第17話【運命の選択肢】
大きな戦場を経験したことのない俺にとって、これほど多くの人々を見たのは、はじめてである。
まるで、都市のなかを巨大なムカデが這い回っているような感覚を受けて具合が悪くなった。
ターブルロンド帝国には、イストワール王国と違って大都市といえるような場所が、ここにしかない。だからこそ、帝都に多くの人間が集まるのだそうだ。
気色の悪い人間の群れも、帝都に住む人達にとっては、日常なのである。
アルウィンから帝都の様子を目に焼きつけておいたほうがいいと耳打ちされた。
俺が、気分が悪くてそれどころではないと拒否すると、目を丸くしてにこやかに笑う。
強烈な匂いもしてきた。高貴な女性が、身体に塗りたくるような花の香りだ。
アルウィンが言うには、これは花の香りではなく茎や葉が放つ匂いだという。現皇帝が、好むフローラルを帝都に充満させているらしい。
シルト・アーレンスは、アルウィンが帝都に詳しいことに驚いていた。
用意していた台詞の全てをアルウィンに言われたと、笑うしかないといった感じであった。
シルト・アーレンスは、帝都に入ってから表情や口調が柔らかくなったと感じる。
午後の活力に満ちた日差しが、馬車のなかにも差し込んでくる。
帝都に到着したときは、揺られているよりも外を歩きたいと思った。
何故なら、このお互いの心を読み合う雰囲気は好きではないからだ。しかし、帝都の群衆を見てからは自由行動が制限されていることを喜んだ。
「リシャール、大丈夫かい?」
アルウィンは、俺の肩に手を置く。車輪が跳ねる音と振動が、なぜだか心地よく聞こえる。
「大丈夫だ。それにしても、この人だかりは最悪のお出迎えだな。ここに住みたいって本気で思うのか? これを見ても?」
「そうだね。帝国の民ならば、誰もが憧れる場所さ。僕が、はじめて帝都に来たときもこんな感じだったね。ああ、あのときは死にかけた大道芸人を助けたんだっけ……」
アルウィンの口調は、遠くの誰かに語りかけるようであった。昔話を聞きたい気分ではないが、大道芸人を助けた話に少しだけ興味が湧く。
「こんな大都市には、危ない芸で人々を楽しませてお金をもらう人種がいてね。僕が、幼少の頃に父上と帝都に来たときにもたくさんいたよ」
荒くれ者に襲われて虫の息であった大道芸人を救ったときの話を語りだした。
大道芸人は命をかけた芸を披露して、得ることができた僅かばかりの投げ銭を奪われたのだ。
救われた大道芸人は、笑っていたらしい。幼いアルウィンは、悲しくないのかと問いかけた。
「リシャール、その大道芸人はこう言ったんだ。殺されかけたことでさえ、自分の芸のコヤシだとね。何故なら、僕のような変わり者が助けてくれたし、こうしてお金も得られたんだからってね」
アルウィンは、軽く笑った。血まみれの顔で笑顔を見せた大道芸人の表情を思い出したのだろうか。
「俺と同じか……」
俺は、ピエロとしてサーカスの見世物だった。サーカスの団長に復讐を誓って、実行する日を待っていた。
俺も大道芸人も、物好きなアルウィンに救われたのである。
「違うよ。リシャール。彼は、翌日に帝都の溜め池で死んでいたんだ。君とは違う。与えられた現状に満足して、不条理を受け入れた。痛みや苦しみを利用する強かさはあったけれど。不条理を受け入れたんだ」
アルウィンは、目を細める。眉をひそめた童顔に哀れみの感情はない。水死体になった大道芸人を唾棄すべきものとして見ていたのだろう。
戦史にも乗っている有名な言葉を思い出した。運命を切り開けるものは、運命を呪うものだ。
運命におもねったり、利用するのではなく反逆して運命を殺すものこそが自由を得る。
馬車の外から聞こえてくる人々の声は、運命を後生大事とたたえて血まみれの笑顔を浮かべる者たちなのだろう。
「僕はね、リシャール。大道芸人にお金と短剣を渡したんだ。どちらか選べって。大道芸人は、すぐさまお金を取った。何度も頭を下げて感謝していたよ」
「もし、短剣を選んでいたら?」
アルウィンは、揺れる天井を見つめながら溜め池に浮かんでいたのは、荒くれ者だっただろうと、酷くつまらなそうに答えた。
車輪の音と人々の話し声や客引きの声だけが、馬車のなかで響く。シルト・アーレンスも目を閉じたままで何も語らない。
俺は、小さくため息を吐いて戦史を読むふりをした。
幼いアルウィンは、そこまで考えて大道芸人に選択肢を与えたのだろうか。いや、昔話じたいが嘘で何かの比喩なのだろうか。
✣
「そろそろ城門が見えてくる。ふたりともここからは、常に政治の場だ。発言や行動には注意してもらいたい。一切の誘いに乗らず。淡々と魔王討伐の報告と恩賞を賜って帰郷して欲しい」
シルト・アーレンスは、窓の外を見ながら早口に言う。先ほどまで聞こえていた人々の歓声も聞こえなくなり、車輪が跳ねる音もしない。
窓から見える景色も変化していた。建物や民衆の姿は見えなくなっており、空や遠くの山岳地帯が見える。
俺たちの乗った馬車は、帝城へと向かう橋の上を走行しているようだ。
俺にとって、今回の登城は恩賞を受け取って英雄になるための一歩だ。政治などに興味はない。
剣の柄を握る。自分の手が震えていることに気づく。もう少しだと自分の心に言い聞かせる。
俺が、運命を呪って殺した結果を得るときは間近に迫っているのである。
第一章第17話【運命の選択肢】完。
黒曜 隠れ里 @shu4816
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