芦川ヒカリの憂鬱Ⅰ 14


 放課後。

 掃除当番だというキョンくんを置いて、購買でお菓子類を買った俺は先に部室に向かうことにした。文芸部の部室はほとんど校舎の反対側にあるため、階段を下りて渡り廊下を通り、中校舎を超えてまた階段を上らないと辿り着けない。

 学校へ続く上り坂といい、まったく健康になれそうな環境だ。俺の職場は徒歩圏内なため、駅で毎日階段を上り下りすることもなかった。学生時代って、若さだけじゃなくてこういう運動を毎日していたから体型をキープしやすかったのかもな。わざわざ動画を見ながらトレーニングする時間を取らないと簡単に太る、そんな生活ともこれでおさらばだ。

 部室の扉を開くと、既に朝比奈さんと長門の姿がある。俺の姿を見つけた朝比奈さんは眉毛を八の字に下げて駆け寄ってきた。ああ、長門と二人きりで気まずかったんだな。


「芦川さん、よかったあ」

「あ、朝比奈さんお菓子食べます? この中から選んでください」

「ほんと? いいんですか? どれにしようかなあ」


 広げた袋の中からホワイトチョコレートを取った朝比奈さんが、ふわりと笑う。チョコ一つでこれだけ喜んでくれるなんてな。CMの依頼が来そうな笑顔に、つられてこっちまで微笑んでしまう。


「長門は?」


 俺の言葉に長門は眼鏡の奥の瞼をぱちぱちと瞬かせる。そのままだと受け取らなさそうなので、俺は袋を持って長門の目の前にしゃがみ込んだ。


「この中から好きなものを選んで取るんだ。好きなものなんて特にないとしてもね。まあ、訓練だと思って」

「そう」

「あんずジャムのクッキーとか、恐竜チョコとかあるよ」


 長門はこくりと頷いて恐竜チョコを取り出すと、袋の説明をじっくりと読み始める。付属のピンで長門が型抜きしてるところはちょっと見てみたい気もするな。

 長門はしばらく眺めていると、観察が終わったのかチョコを膝の上に乗せ、本を閉じる。そして、俺の前髪と額の間に、そっと指を差し込んだ。


「えっ」


 と、声を出したのは朝比奈さんだ。俺は黙って触られている。長門の人差し指と中指が額をなぞると、そこから眠気が吸い取れていくような気がした。


「……なんかした?」

「へいき」

「そっか」


 長門は読書に戻る。彼女がそう言うなら、聞いてもわからない難しい話は聞かないでおこう。せっかく飛んだ眠気が戻ってきてしまいそうだ。朝比奈さんはチョコを開けて食べ始め、俺はパイプ椅子を引いて座ると携帯ゲーム機を起動する。

 RPGってのはさくさくやるもんじゃないんだけど、まあ仕方ない。有名シリーズを中心にこなしていく。向こうで言うドラクエみたいなものって、さすがにオタクを名乗る以上やっておくべきだろうし。集中してプレイしていると、ハルヒが元気に飛び込んできた。


「お待たせっ!」

「おー。涼宮、お菓子好きなの食っていいよ」


 返事をしながらも画面から視線は外せない。このボスがなかなかにめんどくさいのだ。ラスボスの戦闘っていうのは調整がむずかしいんだろうな。弱いと説得力がないし、強いにも種類があるし。

 こいつはストーリー上、呪いを操るキャラなので頻繁に攻撃力を下げてきたり、毒や麻痺をかけてくる。麻痺になるとアイテムも使えないので、弱体無効を入れておかないと下手したら一発で全滅だ。この弱体無効も3ターンしか持続しないから、タイミングを見なければいけない。


「貢物? うんうん、あんたは自分の立場を理解してるわね」


 ハルヒは袋ごと抱えて団長の席に座った。まったく、がめつくてかわいいぜ。何しててもかわいいんだけど。全部食っていいぞ。


「じゃあ、さっさと服脱ぎなさい」

「なんで?」


 このゲームがターン制バトルでよかった。思わず顔を上げてしまった。


「なんでじゃないわよ。メイド服用意してきたの。あ、みくるちゃんはバニーね」

「ふえ、ひええ……またですかあ」

「まずはヒカリよ」


 一瞬で脳内会議室の扉が開く。本筋ではメイド服を着るのは朝比奈さんの役割だ。朝比奈さんのメイド姿が失われるなどという、そんな世界中にショックを与える出来事が起きていいわけがない。だが、ここで俺がそれを断ると、せっかくさきほど恥を忍んで却下に漕ぎつけたバニーコスをさせられるかもしれない。マジでバニーはダメだと思う。下半身が主にダメだと思う。

 どう返すのが良いだろうか。脳内の議長っぽい俺がホワイトボードに議題が発表するが、参謀役の俺が頭を抱えてバニーは嫌だとしか言わなくなってしまった。脳内会議、議決ならず。なにせ究極の選択だ。もうすぐキョンくんや古泉が来るかもしれない状態でバニー姿になってもみろ。俺は打ち解け始めた二人の友人を早速失うかもしれない。

 あーほら、考えている間にも身ぐるみを剥がれ始めた。ハルヒって人を脱がす才能まであったのか。多彩である。おい会議はもういいのか諦めるなよもっと熱くなれよ俺の脳内のやつら。

 そこで脳内会議室の一人がおそるおそる手を挙げる。やっぱりメイドは朝比奈さんにやらせないとダメじゃないか? これが原因で胸のほくろが伏線になるじゃないか。確かにそうだ。お前が正しい。こればっかりは仕方ない。矜持を捨ててやるしかない、バニーを。

 俺が死んだ目で上半身裸になった辺りで、朝比奈さんが意を決した顔で大声を出した。


「す、涼宮しゃん!」


 噛んだ。


「なによみくるちゃん。あなたもすぐに可愛くしてあげるから、ちょっとだけ待ってなさい」


 言ってることがサイコホラー殺人鬼すぎるぞ。なんだか「可愛く」って文字に「ころして」のルビがふられて見える。ああいう映画って緊張しちゃって一人で見れないんだよなあ。背筋がゾクっとした。

 関係ないことを考えていると、朝比奈さんは顔の両側に拳を握り、ぶんぶん振りながら抗議する。


「わ、わたし、メイドさんに興味があります! すごく、すごく着てみたいです! なので、わ、わたしにメイドさんを……お願いします……!」


 これにハルヒはにんまりと笑った。


「みくるちゃん! あなた、とうとう自覚が出て来たようね! いいわよ! じゃあみくるちゃんが先ね!」


 なんという献身的な生贄だろうか。朝比奈さんは溶鉱炉に沈む気なのか親指を立てている。そもそも親指を立てるのが似合わなさ過ぎてめちゃくちゃ面白いことになっているのだが、俺は彼女の健闘を称えて静かに敬礼した。

 同じ女として、あなたのその尊い犠牲を忘れません。


「ひ、ひえ、ま、まってえ!」

「自分から誘っておいてなに言ってんのよ」


 ハルヒ、それは犯罪者が言うセリフなんだが。俺は朝比奈さんが作ってくれた平穏に感謝しながら、ボス戦に戻る。彼女のためにも脱がされている場面は見ないでおこう。

 ゲーム画面では、一個づつデバフを解除して、ようやくダメージが入るようになった。多分、一気に一定量ダメージを与えるとデバフを入れてくるっていう設定らしい。ちまちま削っていくしかないか。無駄に時間だけかけさせる戦闘ってむかつくなあ。


「じっとして! ほら暴れない!」

「やっ……やめ……助けてえ!」


 ばたん、とキョンくんが扉を開く。朝比奈さんが絶叫。キョンくんは俺の胴に腕を回し、部室の外に引きずり出した。精神ではお腹にキョンくんの手が回っおあああああと暴れているが、無心。ここは無心です。

 そのまま彼は俺を廊下に下ろして、肩で息をする。気を散らすために俺はボス戦に集中して顔を上げない。じゃないと、キョンくんにハグされたのだと勘違いしてしまいそうだ。


「お前なあ……男が好きでもなんでもいいが、女子が着替えてたら出ろよ」


 顔を上げる。多分、俺はびっくりした顔をしている。すっかり忘れていた。彼の言う通りだ。確かに今は朝比奈さんが脱がされているのだから、俺は外に出るべきだった。彼女が俺の正体を知っているからと、動性として接していいのだと、あまりにも気を抜きすぎた。軽率だった。

 にしたって男が好きだからってのはひどくないか。事実なのだけど。キョンくんにとっての俺ってのは、どうもあまりよくないイメージがあるらしい。古泉と四六時中BL漫才をしている変なやつであり、ハルヒにいじられて喜んでいるマゾみたいに思われているのだろう。しかも今のでデリカシーがないという評価も加わったかもしれない。

 あーあ、またキョンくんからのイメージが悪くなってしまった。なんだか、胸が痛い。


「……ごめん」

「俺に謝っても仕方ないだろ」

「そうだね。朝比奈さんに後で謝らないと」


 かち、かち、とキー操作の音が響く。一撃づつ通常攻撃を受け続けてHPをじわじわ削られるラスボスが哀れだ。なんだか気まずい雰囲気が漂い、俺たちはしばらく黙っている。


「悪かったな」


 ぽつり、とキョンくんが呟く。俺はまた、画面から目を離した。


「なにが?」

「いや、勝手に男が好きだなんだとな。悪かったよ。ハルヒが勝手に言い出したことだしな」

「え、あ……い、いいのに。俺そういうポジだし」

「古泉が昔から因縁があったにせよ、お前の方は古泉のことなんざどうとも思っていないだろう」

「いやいや、ひどいな。古泉って話すと面白いよ」

「……まあ、お前らもやらされてるだけってわけじゃないんだろうけどな。それは、見てればなんとなくわかる」

「そうそう、結構楽しんでるし。気にしないでよ」

「いや……俺のこういう発言で傷つけて、お前に距離を取られているような気がしてな」

「えー。何言ってんだよ。そんなことないよ。距離なんて取ってない。いらない心配をかけたね。さっきのはほら、俺が悪いしさ。ゲームに夢中になってたし」


 これは少し嘘だ。そこに関連性がないのは本当だが、距離は取っている。近づけば近づくだけどんどん好きになってしまうから。だから、他の人より、君は遠くにいてほしい。そうなったら困るのはそっちなんだぞ、と責任転嫁しながら。


「本当か?」


 キョンくんが顔を覗き込んでくる。俺は目を逸らしてしまう。多分、見つめ返して本当だよ、と言わなきゃいけないのに。その目をまっすぐ見ることができない。だって、ずっと好きだったから。それに、男に慣れ合われるのは気持ち悪いって、そう思ってるのはキョンくんのはずだ。だから、これでいいんだ。


「信じていいのか?」


 俺は言葉を探す。誤魔化してはいけないところだと思う。思うけど、言うわけにもいかない。だから、先送りにするしか方法がない。悩んでいるフリをして時間を引き延ばす。そうして、朝比奈さんが着替え終わるのを待つ。

 彼はいつまで経っても目を合わせない俺に痺れを切らしたらしく、強引に自分の方を向かせようと頭をひっつかむ。髪の間に差し込まれた指がリボンを解いて、髪の毛がぱさぱさと肩に落ちてくる。俺のポニーテール期間は終わってしまった。そのままこの恋も終わってくれたらいいのに。

 難しそうな顔をするキョンくんに向けて、俺は微笑みかけた。なんでもないようにリボンを受け取って、立ち上がる。無言の時間が続くとうまく喋れなくなってしまいそうだから、こちらから話しかける。

 キョンくんがもう追及してこないように口を開く。出来るだけ親し気に、そして反論しづらい言葉をぶつける。キョンくんは優しいから、きっと聞いてこない。


「あー、悪いんだけどさ。まだその時じゃないってやつなんだ。そのうち色々話せるようになると思う。気にかかることもあるだろうけど、おいおいわかるからさ。でもまあ、そうだな。俺はキョンと」


 彼の渾名に「くん」をつけないように気を付ける。対等に話せるように、よく見られたがってる自分を封じるように。


「キョンと、仲良くしたいって思ってるよ。これはほんとだ。信じてくれていい」

「……そうかい。期待して待ってる」


 その時が来ても、言わないことは言わない。言えないから。俺はへたくそに笑って、彼の言葉に頷きもしなかった。キョンくんは面白くなさそうに窓の外を見ていた。俺はいつも通りの位置に髪を結いなおす。首の後ろで、てきとうに結ぶだけの髪型に。


 ハルヒと朝比奈さんの姦しい声が止み「いいわよ」とハルヒに促されて俺たちは部室に入る。キョンが朝比奈さんのメイド姿に絶句している間に、俺は席に戻ってボス戦の続きを始めた。

 さっきまでは勇ましい検察官のように雄弁だったのに、朝比奈さんのかわいらしさにやられたキョンがなんとも困った顔で黙っている。そのだらしない横顔になぜだかほっとした。なぜだろう。ちょっと悔しいのに安心している。これが正しい流れだからかもしれない。

 朝比奈さんは俺の身替わりにメイドになったつもりだろうけど、申し訳ないことにそれは原作通りの出来事だ。あなたがあなたの上司に怒られないためにも、あなたのメイドは規定事項なんです。ぜんぶ、決まった通りに進む方がいい。なにもかも。

 しかし、アニメでさんざん見たけれど、やはり彼女にはメイドさんコスがぴったりだ。俺もこのくらい可愛ければ、ハルヒがいう不思議存在を篭絡するキャラになれるんだろうか。とてもよく似合っている。白い布がふわふわと形作るフリルも、大きなリボンも。俺じゃこうはいかない。


「朝比奈さん、着替えていたのにすみません」

「へ? い、いえ。いいんです。ヒカリくんだから」


 その返答はあらぬ誤解を受けます。ていうかまた名前で呼んでますよ朝比奈さん。


「そうよ。ヒカリは可愛いし、団員だし、男でも特別なの。クラスの女子だって着替え見られても気にしないって言ってたしね。ていうかヒカリ、あんたポニテ取っちゃったの?」


 誤解は受けずに済んだが、そういえば確かに女子が気にしていなかったことは不思議かもしれない。男としては着替えを見られても平気って、それなりに悲しいポジションなんじゃないだろうか。それともまさか、ハルヒが俺を女だと疑っていたから、その思想がクラスにも広がってしまっている──なんてことはないよな?


「取れちゃった。返そうか?」

「いらないわよ別に。てきとうに家から持ってきただけだから、あげるわ」

「ありがとう。じゃあ、持って帰って大事に家に飾るよ」


 レースのリボンなんて俺にはあんまり似合わないしね。それに、推しからのプレゼントはやっぱり大事にしておきたい。


「……あっそ。あんたもみくるちゃんにいたずらする?」

「オタクなので三次元はちょっと」

「なにそれ。四次元とか五次元の女の子ならいいわけ? みくるちゃん、ちょっと四次元になってみましょうか」

「ひ、ひええ……」


 本気でビビってるからやめてやれ。やだよ俺、漂う不定形の朝比奈さんを元に整形するみたいな任務。正気度削れちゃうよ。そういや時間を四次元とするフィクションもあるけど、それって結局朝比奈さんの担当だから、彼女にいたずらする流れになるな。余計なことは言わないでおこう。

 粉骨砕身するメイドさんの雄姿を見守りたい気もするが、彼女は視線が一人分増えるだけで苦痛だろう。ボス戦を終えた俺はちいさな市松模様のクッキーをつまみながらエンディング画面を見ていた。うーん、良作だけど、主人公の知らないところでボスが本当は苦労していた描写をここで見せられるとすっきりしないなあ。

 シャッターを切る音と悲鳴が部室に響く。朝比奈さん、きっとあなたの名誉だけは守ってみせますからね。ネットに拡散される前に。肖像権はもう、侵害されてるのでそれは守れません。すまない……。


「うわ、なんですかこれ」


 ハルヒのセクハラを止めようとするキョンを見て、古泉はまったく正当な反応をして入り口に立っている。扉をあけたまま冷凍保存されたみたいなポーズだ。本気でびっくりしている辺り、お前も正常な高校生男子なんだと安心するよ。まあ、すぐにいつもの人徳ありげな笑顔に戻ったのだが。


「何の催しですか?」

「いいとこに来たわね。一緒にみくるちゃんに色々しましょう」

「遠慮しておきます。浮気を疑われてしまいそうだ」


 言いながらこっちを見るな。全然してくれていいんだけどね、浮気でも何股でも。俺気にしないから、お前がハーレム作ってても。


「そう? じゃあそっちはそっちでイチャイチャしてて」

「承りました」

「承るなよ」

「そういうわけにもいきませんから」


 昨日の夕方に今日の昼間と連続で閉鎖空間が発生しているのだ。だから、強い念を込めた「そういうわけにもいきません」なのだろう。俺は溜息を吐いてゲームソフトを入れ替える。まあ、古泉だって身体を張って汚れ芸人をやっているのだから、相方として俺は俺の責務を全うせねばなるまい。


「さて、なにをしますか?」

「ゲームしながらできるイチャつき構図かあ。そういうポーズ画集は持ってなかったなあ」

「ああ、それならありますよ」


 他の奴ならゲームをするな、と言うところをいちいち言わない辺りがこいつだ。異世界に召喚されて、元の知識で無双できない上に知らないものが多すぎる俺の気持ちも理解はしてくれるらしい。趣味と実益を兼ねているゲームは続けさせてもらうぞ。


「俺のことはいいがゲームの邪魔になることはするなよ」

「しませんよ。どうぞ」


 古泉は椅子を引いて座ると両手を広げた。言いたいことはわかった。わかるけど絵面エグイな。兄貴とは普通にしたこともあるけど、さすがにこの年ではしてないし、男同士なのもきつい。ていうか、普通にくっつくじゃないか、それ。

 ここがもしも乙女ゲーの世界だとしても、一日のイベント発生率が高すぎる。てかこういうのってだいたい、思いが通じあった後にスチル付きでやるやつだろ。安売りしてんじゃねえぞ。


「どうぞ」


 圧に押し負けて、俺は古泉の膝に座る。あったかい椅子だということにしよう。腹に手を回されてがっちりロックされたけど、それもシートベルトだということにしよう。人の膝に乗る体験ってなかなかないよな。うわ~、あったけ~、いい匂いする~。邪魔しないって言ったけど、雑念が湧いてきて十分邪魔なんだが。なんとか震えながら武器を選択する俺の肩に古泉の顎が乗った。助けてくれ。助けて、たっ、助けてくれ! 


「どのようなゲームをなさるんですか?」

「。ミ」


 人の耳元だと思っていい声で喋るな! 担当声優誰だと思ってるんだよ! なんかぞわぞわする。暴力に訴えそうになる。


「あ……アクション……みたいな」

「ああ、このナイフで敵をどんどん倒していくんですね。あの光っているのは?」

「補給する……ポイント……」

「なるほど、なんらかの組織が背後にあって、支援を受けられるんですか」

「やりたいならやってもいいよ……」

「いえ、ここで見ています」


 俺の操作キャラは横から突然出て来たモンスターに対応しきれず、思いきり一撃を食らう。そのびっくり演出に、どうやら古泉は驚いたらしい。顔には出さないものの、俺の腹に回した手に一瞬力が入った。意外にわかりやすいやつだ。

 声が良すぎるのもイヤホンから聞こえるアナウンスということにしよう。そう思うのに吐息がかかる。クソ、対応遅れた。あーあー、そこの銃拾いてえんだけど、人の肩のところでで笑うのやめてくれないかな!


「あ、左からも来てますよ」

「わかっってるんだけど、お前が邪魔なんだよさっきから」


 補給しつつ、Lボタンで回復アイテム選びつつ、Rボタンで武器を持ち換えて銃撃ちつつ、距離を取ってアイテム使用。すぐさまリロードして、アナウンス古泉のいう左の敵を一層。古泉は感心した様子で俺のプレイを眺めていて、身を乗り出すように画面に釘付けになっている。まったくよく動く椅子だよ。

 運動ができて、反射神経もあって、頭もよく記憶力もある。なのに、なぜこいつはゲームが弱いのだろう。キャラ付けなのか、アナログゲームには運要素が絡むからなのか。案外、こういうFPSならうまくやれたりして。


「因みに、さっきからまるでハルヒはこっち見てないけど。このイチャつきに意味はあるのか?」

「構いませんよ。少なくともキョンくんや、朝比奈さんの視界には入っているでしょう」

「大変だなお前も」

「今朝も言った通りです。僕は僕で楽しんでいますよ」


 確実にキルを重ねながら、安置に入る。


「ところでお前、キョンくんって呼ぶの?」

「人の呼び方を同じにすると、好感を得やすいですから」

「ああ、SOS団の一体感か。まあ必要かもね」

「それは……どうでしょうね」

「また、意味もなく含みのある言い方しやがって」


 セーブをして、電源を切った。


「もう終わりですか? もっと見ていたかったな」

「いつでも見れるだろ。家隣だし」


 なるほど、とよくわからない頷きをするのはいいが、お前が動く度に俺は心が乙女ゲーの主人公になりそうなんだよ。好きになる~っていうの、俺こっちに来て何回思ったんだろうな。古泉のやつ、本当に楽しそうにゲームを見てるんだもんな。こっちもうまいプレイしなきゃって気になる。期待に応えたいというか。

 そんなに見たいなら、この世にはゲーム実況ってのがあることを教えてやるべきなのか。あれってどのくらいから流行り出したんだろう。俺が知ってるのは青鬼くらいからだけど……まだ生まれてないかもしれん。ああいう文化って先人になるひとが必要だから、そういう人がこっちの世界にいなければ、そもそもゲーム実況の流行すら生まれないかもしれない。じゃあ、古泉にゲームやらせてネットにあげたらそれなりに再生数を稼げるんじゃ?

 いや、よく考えたらゲームってだけでもないのか。昨日は料理中に覗き込んでいたよな? もしかして自分のできない分野をやっているのを見るのが好きなのかもしれない。なんにせよ懐かれているってことだ。それこそ、多分俺はゲームが得意な隣のお兄さん属性をこいつ相手に獲得してしまった。ルートこれで合ってる?


「古泉、もうすぐ騒ぎが治まるから手を離せ」

「もうすぐ騒ぎが治まるからこそ、このままの方がよろしいのでは」

「俺は照れ屋なんでね。二人っきりじゃない時は嫌なんだよ」


 なんて、古泉の膝の上から退く。曖昧に笑う古泉の後ろに回り、俺はその肩を揉んだ。


「あんたのイチャイチャ、老夫婦レベルじゃない」

「長年連れ添った感があるだろ?」


 ちょうどハルヒが振り返り、マッサージ中の俺を視界に捉える。なんとなく面白くなさそうな顔をしているが、そろそろ話を促してやろう。


「で、涼宮。今日の活動はなんなんだ?」

「よく聞いてくれたわね」


 ハルヒはスイッチが切り替わったのかあっさり朝比奈さんから離れ、自分の椅子の上に立ち上がる。その椅子ストッパーついてるのか? 揺れているように見えるので、落ちやしないかひやひやする。


「ではこれより、第一回SOS団全体ミーティングを開始します」


 俺が拍手すると、古泉も拍手する。長門はビー玉みたいな目で本から視線を外し、朝比奈さんはぐったりしており、キョンは辟易。


「果報は寝て待て、昔の人は言いました。でももうそんな時代じゃないのです。地面を掘ってでも、空を破ってでも、異界の扉を開いてでも、果報は自分で探すものなのです。だから探しましょう!」


 そんなものを見つけられたら俺はすぐに元の場所に帰れちゃいそうだ。少し寂しいがハルヒがそれを望むなら、大人しく帰るつもりだけどさ。


「何を?」


 誰も聞かないのでキョンが聞く。


「この世の不思議をよ。市内くまなく探索したら、一つくらいは転がっているでしょ。あ、ちゃんとみくるちゃんとヒカリは可愛い恰好してくるのよ。あなたたちの仕事はわかってるわね」

「不思議事件からのナンパ待ちだろ」

「そういうこと! 明日九時に北口駅前に集合よ。来なかった奴は市中引き回しの刑だから」


 市中引き回して。どっちにしろ市中引き回しになるのは知ってるぞ。ちゃんと原作通り死刑って言えよ。死刑のほうが語呂もいいし。なんか、俺のツッコミおかしくなってないか。


「ヒカリ、あんた普段どういう服着るの?」

「パーカーとか」

「全然ダメ。ちゃんと可愛い服買ってきなさい。いいわね」

「異議あり! 裁判長。今からじゃ服は買いにいけません。かといって、九時じゃ店は開いていません」

「いいでしょう。十一時にしてあげるわ」

「交渉成立。それじゃ、明日十一時にな」


 ハルヒはご機嫌に俺の頭を撫でまわす。俺はなすがままになって、くしゃくしゃの犬みたいな髪のまま、鞄を拾い上げた。


「古泉、今日は何食う? なんでもいいはやめろよ」

「そうですね。では和食で」

「把握。聞いた通り、俺明日先に出るわ」

「置いて行かないでください。一緒にいきますよ」


 キョンがこちらをジト目で見ていた。ふふーん。ハルヒに撫でられたかったら、模範解答をするんだな。そう思って見上げたハルヒもまた、なぜだか難しい顔をしている。おかしいな、と思った時はその感覚に従うべきだ。もうちょっと古泉とのBF感を匂わせておくか。


「じゃあ古泉が服選んで。俺、あんまわかんないから」

「構いませんよ」


 このやり取りでもハルヒの機嫌は全然良くならないようで、俺は首を捻る。なにせバニーコスが恋のABCのAにあるようなやつだ。ちょっとやそっとではイチャイチャとは認めないんだろう。


「じゃ。長門、朝比奈さん、キョンもまた明日な」


 三人も帰り支度を始めて、俺はくっついているハルヒを見上げた。


「涼宮は俺たちと一緒に帰るか?」

「……ううん、あたしも帰るわ」


 と、ハルヒはキョンを見る。どこかその目は困ってるみたいに見えた。キョンと一緒に帰りたいんだろうか。朝倉のシーンまでは一緒に帰らないのが本筋だが、まあ、そのくらいの後押しはいいだろう。


「キョンは涼宮と方向一緒? じゃあ二人で帰ればいいんじゃないか」

「なんであたしがキョンと帰らないといけないのよ」


 ハルヒは、ぱっと俺から離れる。うーん、まだデレじゃなくツンだったか。アシスト失敗。怒られるかもしれないので古泉の後ろに隠れておこう。

 とはいえこいつの背はでかすぎるから、ハルヒが見えない。ひょっこり顔を出してみると、ハルヒの表情は怒っているというよりも困っているようだった。なんだよその顔。今の俺は物理的にも古泉に密着してるというのに。


「じゃあね。ヒカリ、遅れるんじゃないわよ!」


 なんとも納得のいかない顔で、ハルヒは猛ダッシュで部室を出て行ってしまった。もうなにもわからん、あいつのことは。


「涼宮は知らんが、朝来た方向を見るにお前たちとは途中まで一緒みたいだな」

「お、じゃあキョンも途中まで一緒に帰ろうか。SOS団、男子親睦会的に」

「……いいですね。それではお二人とも、失礼」


 言うが早いか長門は帰り支度を済ませ部室を出ていく。朝比奈さんは制服に着替えないといけないから残ったみたいだ。それにしても古泉、その無駄なタメはなんだ? 必殺技でも出るのか?




 俺たちは男三人、長い長い下り坂をおりていく。なんだかんだいって、ハルヒのやつが俺といる時間って少ない気がするんだよな。あいつが俺のことを避けてるのか? まさか古泉と俺のことを気にして二人でいさせようなんてことは……ハルヒに限ってないだろうけど。明日はもっと話せたらいいなあ。


 さて、俺はここまでに感じた「意外だな」という出来事についてもっと精査しておくべきであった。とはいえ、異世界人としては生後二日目みたいなもんだ。多分、未来から電話でも来ない限り、結末は変わらなかったんだろうけどさ。

 そうやって俺は色んなことをスルーしたまま、当日を迎えてしまうことになる。明日の土曜日、俺としても待ってましたと興奮してしまう重要イベントだ。

 SOS団市内探索ツアーの決行日が、とうとうやってくる。

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