第16話【小さな世界】

「リシャール、移動の馬車の中で政治ははじまっているからね」


 俺が、護送の馬車に乗るまえにアルウィンは耳打ちをしてきた。いつもと同じ口調であったが、童顔からは殺意が感じられた。


 貴族間の政治闘争に興味はない。しかし、今回の雰囲気は、そんなものではないと理解できた。出迎えに来た騎士が、俺を見ているからだ。


 正直に言って気持ちが良かった。今までの貴族どもは、アルウィンしか見ていなかったからだ。


 しばらくは、何も語らなかった。騎士は、値踏みするように俺の所作を確認している。アルウィンも無言であり、馬車のなかは車輪の音が支配していた。


 俺は、時間を潰すために読みかけの戦史をひらく。少し窓枠の方により、熟読できる体制をとる。


「リシャール殿、イストワール王国との戦争についてどのような所感をお持ちか?」


 騎士は、沈黙を破って質問をぶつけてくる。語らずとも、まともな答えが返ってくるとは思ってはいないのが分かった。端的に言えば、馬鹿にしている。


「今のままでは、ターブルロンド帝国の負けだな。イストワールの動きに合わせただけの後手後手の対応だ。現場の兵士の士気頼りなのが、痛々しい」


 俺は、アルウィンを横目で見た。少しは動揺したかと期待したが、相変わらずのおさな顔だ。


「…………」


 騎士は、うつむき加減になるが無表情で何を考えているかは読み取れない。


「盤面だけを見れば、我々の負けだ。リシャール殿のおっしゃるとおり。しかし、ゲームと違うのは戦争には裏面があるということです」


「策があって、前線をあえて押し上げないと? 敵を引き付けている……」


 騎士は、顔を上げた。無表情が少し崩れ、口角が僅かに上がった気がする。


 気に入らない。アルウィンとは、違った意味で人を食ったようなやつだ。


「そのとおりですよ。例えば、ゲームでは自軍の駒は絶対に自軍の駒のままだ。敵に取られて、使われたりもしますがね……」


 馬車が、上下にゆれた。車輪が縁石に乗り上げたのだろう。小さなタルが、倒れて転がっていく。


「…………イストワールに裏切り者。もしくは、スパイがいる? あり得ないな。なぜなら、イストワール王国はリュンヌ教国と兄弟国だ。いわゆる神の血を引く選ばれた民、だとうぬぼれている。俺たち、ターブルロンドを建国したのは……」


 騎士は、俺に片手を向ける。発言が気に入らなかったのだ。ターブルロンドの建国は、民に誇れる歴史ではない。


 俺も、それは知っている。無表情を崩さない男への嫌がらせになると思っての発言だ。


「リシャール殿は、お若い。戦史や戦記をかなり熟読されてきたのだろう。ルグラン子爵の教育が素晴らしいのでしょう。……度胸もある。しかし、人間は名誉と血筋だけでは生きていけないものですよ」


「金か……力か……。イストワール王国に無いものは無い。強大で偉大なる祖国を裏切ってまで得たいものがあるのか? 一般人ですらイストワール王国に生まれたことを涙ながらに喜ぶ。ターブルロンド帝国に与する利益がなさすぎる」


 俺は、アルウィンの顔を見た。助言が欲しかったわけではない。この不毛すぎる議論を終わらせてほしかったわけでもなく。なんとなく気になったのだ。


 本当にわからない。騎士の言ってることは、イストワール王国に裏切り者がいると確信しているうえでの発言である。


 再び、沈黙がつづく。俺は、青白い鎧に身を包んだ騎士の顔を見続ける。


(香の匂い…………。これは、天昇の際に使われる香料だな。このいけ好かない騎士から臭ってきやがる。貴族の葬式でもあったのか……)


 今まで、気付かなかったのは警戒心のせいだ。アルウィンが、無駄な警告をしてくれたせいでもある。ところが、帝都の頭脳どもは裏切り者を期待してるだけの頭しかない。


 そんな奴らに臆する必要なんてなかったのだ。俺は、短く息を吐くと時間の無駄とあからさまな態度で、戦史を読みはじめた。


「どれだけの名誉と力。金を持っていてもくつがえせないものがある。それは、地位だ。歴史ある国だからこそ生まれ持った地位は、くつがえせない。受け継がれてきた血は汚せない。裏切る理由には、十分すぎる。リシャール殿も、そのうちに分かるだろう」


 俺には、なぜか騎士がまとう青白い鎧が純潔と誇らしさの象徴に見えた。絶対的な自信である。


 そのうちに理解できる? 上から目線が帝都の売り物だ、とアルウィンは言っていた。


「シルト・アーレンス卿。皇子は、みまかられたのか?」


 アルウィンは、護送の馬車に乗ってからはじめて口を開いた。静かで、鋭い口調だ。


 シルト・アーレンスと呼ばれた青白い鎧の騎士は、瞳孔を開かせた。無表情だった男が、はじめて見せた感情である。


 俺は、床に爪を立てた。指先に痛みがはしる。


「ルグラン子爵、どこから情報を?」


 シルト・アーレンスは、アルウィンの方へ体を向ける。その額から汗がしたたる。


 俺は、震える手を押えて戦史に目を落とした。しかし、一文字だって目に入らない。


「陛下のご様子は?」


「もとより、年老いて元気がなかった。しょせんは、三男。大皇帝、皇后両陛下に期待もされずに育った。今は、日がな一日、帝都の幻想の間で呆然としている。もう終わりだろう」


 現皇帝が、誰からも期待されていなかったのはアルウィンから聞かされていた。この国の太陽のなかでも、ひときわ中天をいただく男のはずだ。


 俺が、ターブルロンドが勝てないと思う理由のひとつがこれだ。過去の歴史を見ても、頂上に輝く太陽が陰るなら地上は夜と変わらない。


 そんな国に未来はないのだ。


 アルウィンは、シルト・アーレンスに身を寄せた「陛下には、もう一人。お子がいらしたはずだ。どこにいらっしゃるか…………」ささやくような口調は、答えを知っているかのようだった。


「確か……。娘だったね。アーレンス卿?」


 シルト・アーレンスは、目を閉じて息を吐いた。天を仰ぐような表情を見せた。これが、議論ならアルウィンの勝ちだ。


(この議論に勝っても、戦争に勝てなければ意味がない。アルウィンは、何をどこまで知っているんだ。まさか、戦争の勝ちまで見えているのか?)


「行方は、追っています。宮廷魔術師によればまだ生きていると。なんとしても探し出す。今、遂行中の作戦が成功すればターブルロンド帝国は、大帝国となる。そうなれば、リュンヌ教国から婿を迎えることも可能となる」


 シルト・アーレンスは、アルウィンを見つめる。俺に対する興味は米粒ほどもないのが、伝わってきた。戦史を持つ手が震える。


 俺は、英雄になる。将軍になれば、騎士団を動かせる。政治とやらでは、勝つことができない。小さな勝利でも良いのだ。


 イストワール王国との戦いに勝つことができれば良い。俺の覇道を成すためには、まだまだ忍耐が必要なのだろう。


 このような小さな空間で、人間の価値など示すことなどできない。


 いずれ全てを手に入れる。俺は、戦史を引き裂きたい気持ちをおさえ、自分の未来を思い描く。


 第一章第16話【小さな世界】完。

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