第33話

 あとはご想像の通りです。助かった人と、助からなかった人がいました。わたしは余裕で助かった口です。アダレイのおかげで。アダレイは悔やんでいました。自分が自分の安全を優先して背を向けなければ、助けられた人がいたかもしれないと。何日か一緒に過ごした崖下の穴の中で、汚い顔を涙にぬらしていました。しかし、あの人がアダレイの言葉を聞いたとしても、全員を避難させることは無理だったと思います。あの人には、限界が近づいていたんです。

 山に響いた轟音が収まってしばらくしてから、アダレイとわたしは村に戻り、わたしはあの人の姿を探しました。家をなぎ倒し、村を覆った泥と岩の中から突き出されてもがく、あの人の腕があるのではないかと。しかし、そんなものはありませんでした。もしあの人が限界に瀕していなければ、きっと、泥に飲み込まれようと、岩に押しつぶされようと、自力で這い出し、一人でも誰かを救おうと、土砂を掘っていたと思います。その姿が見つからなかったということは、あの人もほかの人と同じように、人のようになったということでしょう。タリアとタリアの家族も、見当たりませんでした。

 ヒューはもしかしたら、助かったかもしれません。生存者の中には見当たりませんでしたが、すでに村を出ていた可能性もあります。まあ、わたしには関係ないことですが。

 わたしは、アダレイに別れを告げず、ある明け方、歩きだして一人になりました。アダレイに恩返しをしようにも、なにも思いつかなかったので、誰にもなにも言わず、あてのない旅を始めたのです。わたしのことを誰も知らない場所で、違う自分になろうと。もし、村が崩壊することがなかったとしても、わたしはそうしていたかもしれません。ともかく、わたしの時機は訪れました。

 旅の初めのころは、すべてを忘れようとしました。しかし、忘れるために人と関わろうとすればするほど、自分のだめさが身にしみて、わたしはあの村だからこそ、普通のまともな人間であるフリができたのだと思い知らされました。みんなが家族のようなつながりがあったから、主体性がまるでなく、流されるばかりで、気遣いのひとつもできないわたしでも仕事が務まったのです。わたしは、なんとか自分を変えようともがきました。

つらい夜が続く中で、慰めになるのは、村での記憶でした。恐ろしくても、耐え難くても、村は唯一、わたしが本当のわたしでいられた場所でした。空虚で愚かであっても、あの頃のわたしは、もういない真実のわたしだったのです。わたしは何度も自分の記憶をなぞり、何度も過去に沈むことで現実に耐えました。忘れることなどできはしません。もし忘れれば、わたしは本当に空っぽになってしまいます。あの頃のわたしより、今のわたしのほうが、知力も体力も優れていても、それになんの意味があるでしょう。楽に生きられるという意味しかない。それは大きなことだと思いそうになる時もありますが、楽に生きたとして、それがなんだろうと思うのです。心の底から、なにか大切だと思えることでなければ、なにも意味を成しません。

ずいぶん時が経ってから、わたしは故郷の村があった場所へ戻ってみました。正確には、その場所には近づくことができず、遠目に確認しただけです。山自体が削られ、木は伐採され、見る影もありませんでした。山裾には、林業や土木工事に従事する人たちがあふれ、活気に満ちていました。

あの人が地面に埋まったとしたら、見つからないはずがありません。しばらく山裾の町に滞在し、山で働く人々の話に耳を傾けましたが、あの人の噂は聞くことができませんでした。土砂の中でバラバラになったか、誰かが持ち去った可能性も考えられますが、長い年月を生き抜いたあの人が簡単に壊れたり、捕らえられたりするのは不自然に思われました。見つかってはいても、時間が経って話題に上らなかったり、あの人の存在が不思議だと思われていないという可能性も考えましたが、方々を旅してきて、わたしはあの人と同じような存在に出会ったことも、話を聞いたこともありません。忘れ去られているとは考えにくいと思いました。

恐らくあの人は、時間をかけて地面から這い出し、自らどこかへ姿を消したのでしょう。そう思うと、またどこかで出会うのではないかと思わずにはいられませんでした。それを恐れているのか望んでいるのか、最初は自分で自分の気持ちがわからなかったのですが、さらに旅を続けるうちに、わかりました。わたしは、あの人と再会したいのです。会ったあと、どうするかは決めていません。戦うのか、話すのか、誰かに引き渡すのか。とにかく、わたしのあてどない旅はいつしか、あの人を探す旅になってしまいました。

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