地上 その五の四
「いやあ、最初にあんたの格好見たときは、どうせ見かけ倒しだろうなんて思ったけど、なかなかやるねえ」
赤黒く日焼けした皺だらけの顔をさらにしわくちゃにして、第二海風丸の船長が塩辛声を張り上げる。
夜明けとともに強まった風がうねりを生み、甲板は激しく上下運動を繰り返しているが、声をかけられた男は広げた両足で巧みにバランスをとり微動だにしない。
男はふんと鼻息で応えながらもまんざらでもなさそうに白い前歯を少しだけ見せた。吹きすさぶ風に頭に巻いた赤いバンダナの結び目の先が小刻みにはためいている。
「俺のことはどうでもいいが、この風の中、時間内に次のポイントまで移動できるのか」
男は肩に担いだ太い電源ケーブルの束を揺すり上げ、船の進行方向の水平線に沸き立つ灰色の雲に眉をひそめた。
「こんなもん、どうってことないわ。見かけはボロだがエンジンも航行システムも最新式だ。冬の南極海だって突っ切れるさ」
「ならいいが、十分の遅刻でせっかくの移動が無駄になるからな。せいぜい無理して間に合わせてくれ」
「見た目もいかついが口も悪いねえ。まあ、まかしとけ。こっちも今回は商売抜きだわ。兄さんは部屋で寝て待ってな」
「そうさせてもらおう」
男は電源ケーブルを引きずり操舵室の脇に置くと、船底へ降りるドアを開き、体を折り曲げるようにして薄暗がりの中へと頭を突っ込んだ。
男に与えられているスペースは、その大柄な体を押し込めるだけで精一杯の小部屋だった。男が壁際に備え付けられた簡易ベッドに腰を下ろすと、尻の下敷きになったスプリングが一斉に甲高い悲鳴をあげ、続いて男が上半身を投げ出せば、ベッドを支える壁までもがたまらずギイとうめいた。
男――ロビンソンは、頭の後ろに腕を回し低い天井を見上げて、ふうと大きく息を吐いた。アストロラウンジでの会合のあと、もともと予定していた南半球での彗星ハンティングのために飛行機を乗り継ぎ、マレーシアからオーストラリア、ニュージーランドと移動している途中に〈もちづき〉へのメッセージ送信の動きを知り、オークランド港に停泊中だった第二海風丸に乗り込んだのだ。
元漁師だという第二海風丸の船長は、アメリカ軍払い下げの装甲船を改造し、気ままな世界旅行をしていると言っていたが、何やら怪しげな商売の気配もある。そもそも払い下げとは言え装甲船など買い取ることなど普通は考えない。だがロビンソンにとって、そんなことはどうでもよく、〈もちづき〉へのメッセージ送信の有志船団に参加するという船長の自慢話に、面白そうだからと乗船を依頼したのだった。
今、第二海風丸を含めた二十隻あまりの船団は、舳先をほぼ横一直線に並べ、波を蹴立て、次の送信ポイントを目指している。船団の旗艦からの情報によれば、現在の速度を維持するとして約五時間かかるらしい。そしてそれが最後の送信可能ポイントになるだろうということだった。
五時間はロビンソンには十分すぎる睡眠時間である。床から壁から天井から伝わるエンジンの振動は耳の奥がむず痒くなるほどであったが、ロビンソンは気にする風もなく、一つ大きなあくびをし、足元の毛布をたくし上げた。
りんと涼やかな音が響く。
反射的に身を起こしたロビンソンは、ベッドの下から小型のネット接続端末を抜き出した。十インチ足らずの画面には、少し青ざめたサトルの顔がすでに映し出されている。サトルにしてはめずらしくせっかちなコンタクトだった。
「ようサトル、顔色悪いぞ。また具合でも悪くなったか」
「お気遣いありがとう。体調は良好です。ところでロビンソンさんは今どこに?」
「変なオヤジの船の中だ。とにかく狭くてかなわん」
「そこの通信環境はどうですか」
「ん? 別に普通だぞ。こうして繋がってるのがその証拠だろう」
画面に映るサトルの表情が引き締まる。
「お願いがあります」
違う。いつものサトルとは違っている。まだ若い青年特有の少し遠慮を含んだ言い回しがない。端的でストレートな物言いなのだ。その分「お願いがあります」という短い言葉の中に込められた事の重大さ、決意の重さが伝わってくる。
「聞こう」
ロビンソンは依頼の内容を聞く前に承諾を決めていた。
「アストロラウンジに、先の会合のメンバーをもう一度集めて欲しいのです。そして僕をサポートしてください」
「〈もちづき〉がらみだな」
「はい。時間が迫っています。詳しいことはラウンジでお話しします」
「よし、まかせろ。ホストはまたパスカルでいいか?」
戸惑い、あるいは迷いといった類の感情が、サトルの顔に一瞬浮かんで、消えた。
「すいません、今回パスカルには別の作業があって、ホストは無理なのです」
「それも了解した。こっちでやろう。設定は前回の円卓会議のままでいくぞ」
「はい。よろしくお願いします」
小さな画面の中で、サトルが深々と頭を下げる。なぜかその姿がとても小さく寂しげに見えた。ロビンソンはあと一言何か声をかけたいと思いながらも結局気の利いた言葉を見つけられず、じゃあなとだけ言って回線を切った。
再び四方から耳障りなエンジンの振動音が迫ってきたことで、ロビンソンはいっとき、自分の居場所を失念していたことに気づいた。第二海風丸は今、風を切り波を乗り越え、全速力で南太平洋を北進中なのだ。
雄姿、という言葉が浮かぶ。体の隅々に気力が満ちてくる。
ロビンソンはベッドの上で大きな胡座をかき、抱え込んだ小型端末に再招集のメッセージ文を打ち込み始めた。
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