終章

「その顔の刺青は、そいつを探しやすくするためか」

 俺は、やっとそのことに言及することができた。男の顔面には、カラスの刺青が羽を広げていた。

「はい。この刺青のせいで、いろいろと大変な目にも遭いましたがね」

「そもそも、入れるのは痛かっただろう」

「はい。でもまあ、思いきればたいしたことはありませんよ。あの人を知っている人がいれば、向こうから話しかけてくれるかもしれないと思いましてね」

「そうかな。逆にさけられるかもしれねえよ」

「それならそれでもいいのです」

 男はグラスを傾けてから言った。

「あなた、もしかして、あの人のことを知っているんじゃありませんか?」

「まさか。なんでだよ」

「最初から、なんだかわたしに言いたいことがあるような感じがしたので」

「珍しい刺青だから、どうしてそんなもんを入れてるのか気になっただけよ。いきなり訊くのは失礼かと思ってな」

「そうですか」

「そもそも俺ぁ、あんたの話を頭から信じたわけじゃないんだ。失礼だが、あまりにも突拍子もないんでね」

「確かに、証拠のない話ですからね」

 男は鞄の中に手を突っ込み、なにかを取り出してテーブルに置いた。

「これも、証拠としては弱い」

 それは、茶色がかった白の物体。手のひらに載るくらいの大きさで、羽を広げた大きな昆虫か奇妙な鳥のような形の、固そうなもの。

「少し欠けてしまいましたが、手放すことはできなくて。母の蝶形骨です」

 男は、自分の眉間を指先で軽く叩いて見せる。

「人の目の奥にある骨で、ほかの骨と接していますから、綺麗にこれだけを取り出すのはかなり難しい。火葬すれば崩れてしまうし、これを取り出すという文化は、どの地域にもありません。そこらの医者は、存在も知らないかもしれませんね。人の骨だということはわかると思いますが」

「『あの人』とかいうのは、どうしてそんなことが可能だったんだ?」

 俺は怯えを隠したかったが、きっとそれは成功していなかっただろう。死体は何度か見たことがあるが、その骨の形は、なんだか化け物じみている。

「さあ。わかりません。再会したら、尋ねてみましょうかね」

 本当に再会することがあると思っているのか、嘯いているだけなのか、俺にはわからなかった。

 壁の時計を見ると、もう夜が明け始める時間だった。

 男も、俺の視線の動きを察したように時計を見た。

「もうこんな時間ですね」

「そうだな。いい加減俺は帰らねえと」

 俺は椅子から立ち上がった。

「あんた、今日この町を発つんだったよな」

「はい」

「一睡もしないで出発するのか?」

「早めに次の町で宿を探して休みます」

「……そういえば、あんたと俺が同じなんじゃないかって、あれ、どういう意味だい?」

「なんとなくそう思っただけですよ。自分でも、なにをしたいのかわからない。それなのに、よくわからないまま行動してしまう。そういう、わたしと同じにおいを感じたといいますか。どうですか」

「さあな。どうだろう」

 楽しかったがもう帰る、と俺は別れの挨拶をし、向こうもあっさりと挨拶をした。それだけだった。

 薄暗い道を歩き、家に帰り着く頃には、白い光が空気にあふれるように増えていった。

 リビングで、妻が椅子に座っていた。

「お帰り」

 妻は怒る様子もなく俺を見る。

「どうしたの? 帰ってこないから心配した」

「旅人と話し込んでた」

「旅人と? よっぽど気が合ったの?」

「いや、まあ、そんなところだ。そいつの身の上話を聞いてるうちに、朝になっちまった」

「へえ、そうなの」

 妻は立ち上がり、窓に近づいて開けた。妻の毎朝の日課、見慣れた動きだった。

 その時、妻がよろめいて、顔を片手で押さえながら、後ずさった。

 窓の外を見ると、あの男が立っていた。カラスの翼に開いた目が見開かれ、右手にはナイフを握りしめている。

「なにすんだてめえ!」

 怒鳴りつけると、男は驚いたように走り去った。

 見返ると、妻の顔には大きな傷ができていた。妻は、大きな裂け目を右手の指先でふさごうとするようにつまんだが、すぐに諦めたように手を下ろし、言った。

「張り直さないとだめかもね」

 皮をなめしてつくった人工皮膚の裂け目は、妻の目と同じ色に輝いた。了


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カラス咲く顔 諸根いつみ @morone77

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