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 サイがゲトに連れられてきた場所は、簡素な造りの無駄というものが極力省かれた部屋であった。主であるイズールの意向が反映されているのだろう。その部屋で唯一と言っていいほどに上等である皮張りの長椅子に座るようサイが促された時、部屋の戸が開かれる。


 入ってきたのは美しい身なりの妙齢の女性であった。おそらくは商店に仕えている下女と似たような立場であるのだろうが、身なりも整っていて、どこかの貴族の侍女と間違えられてもおかしくはない程にその所作は洗練されていた。


 下女は静かに歩いてサイの横につくと、小さく礼をしたのちに持ってきた飲み物をサイの前にある長机に置く。そのまま部屋の隅に移動しようとする下女を見て、サイは声を掛ける。

「ありがとう」

「……はい」

 少し驚いたような表情をした後、下女は部屋の端で真っすぐに立っているゲトの少し後方に待機する。


「導師殿は優しいのだな」

「いや、すまん。逆に気を使わせてしまったようだ。それよりもここは本当に奴隷商なのか? 中身だけをみれば貴族の屋敷と変わらぬようだが」

 ゲトは表情を変えずにサイを見る。何を考えているのかはうかがい知れぬが、その口元が少し緩んだように見えた。

「マスターが変わり者なだけだ。だが導師殿は見る目がある。あまり無駄口を叩くと怒られるからこのくらいにしておこう。マスターもすぐにいらっしゃる」


「今更その程度では怒らん。イズール・オブライエンだ、待たせた」

 戸が開くと、イズールがてきぱきとした足取りで室内に足を踏み入れる。

 イズールは立とうとしたサイを手で制すると、執務机に着いて椅子に腰を下ろす。


「手厚い歓迎をしてもらって悪いな」

「うむ、かまわん。だが……本題に入る前に、何か聞きたいことがありそうだな?」

「それなんだが、ここは本当に奴隷商なのか?」

「想像と違ったかね?」


「あぁ、さっきも聞いてみたのだが、貴族の屋敷にいるような気分になって落ち着かない」

「あれらほど見栄に金がかからぬ分、装飾はほどほどではあるがな。ここはまぎれもなく奴隷商だ。屋敷にいる俺以外の人間すべてが、商品ではあるがな」


「……なるほど、そういうことか」

 この部屋にたどり着くまでの間にサイが感じていた違和感の正体はそれであった。通路で見た下女や従僕は、その全てがサイが違和感を感じるほどの気品を持ち合わせていた。これが本当にただの使用人であれば金を掛けすぎな面がある。抱いた疑問を氷解させるイズールの答えは腑に落ちる。客となる者を招いては、実際の働きを見て商品を取引するのだろう。理に適ってはいるが、珍しい考え方をする男だとイズールの評価をサイは見直す。そして、その文言が気になってサイはゲトの顔を再度見る。


「すべてということは、ゲトもか?」

「すべてだ」

「俺のマスターは生涯一人だけですけどね」

「ふん」

 顔色を変えずにやり取りをするイズールとゲト。今までにも似たような事があったのだろう。通常であれば主人に対する口にきき方ではないが、長年掛けて蓄積された信頼がそこには見えた。控えている下女もどこ吹く風といった感じで黙って様子を見ている。


「疑問が解消されたのならば話を本題に戻す。導師殿はここに来るまでにどこまで事情を聞いている?」

「……事情か」

「大丈夫だ。ゲトとニーナは口が堅い。死んでも他言はせん」

 ゲトの名は分かる。初めて聞いたニーナという名は、ずっと部屋で控えている下女のものであろう。


「そうか。俺が聞いたのは、邪眼イビルアイを持つ子供がこの街にいるので保護をしてほしいという事だった」

「概ねあっているが、導師殿が来るまでに事情が少し変わった」


「どういうことだ?」

「邪眼を持つ子供は確かにここに居た。だが、一週間前から行方が知れん」


「何だと!」

「リーウの中で俺の目が届かぬ所はない。だが、それも表に関してだがな。ゲト」

「はい、マスター。導師殿、邪眼を持つその子……名をアルマというのだが、アルマは俺がハイアトという村で金貨一枚で買い付けてここに連れてきたのだ」

「……売られたという事か」

「あぁ。生活に困っているという事で、丁度村に滞在していた俺が間に入る事になった。邪眼の事を知ったのはその後になる」


「そんな事があったのか……しかし、金貨一枚とは凄いな」

 サイは家族に売られた子供の境遇を不憫だと思うと同時に、その取引の金額にも驚いていた。金貨一枚というのは、小さな村であれば四人家族が一年は暮らせる程の大金だ。普通に生きていたら目にしない人間だっているだろう。金貨にはそのくらいの価値がある。


「そこは俺が話そう」

 取引金額に話が波及したことを汲んで、イズールが口を挟む。

「俺はこの商売を始めるにあたって己の中に一つのルールを設けた。それは、相手が大人だろう子供だろうが、それがたとえ死にかけの老人であろうが、商品価値を見出したものであれば俺はひとかけらの躊躇いもなく金貨一枚を払う」

 執務机を指で叩きながら、イズールは淡々と語る。

「金貨一枚で人生を買って、それを何十倍にもする。人に手を加えることでどれだけのものを積み上げられるのか、俺がこの商売に賭けるただ一つの矜持と言っても過言ではない」


「……イズール殿」

「アルマは唐突にいなくなった。この場所からまるで神隠しにでもあったかのように。分かっているのは、アルマの邪眼の情報を商売敵のアリーシ商会が嗅ぎ付けて、近辺をうろついていたという事だ」

 ゲトがイズールの言葉を引き継いで最新の情報を伝える。感情をあまり見せなかったイズールは、その時確かに、静かに燃える業火のような怒りを黒い瞳に湛えていた。


「俺は、金貨の一枚一枚に俺の命を賭けている。俺が払った金貨には必ず大きな価値と意味をもたせ、世界を巡らせる。その俺の信念を揺るがすものは何人であろうとも許しはせん。許してなるものか」




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