芦川ヒカリの憂鬱Ⅱ

芦川ヒカリの憂鬱Ⅱ 1


 遠く聞こえる目覚ましの音を止めようと手を伸ばす。電子音も味気ないが、音楽を読み込んで流すサービスを実現しようとすると、ちょっと面倒くさい。着うたとかいうの途中で切れるし。

 その手がなにかもふもふとしたものに触った気がした。一時期、我が家でさらさらの毛並みの犬を預かって一緒に寝ていたことがあったな。思わず引き寄せる。撫でるとさらさらとしていたのも懐かしい。

 あのご夫婦、また旅行に行く時にでも預けてくれないかなあ。朝起こす時乗っかってくるのが可愛いんだよな。猫はいずれキョンくんの家に行って撫でる機会もありそうだから、そっちはそれまで我慢しよう。


「んー、わかった。起きるって。よしよし、暴れるな」


 腕の中でもがきだした犬の背中をとんとんとして、手を離す。いや違うって。目覚ましを消すんだよ。と、触っていないのに音が止まった。

 あれ? なぜ止まった? と思って瞼を開く。目の前には困った笑顔。俺が撫でまわしていたのは、そいつの頭だった。


「おはようございます」

「ぎゃあ!」


 潰れた蛙もかくやという声で俺は悲鳴をあげた。絶対作画が楳図かずおに変わってた。慌てて掛布団を抱きしめて距離を取る。


「なに、なに、なに入ってんの勝手に!?」

「おや。いつでも来ていいと昨日聞いた気がしますが」

「ゲームを見に来いっつったんであって、寝顔のことじゃねえよ!」

「冗談です。実はこういった連絡が」


 古泉は肩を竦めてメール画面を見せる。送り主はハルヒ。もう先が読めたが文面はこうだ。


『あいつねぼすけだから、古泉くんが毎日モーニングコールしてやって』


 ほらな。そんなことだろうと思った。


「モーニングコールって電話でするんだけど、古泉くんにはわからなかったかなあ?」

「どちらにせよ朝食をいただきに参りますから、効率化を図ってみました」


 ちゃちな怪盗の予告状みたいなこと言いやがって。


「でも、お陰でいいものが見られました」

「は?」

「ヒカリくんって、眠っている時に本当にむにゃむにゃって言うんですね」

「殺してくれ」


 俺は枕を投げつける。古泉は軽々とその枕を避け、にこにことした顔で平然と立っている。ムカつきすぎる……。


「避けんな」

「わかりました。次は当たります」


 宣言通りクッションを顔面で受けた古泉は「あはは」と笑いながら寝室から出て行った。明日からあいつより早く起きないと寝ているところを見られてしまうのか。スリリングな生活始まったな。絶対むにゃむにゃなんて言ってないと思うんだけど、寝ている間のことは証明不可だしな。録音しておく手もあるが、マジで言ってたら立ち直れないのでシュレンディンガーにしておこう。くそう。


 パーカーに着替えていくと、古泉はリビングでソファに座っていた。勝手にうちのテレビをつけて、ニュースを見ている。


「お前って朝はパン派だったりする?」

「そんなことまで知っているんですか?」

「いや。案外演技だけってわけでもないんだな」


 古泉ってこういうイメージあるよな、を実は地で行っているんじゃないかと思う時がある。わざわざテレビでニュースなんか見てる高校生が存在するのか。昨晩なんか数学の番組を見ていた。それとも俳優なんかがよく陥るという「役に飲まれる」ってやつなんだろうか。

 カリカリに焼いたベーコンとスクランブルエッグ、トーストにほうれん草のソテー。にんじんのピクルスをプレートの端に。コーヒーメーカーなんてものがあったならもっと早く気付きたかった。ゆっくりドリップして一杯づつ。


「砂糖とミルクは?」

「ヒカリくんは甘いものがお好きですし、いれますか?」


 質問に質問で返すな。そして残念、コーヒーはブラック派だ。


「では同じものを」


 と、古泉。ブラックコーヒーが様になっている。どっちかというと紅茶の方が似合う顔だ。でも、意外だったな。俺はてっきり古泉は甘いものが好きなんだと思っていた。古泉がキョンに奢ったコーヒーは激甘だったらしいし、エンドレスエイトでもウインナコーヒーを頼んでいたのに。

 そんなことを考えていると古泉が一瞬眉を顰めた。なんだそれは。俺としてはインスタントに比べれば美味いと思うが、舌が肥えてるのだろうか。


「やっぱり、お前本当はブラック飲めないのか?」

「バレてしまいましたか。いえ、飲めないってこともないんですけどね。いつもは砂糖を少し」

「少し? 何のための俺だよ。お前が砂糖とおまけにミルクを大量に入れても周りが何にも思わないようにくらい、てきとうに言い繕ってやれるさ」

「すみません。では砂糖だけ」


 古泉はすりきり一杯の砂糖を入れて、うん、と頷いた。何を格好つけているんだか。まだ全然苦そうに見えますけど。


「そういう年頃なもんですから。あなたにも意地を張りたい相手くらいいるでしょう?」


 どいつもこいつも目敏くて嫌になる。お前まで応援するとは言わないだろうな。言わないか。むしろハルヒの気持ちに気付いているこいつなら、気を付けろと苦言を呈するかもしれん。

 言われなくてもわかってる。俺がいることで起きる不都合は、きちんと俺が対処するさ。不必要な枝は落とすし、二度と生えてこないように対処する。来るべき白雪姫事件に備えて。まあ、あれに関しては外野に手出しできることはない。祈るくらいしか。


「何が言いたいのかわからんが、お前が意地を張りたい相手なんてハルヒだけで充分だと思うけどな。俺は」

「それがそうもいかなくなってしまいまして」

「同級生の同性ってのは、そんなに面子があるものかね」

「そういうことにしておきましょう」


 何だそれ。

 俺はパーカーにデニムに白いハイカットスニーカー。古泉はピンクのシャツにネクタイ、ブラウンのジャケットスタイルで連れ立って外に出る。北口駅前に着くと、平然と古泉はレディースのアパレルショップに入っていく。堂々たるもんだ。すげーよ。


「デートのような気分ですね」

「始まったよそのネタ。デートでたまるか。俺の初デートだぞ」

「では尚更思い出深いものでありたいな」

「だから違うんだよ。これはデートじゃないの。てかお前慣れてるな」

「そう見えますか? 僕も初めてのようなものですよ」

「初めてじゃねえんだろ、その言い方じゃ」


 同級生の同性に張りたい意地ってやつがちょっとわかった気がするぞ。まあこの顔面だ。デート経験なしだったらむしろびっくりするけどな。でもなんか悔しい。俺は二十歳になってもまだだというのに。モテ男め。

 古泉は、もしも俺が女のままだったら隣に立って歩くことを躊躇するほどばっちり決まっている。ちょっと渋くね? みたいな服装だが、ピンクのシャツはかわいいし。

 店員と何やら話しながら服を選んでいるのも、妙に手馴れた感じだ。こういうとこでさらっと店員と話せる辺り陽キャだよな、こいつも。古泉は俺の方を見ながら店員と談笑していたかと思うとくすっと笑い、手招きした。


「なに?」

「いえ。僕はこういうのでもいいと思うのですが。どうでしょう」

「どうもこうもワンピースじゃん。なんでだよ」

「彼女さん、パンツスタイルがよろしいですか? それならこっちのなんてお似合いだと思いますよ」


 古泉、お前さては俺が彼女と呼ばれて面白かったから呼んだんだな?


「彼女じゃないです」

「そうなんです。残念ながら今のところは」

「そうだったんですね。デートかと思っちゃいました」


 アパレルの店員さんってヨイショが上手だな。古泉はこういうの慣れてるっぽいし、人を観察して得ているヨイショ知識なんだろうか。

 

「だそうです」

「こっち見るな」

「あ、パンツスタイルならローライズとかどうですか?」

「すみません。あの、俺、男なんで……それは入らないかもです」

「えっ!? そうなんですか? うーん、じゃあ。ユニセックスならこっちですね」


 驚かせてすみません。しかし不思議だなあと思っても顔に出さない店員さんのプロ根性が逞しい。罰ゲームか何かだと思ったんだろうか。実際そんなところだが。


「こういう色の……ブラウンのチェスターコートとかありますか? 同じような色味がいいのですが」

「お揃いでいいですね。じゃあ、こっちのと合わせてみたらかわいいかも」


 ハルヒの言うとおり可愛いのを店員さんに頼んだのだろう。なんでお揃いなんだと思っただろうによく混乱しないもんだ。

 俺は試着室に入り、薄手の白いハイネックにワイドタイプのチノパン、ブラウンのチェスターコートを身に着ける。外ではスニーカーを選んでいるらしき古泉と店員の声が聞こえるが、初めて会ったとは思えない意気投合っぷりだ。

 鏡を見る。あれ、これちゃんとかわいいんじゃないかな。女の子でも男の子でも通用しそうな感じに仕上がっている。どうせなのでハーフアップにして、お団子頭にしてみよう。うん、これならハルヒも文句は言えまい。

 カーテンを開くと、店員のお姉さんが黒いスニーカーを持って待っていた。おお、それもデザインがかわいい。やっぱり店員ってプロなんだな、誰でもそれなりに見える服を選べるなんて。


「わー、すごくかわいい。見返せちゃいますよ」


 やっぱり罰ゲームだと思ってるらしい。古泉はというと、よくやるきょとん顔の後、上から下まで眺めて頷いた。心配しなくてもお前の見立てはばっちりだよ。なんならちょっと、今日は俺モテてしまうかもしれんという自信すら出てきた。よーし、不思議を誘惑するぞという気概です。


「よくお似合いです。きっと涼宮さんたちも褒めてくれると思いますよ」

「だといいが」

「あまり可愛いと心配もありますけどね」

「言ってろ」


 俺は着てきた服を紙袋に詰めてもらい、そのまま今購入した一式を着て駅に向かう。まだ時間がありそうだからとお茶に誘う古泉に待ったをかけて、駅前に戻ることにした。どうせ後で喫茶店に入ることを、俺は知っているのだ。


 古泉がコインロッカーを探して紙袋をしまってきてくれるらしいので、俺は先に待ち合わせ場所に向かうことにする。長門と朝比奈さんはもう到着していた。ちょうどういから合流するかとたらたら歩いていた俺は、慌てて走りだした。

 三人組の男が彼女たちに声を掛けていたのである。肩を組もうとする下劣な男と朝比奈さんの間に割って入り、俺は震える彼女を背にかばう。


「すみません、連れなんですけど」


 正直な話、長門一人いれば男三人の脅威など大したことはないだろうが、そんな大立ち回りをされる方がいっそ困る。よくわかっていない長門と怯えた朝比奈さんが連れ去られる前で本当によかった。


「じゃあ三人づつでちょうどいいじゃん」

「何がちょうどいいのかわかりませんが俺は男です」


 嘘でしょ、と言われましても。確かにこの服装じゃ女性に見えなくもない。ついさっき可愛い服に着替えてしまったのが不運だった。ていうかついでみたいに扱われるのもそれはそれで腹立つな。

 長門の手を掴もうとした手を俺が払いのけると、男の目の色が変わる。あーあキレちゃったよ。

 どう見ても大人だ。まともにやりあっては勝てないし、そもそも騒ぎを起こすつもりもない。拒否されて傷つくプライドがあるのに、ナンパするのは恥ずかしくないのかよ。困った大人だな。女子をかばいすべての責任を負った芦川に対し、三人の主、ナンパ男その1が言い渡した示談の条件とは……おい淫夢やめろ脳内。


「あのさあ、叩くのっておかしくない?」


 タイミングよく淫夢語録で被せてくるな。笑いそうになって、俺は咳払いをする。


「急に手を掴むのもおかしいでしょ。彼女たち嫌がってるじゃないですか」


 男が俺の手を掴む。いてて、力が強い。

 朝比奈さんが悲鳴をあげておろおろとし、俺が連れていかれないようにコートを引っ張っている。長門はというとぼんやりした目で俺を見ているが、その瞳が「処す?」と言っているようで俺は首を横に振った。ダメダメ。下手したら殺人だ。

 そろそろ手首も痛い。朝比奈さんや長門が前に出ないように身体で盾になっているが、多分本気で引っ張られたら地面に引き倒されてしまうだろうな。大事にはしたくないけど、膠着状態のうちに対処するか。俺は男たちを一生懸命睨み上げたまま、後ろの二人に声をかける。


「朝比奈さん、長門連れて下がってください」


 ここは駅前だ。朝比奈さんが近くの交番に行ってもらって、警察でもなんでも呼んでもらうのが最善だ。振り返ってそう言つもりだったのだが、俺の手首を掴んだ男の手を、第三者の手が強く握った。

 

「すみません。彼がなにか不手際を?」

 

 苦笑を広げて古泉が登場した。178センチって結構身長でかいんだな。常時笑っているのもこう見ると威圧的だ。男は俺から思わず手を離す。


「僕たちは休日のクラブ活動のために集まっているのですが」


 古泉の言葉にピンときて、俺は横槍を入れる。


「騒ぎになったら俺たちだけじゃ対処できない。“顧問の岡部先生”に電話したら? もうすぐ来るだろうけど」

「そうですね。なにか問題があったのなら大人同士で話していただく方がいいかもしれません」


 先生が来るという単語で、一気に男たちは威勢を削がれたようだ。おのおのそれらしいステレオタイプな台詞を吐き捨てて、去っていく。

 俺と朝比奈さんはほっと一安心。長門は無味乾燥といった顔で微動だにしない。


「芦川さん……手、痛くありませんか? 痕が残ったら大変です」

「やー、そこまでヤワじゃないですよ」

「でも……」

「大したことじゃないですから。二人が無事で良かったです」

「しかし、体格差がありましたからね。人数も多かったので、出来れば大声などを出していただきたかったです」


 古泉は目を細める。どうやら俺は叱られているらしい。でも、ぶっちゃけあの場で男は俺だけだったし、一番年上だったし(これは古泉は知らないけど)叱られても困る。


「そんなこと言っても、あの状況じゃどうしようもないだろ。二人に何かあった方が大変だよ」

「あなたになにかあっても、それは大変なことなんですよ。お忘れかもしれませんが、あなたは我々にとって涼宮さんの次に優先すべき方なんです」


 いつになく真剣な口調に、はっきり言って俺は怯んだ。確かに古泉の立場を思えばもっと短期決戦的に解決すべきだった。そんなことはないと思いたいが、機関からすれば俺が誘拐されて監視を外れる、なんてことになれば大問題だ。


「悪かった。朝比奈さんと長門が心配でつい頭に血が昇った。もっとお前の立場を考えるべきだったな。軽率だったよ」

「いえ、僕も言葉を選び間違えたようだ。この話はまた後でにしましょう」


 古泉が溜息を吐く。だから悪かったって。次はちゃんと長門にトンデモ解決してもらうことにする。次なんて流石にないだろうけど。

 古泉が話を中断したのはこれが理由だったらしい。溌溂とした様子のハルヒが短いスカートをものともせず大きな歩幅で歩いてきた。


「あら、みくるちゃん、目が赤いわね。なにかあった?」


 実は、と古泉が説明する。ご丁寧に「三人」がナンパされたと言ってくれやがるが、別に俺は関係ないからな。あんなのついでだ。


「何やってんのよヒカリ、その辺のモブじゃなくて、宇宙人とか未来人とかに目つけられなきゃ意味ないの!」


 うーん、その宇宙人と未来人を守っていたんだが。査定で加点されませんか、そこのことろ。


「あとその服、全然ダメ! 可愛いっちゃ可愛いけど、そんなんじゃ不思議は誘惑されないわよ。せめてワンピースとか、もっとあったでしょ!」

「僕もそう言ったのですが」


 あっ、てめ古泉。ここぞとばかりに困った顔しやがって。ハルヒを味方につけるとは汚いぞ。


「まったく、あんたはちゃんと古泉くんの言うこと聞きなさいよね」


 古泉がうんうんと頷く。くっ、卑怯な手を使いやがって……。俺がそうやって古泉とハルヒにダブルで責められていると、キョンがかったるそうに歩いてきた。

 十時五十八分。元の時間より二時間遅い待ち合わせにしたというのに、彼は彼で困った人だ。




 ハルヒがキョンの遅刻を怒鳴りつけること約十分。

 実際には二分早く着いてるキョンなのだが、ハルヒ理論の前では通用しない。今のうちに慣れておいた方がいいぞ。

 そんなこんなで俺たちは、一番遅かったキョンの奢りで昼食をとることになり、手近な喫茶店に入る。ファン大興奮のあの喫茶店である。

 どうでもいいかもしれないが席順を発表しておこう。

 ボックス席の壁側に奥からキョン、俺、古泉。向いの通路側に奥から長門、ハルヒ、朝比奈さん。正面がハルヒなのは嬉しいからいいとして、大の男三人でソファタイプの席はきついものがある。なにより少しだけ古泉側に寄って座ったのが失敗だった。

 まださっきのことを怒っているらしい古泉が微妙に体重をかけてくる。気を抜いたらキョンの方に倒れ込みそうだ。なんでそこまで責めるかなあ? 俺は一生懸命踏ん張った。腹筋つきそう。


「いーいキョン。あんたがもっと早く来てたら、ヒカリもみくるちゃんも有希もつまんない男にベタベタ触られずに済んだんだからね。みんな、高いものジャンジャン頼んで。キョンには反省が必要だから」


 ベタベタというほどじゃないが。まあ団員が大好きなハルヒ的には、自分の所有物に触られるのは一瞬でも許せないんだろう。しかし、この面子でじゃんじゃん頼めと言ってもな。

 朝比奈さんは小さなパンケーキと紅茶、古泉はハムサンドとサラダにブレンドコーヒー。長門に至っては悩みに悩んで紅茶一杯。ハルヒはちょっと良さそうなオムライスとアイスコーヒーを頼んだが、大した値段にならない。

 いや、高校生のお財布事情を鑑みれば十分な出費なのだが、ハルヒが言いたいのは一発でかいのを頼めってことなんだよな。

 ハルヒのやつ面白くなさそうな顔してるので、仕方なく俺はメニューを閉じた。腹減ってるし食えるだろ。


「すみません。マスカルポーネとサーモンのオープンサンドにアボカドのトッピング。それから小エビのキッシュにスペシャルブレンドコーヒー。ミルクと砂糖大目にください。あと日替わりプチケーキセットで」

「げっ」


 キョンが引き攣るのもそのはず。

 マスカルポーネのサンドイッチの方はトッピング付きで1200円。小エビのキッシュが800円。ケーキは1000円。そしてこだわりのコーヒーがなんと1600円だ。もちろん俺が一番高額だ。財布の中身を見てキョンが固まっているのが面白い。やべ、変な趣味が目覚めそうだ。

 キョンには悪いが、実は昨日の夜も閉鎖空間が発生している。俺も古泉も働き尽くめなので、今日くらいは流石にのんびりしたい。ハルヒが高いのを頼めと言えば俺は頼むぞ。そういう強い意志でここにいる。

 閉鎖空間の発生に俺が関与していた場合、微妙にちくちく刺してくるんだよ古泉のやつ。小姑みたいにさ。




 さて、おのおの談笑しつつ、全員食事を終えたところで。

 不思議探索ツアーの概要はこうだ。俺たちは三人づつの二手に分かれて市内を探索。奇妙なものを見つけ次第連絡を取り合ってそこへ向かい、最終的には反省会をするといったような予定になっている。

 俺は出来るだけハルヒのストレスを軽減するため、あらかじめ用意してきた楊枝に筆記用具で赤い印を入れる。


「あら、準備いいじゃない。貸して」


 ハルヒが握り込んだ楊枝のうち、赤ペンで印があるのは三本。本筋通りなら朝比奈さんとキョンだが、あとの一つはハルヒ以外に当たれば誰でもまあいいだろう。

 この探索で、朝比奈さんはキョンに重大な告白を控えている。なので、それに関するフォローは入れるつもりだ。もしもハルヒが印入りの引いてしまった場合の対処法も一応考えてある。ところで滅茶苦茶腹がいっぱいだ。動きたくない。


 くじ引き結果発表。ハルヒ、長門、古泉の無印チーム。キョン、朝比奈さん、俺の印入りチーム。以上。

 無難な方に入れた気はするが、古泉お前そのチームで大丈夫か? 真逆の意味で何考えているかわからない女子に挟まれたな。長門はどうでもよさそうだが、不機嫌そうなハルヒ。

 まったく、チーム分けに不満があるなら最初からくじの内容でもなんでも操作すりゃいいのに、どれだけ横暴でもラッキーに頼ってキョンと一緒に行きたいって思わないところがお前だよな。


「キョン。わかってる? 両手に花で浮かれない! これデートじゃないのよ。真面目にやるのよ。いい?」

「花、片手にしかないと思うけど」

「じゃああんたはなんなのよ。何者だっていうのよ」

「煮物の話もっと知りたいのか」

「呆れたわね。まだお腹空いてるの?」


 照れた顔で頬を抑える朝比奈さんに、キョンが嬉しそうに目じりを緩ませる。あ、今俺を見て邪魔だなって顔したな? どうせ距離は取るから二人でデートだと思っててもいいけど、表情に出しすぎだぞ。


「具体的に何を探せばいいんでしょうか」


 古泉が円滑に会話を進める。


「とにかく不可解なこと、疑問に思えること。そうね。時空が歪んでる場所とかでもいいし、地球人のフリしたエイリアンとか発見できたら上出来。次元の扉の鍵とかあれば一番いいけど」


 キョンがミントティーを吹き出す。朝比奈さんは血相を変えている。長門はなんともないって顔だ。なるほど、と古泉。俺は奇妙な鍵に怯えていた。その鍵って5インチくらいでアラベスク模様が描かれてるやつじゃないよな。


「要するに、宇宙人とか未来人とか超能力者、それから異世界人本人。もしくは彼らが地上に残した痕跡などを探せばいいんですね。よく解りました」


 俺たちの反応を見ていて、わざわざこういうこと言うんだもんな。嫌なやつだよ、こいつは。


「そうよ、古泉くん。その通り。やっぱりあんた見どころがあるわね。まあ、異世界人はちょっとむずいかもだけど他は可能性あるでしょ。キョン、みくるちゃん、見習いなさい」


 じゃね、とハルヒは言い残して去って行く。異世界人をはじき者にしないで、俺にも一言くれよ。

 ハルヒたちが去って行くと、俺はテーブルに5000円札を置いて店を出る。最初から払うつもりだった。じゃなきゃあんなに食べない。

 朝比奈さんとキョンは用事があるから、俺の方はそれなりに探索をしていこうと思っている。二人と離れすぎない程度の距離であれば、古泉もうるさくは言わないだろうしな。

 大まかな地理に関しては何度も聖地巡礼で訪れているのでわかってはいるが、さすがに地元民ほどじゃない。地図を開きながらの方がいいか。実は、さっき色々検索していて面白い情報を入手した。

 さながらオープンシナリオでもやってる気分だ。今更奇人扱いも慣れているので、とりあえず人に聞いていくか。


「おい、芦川。どういうつもりだ」


 キョンがお金を握りしめて店を出てくる。その後ろから泣きそうな朝比奈さん。


「どうもこうも俺が食べた分。本当に奢らされるって焦った?」

「そりゃ、そんなこったろうとは思ったが……」

「まあ気にしないで受け取ってくれ。迷惑料だと思って」

「だがな」

「いいのかな~。奢り、この一回で済むかな~」

「嫌な予言はやめろ」


 そういや、予言とか予知ってよく言われるけど、これって悟られていることになるんだろうか。朝比奈さんは特に気にしてないみたいだから、いいのかな。ん? なんかその単語って前にも聞いたことがある気がするな。あれ? 兄貴がそんなようなこと言ってた気がするけど、なんだったかな。


「良かったあ。ヒカリくん、一人で行っちゃったのかと思いましたあ」

「さすがに古泉にどやされますよ。一応、見える距離にはいますんで」

「一緒にいると都合が悪いのか? なあ……お前、何を隠しているんだ」


 キョンは疑うような目で俺を見た。よく言うよ。めちゃくちゃ朝比奈さんと二人っきりになりたいって顔に書いてあったぞ。それに。


「本当に必要なことなんだよ。俺の方は昨日の今日ってわけにもいかないんだ。悪いが、そのまま朝比奈さんと二人で」

「それが規定事項なんですね……わかりました。でも、あの、本当に遠くへは行かないで。あなたになにかあったら……わたし……」

「大丈夫です。ちゃんと監視可能な範囲にいます」


 眉を顰めるキョンとしょげた顔の朝比奈さんを促し、俺は少し離れて後ろを着いて行く。桜の散った川縁は護岸工事が施されていて、どうやら新種の魚なんぞはいそうにない。

 ちらちらと振り返っていた朝比奈さんが決意の表情でキョンをベンチに誘うのを見届けて、俺は携帯とメモ帳を開く。どうやらお話の流れ通り、ここで未来人であることを暴露するようだ。

 さて、こっちはこっちで不思議探しだ。ネットで得た奇怪な噂をチェックして、聞き込みしつつ精査していこう。なぜだかこの川縁だけでも結構な数の噂があるが、それよりも気になることがある。

 なんと、それらの噂はオカルト掲示板や観光案内の口コミページ、個人ブログのコメント欄などに昨夜、突如として書き込まれたのだ。内容としてはだいぶ奇天烈ネタの嵐なのだが、ハルヒ効果だろうか。その噂を本気にして調べに来ているやつらと、歩いているだけで何組もすれ違う。

 こういうのが好きな暇なやつというのは一定数いるものだが、ここまで集まるだろうか。まあ、冷やかしのカップルがほとんどで、会話の端々からあまり信じていないことは察せた。カメラを構えて移動しているやつとかは、検証サイトでもやっているのかもしれない。


 で、内容はこんな感じだった。

 まず、撤去されたはずなのに現れて目から血を流す地蔵。これはなかった。そもそも、遡って調べてもここに地蔵が置かれていた事実がない。ふざけるな。

 死んだ恋人がベンチに置いていったカード付きの花束とかいうのもなし。これは多分、忘れ物かフラれて置いていったものに、面白半分で後から噂が足されたってところだろう。

 破れた金網についた謎の実験をうけた被験者の手形もなし。この河川は視界が開けていて、謎の被験者とやらが隠れる場所もない。そもそも謎なのになんで被験者ってわかるんだよ。この辺りに研究所とか大学とかもないし。お粗末なんだよ噂の造りが。

 ここから近いのは、あとは神社のオーパーツだが。神社にオーパーツか。和風か洋風かどっちかに統一してくれないかな。古文書とか、呪われし刀とかならまだわかるんだが。なんかこれが一番嘘っぽい。目撃情報は、やっぱりなし。


「そりゃそうか」


 まあ、そんな簡単に不思議なことが転がっていては困る。ハルヒってやつは、どんなに強く願っても理性的にあり得ないと否定してしまうのだから、当然本人に見つかるわけはないんだ。だから俺たちのことにも気づかないでいる。

 まあ、あんなに一所懸命なんだしちょっとくらいなにかあってもいいと思うが、余計なことを言って世界を変えた責任なんかを背負わされたくはないからな。

 だいたい、なんなんだよこれは。心霊スポット的な噂ばかりじゃないか。もっとUMA系にメーターをいじっておいてくれよ。川を飛ぶスカイフィッシュとかでいいんだ。いかにもなファンタジーの勇者とか、そういう夢のある空想っぽいものでもいい。

 賢明な読者のみなさんはもうお分かりだろうが、俺はホラーがめちゃくちゃ苦手である。苦手なので、逆に全部可能性を潰したい。どんとこい超常現象。全部俺が否定してやる。


 意気込む俺の真横に、ぴたりと知らない男が立った。

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