうつった。渋みが多かったのか、薄紅色の残滓がそこにはある。
「どれも嘘っぽくて……」
そう続けると、ライトが噴きだした。
「ごめん、ごめん。それで?」
口早に謝り、促してくる。その黒い瞳は興味津々に輝いていた。
「幽霊をよく見る、って場所にも行ってみたんですが、私には何も見えず……。夜に人気のないところをウロウロしていたものですから、逆に警官に職務質問されたり……」
今度は完全にライトは笑い出した。ソフィアはむっと、唇を尖らせる。
「だけど、見た、って人が多いってことは再現率が高いところではあるんでしょう。条件さえそろえば、きっと誰にでも〝見える〟んです。ただ、私が行ったときは、なんらかの環境が揃っていなかった。そう思っています」
「それで?」
ライトはくつくつと笑いながら、首を傾げて見せた。ソフィアは小さく咳払いをし、ぐい、と彼に顔を近づけた。
「艦内は、ある意味閉ざされた環境です。一定の温度、湿度、照明、人的配置。地上より、変化が少ない。ということは、ですよ?」
「幽霊の再現率が高い?」
ライトは右肘で頬杖をつき、彼女の言葉を先取りした。
ソフィアがうなずくのを見ると、ライトは視線を落として人形に顔を向ける。
まるで人形と「だって」「へぇ」と会話をしているようで、ソフィアは更に不機嫌になる。馬鹿にしている。そう感じた。
「でも、そうではないですか? 誰もが見える、のなら、私にだって見えるはず」
「どうしてそんなに幽霊を見たいの」
勢い込んでソフィアはそう言ったが、不意に切り替えされて動きを止める。
「いや、違うな。君は、誰の幽霊に会いたいの?」
闇より濃い黒の瞳に見つめられ、ソフィアは唇を震わせた。
「そんなに幽霊がみたいの」と言われたら、「はい」と答えたろう。「幽霊見て、どうするの」と聞かれたら、「その存在を確かめたかった」と言ったろう。
だが。
ライトは問うたのだ。
〝誰の〟幽霊に会いたいのか、と。
ソフィアはごくり、と空気を飲み込む。
「そんなこと、出来るんですか……?」
ソフィアは今まで、いろんな霊能力者と呼ばれる人に尋ねたのだ。
『特定の幽霊を呼び出せますか』と。
彼らは答えた。『呼び出せる』と。『誰が望みなのだ』と。
だから、ソフィアは言ったのだ。
『サイモン・キーンを』と。
『サイモン・キーンを呼び出して。伝えたいことがあるの』
だけど。
彼女らが呼び出すそのサイモン・キーンは、ソフィアが知るサイモン・キーンではなかった。
「呼び出して欲しいの?」
ライトは目を細めてソフィアを見遣る。いや。
違う。彼は、自分を見ていない。
ソフィアは彼の視線を追う。
辿る。なぞる。
そして。
彼が自分の肩口を見ていることに気づいた。
「……いるの?」
声が震えている。いや。ソフィアの体全体が小刻みに震えているのだ。だから、喉も、舌も、顎も。声も振動するのだ。
「どうだろうね」
ライトは曖昧に首を振ると、不意に頬杖をといて上半身を伸ばした。ソフィアは咄嗟にその彼の右腕にすがりつく。拍子に、いくつもの机の上の瓶が揺れた。倒れはしなかったが、幾何学的な音を立てて薔薇ジャムと金平糖の瓶がかち合う。
「お願い。彼に伝えて」
ソフィアはライトの右手首をとらえる。
ぎゅっと握った。喪服の艶やかな手触りは、だがすぐにじっとりと自分の汗で不快に湿る。
「私は怒ってないから、って。私は何も思っていない、って」
熱が籠もったソフィアの瞳を、ライトは正面から眺めた。手を握られ、顔を近く寄せられてもライトは抵抗しない。ただ、その瞳の奥をのぞき込む。
「お願い」
自分の顔をただ凝視するライトにソフィアは懇願したが。
彼が首肯する素振りを見せない。
ソフィアは逆に彼の瞳を見つめる。
ぬばたまの。深淵のような彼の黒い瞳を。
彼の思考を読もうとするように。彼がどうして返事をしないのか。それを探るように。
ソフィアは彼の瞳をみつめた。
だが。
「ソフィア」
柔和に微笑み、ぱちりとまばたきをされると。
もう、彼の思考をソフィアが辿ることはできなかった。
まるで紗のヴェールを下ろされたように、彼の考えが探れない。
「お客さんが来たみたいだ。君も同席するかい?」
不意にそんなことを言われて、ソフィアはぽかんと彼を見つめた。
そんな彼女の前で、ライトは立ち上がる。
同時に、来客を告げるチャイムが鳴った。
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