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 アルマという幼子にとって、世界とは自分が歩いていける範囲が全てであった。目に映る様々な事象に心を動かされ、曇りなき瞳を輝かせる毎日は、まだ片手で数えるほどでしかないアルマの人生にとって、紛れもなく宝物と呼べるものであった。


 自らが知らぬあらゆる事柄に興味を持っていたアルマは、月に一度村に逗留する商人と話をするのが大好きだった。世界を旅する商人の話は、アルマの足では到底辿り着くことの出来ぬ困難な場所であっても、物語という羽を持ってアルマの世界へと届けてくれる。


 アルマが物心の付いた頃より知っている商人の男は、自分の父親より少し若いようではあったが、アルマにとって第二の父といっても過言ではないほどに、幼いアルマに良くしてくれていた。その日も、商人が到着した事を聞いたアルマは、いつもと同じ様に旅の話を聞こうと、村で唯一旅人を迎え事の出来る村長の家へと、流行る気持ちを抑えながら足を運ぶ。


 だが、村長の家に居たのはアルマが見たことのない男であった。痩せ細った身体は枯れ木のようで、ギョロリとした目に、それを支える窪んだ眼窩は幼いアルマにとって物語に出てくる怪物を想起させる。息を呑んだ事を気取られぬようにアルマは男に声を掛ける。


「なんだ、何か用か?」

 男はつっけんどんな物言いであったが、アルマの聞いたことのある言葉だと分かって、すぐさま頭の中に浮かんでいた男へ持っていたやましさを隠すかのように言葉を発する。


「お外のお話……聞きたい」

「あん? なんだ、そんな事か。時間はあるからまぁいいけどよ……ん、ちょっと待て。お前その眼を見せてみろ」


「眼?」

 アルマは男の反応を受けて、自分の眼が褒められるものだと思っていた。父や母とも違い、兄妹とも違う色を持つアルマの黄金の瞳。村の人たちはアルマの美しい眼を見てはいつも奇麗だと褒めてくれていたし、顔馴染みの商人もアルマの眼を見るたびに感嘆のため息を漏らしていた。


 話を聞けば現在のルード帝国の皇帝もアルマと同じく黄金の瞳を持つという。だからアルマは、自分の眼が褒められるたびに自分が何か特別なものであるように思えて、同時に誇らしくもあった。だが、男の反応はいつもアルマが目にしていたものとは違った。男は口を震わせながら、アルマが思いもしない言葉を浴びせ掛ける。


「呪われた、黄金の瞳……」





 * * *





 その子供達は、変わったことがあったらすぐにイズールという男に連絡をする事になっていた。少し変わり者で気難しいところもあるが、イズールはきちんと働いたり、役に立った人間には身分など関係無しに分け隔てなく銅貨を与えてくれる。先程起こった奇妙な男の話を伝えれば、イズールがまた駄賃をくれるのではないかということで子供達の頭の中は一杯になっていた。


 そこは、一見普通の家と変わらぬ路地にある裏口。子供達は周囲の目など特に気にもせずに、手慣れた感じでノックを小さく五回繰り返す。少し経ってから木製で立て付けの悪い扉が歪な音を立てながら開いてゆく。扉から覗くのは、子供達がよく見知ったこの家の主人の鋭い目であった。

「イズール! 外に白い格好の変な男がいたよ!」

「イズール! アリーシのやつらに白い変な男が絡まれてた!」

「イズール! 白い変な男はイズールの店を探しているようだったよ!」

 次から次へと矢継ぎ早に言葉を放つ子供達。情報を伝え忘れて自分だけが銅貨を貰えないのではないのかという子供達の焦りは、断片的な情報を散りばめて男へと伝えてゆく。


 耳に入ってくる情報をただじっと聞いていた男は、目を瞑ると乱雑に並べられた話を整理してゆく。だが、微かに耳に入り込んだ物音に気づくと、イズールはその必要が無いことを悟った。


「ウェル、ジン、カムイ、……駄賃だ、持ってけ」

 噛み合わせの悪い扉が大きな音を鳴らしながらさらに開く。扉が解放された先にいたのは、濡れたような黒髪ととても低い声が特徴的なイズールという男であった。子供達は少し汚れた己の手を服の裾で慌てて拭くと目の前に差し出す。イズールの掌から一枚ずつ溢れ落ちてゆく銅貨は、子供達の掌中へとすっぽりと収まってゆく。子供達はイズールから受け取った銅貨の硬さを確かめるように大事に握りしめると、そそくさとその場を後にした。


 子供達が去った後に、やり取りの全てを影から見守っていた一人の男が、建物の影から姿を現す。


「……白の道衣、グアラドラの導師か。余りにも遅くて忘れ去られたのかと思っていたが」

「申し訳ない、イズール殿。グアラドラのサイ・ヒューレだ」

 イズールは己の目の前で頭を下げる白い道衣の男をまじまじと見つめながら、口を開く。

「……随分と素直だな」

「言葉を並べても、無意味だろう?」

「話が早くていい。ゲト! 最果ての地よりの客人だ、奥に案内をしろ。俺は準備が出来たら行く」

 イズールが声を張り上げると、サイの後ろに今まで感じていなかった気配が唐突に現れた。

「了解です。マスター」

 サイはその声にぎょっとして振り返る。先ほどまでは確実にいなかった存在。二重尾行という言葉がサイの脳裏に浮かぶ。


 イズールにゲトと呼ばれた三十代くらいの男は、何食わぬ顔でサイの横を通り過ぎると、手のひらで指し示すように扉の奥へとサイをいざなう。何処にでもいるような風体ではあるが、今のやり取りから見ても底の知れぬ力を隠し持っているのが分かった。


 サイはやれやれといった感じで溜息をつくと、覚悟を決めてイズールの店へと入ってゆくことにした。




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