第30話

 わたしはただみんなの後ろについて行きました。誰もわたしのことなど見ておらず、気にかけてもいないようでした。気を遣ってそっとしておかれていたという可能性もありますが、所詮わたしはただ黙って働くしか価値のない存在で、異常事態の中心近くにいても、下っ端の隅っこののけ者としてしか扱われないのだということが、ひがみではなく事実に思えました。

 初めは、村長の言葉に盛り上がり、村人の大人のほとんどが小屋に詰めかけようかという勢いに見えましたが、いざ小屋にたどり着いてみると、村長とヒュー、タリアとわたししか残っていませんでした。ほとんどの人が、途中で恐れをなして引き返したのです。ヒューは思いつめたような顔をして、タリアは、自分のことは空気だと思ってくれとでも言いたそうに、ひっそりとついてきていました。

 小川を越え、小屋のドアの前に立った時、村長は少しためらったようなそぶりを見せました。村長といえども、あの人を訪ねるということは、今日の今日まで想定外。なにかやましいことがあったのかどうかまではわかりませんが、大人があの人と会ってはいけないということは村長の中にも刷り込まれ、恐ろしかったのでしょう。

 村長はドアをノックしました。すぐに「どうぞ」という凛とした声が中から聞こえましたが、村長はドアを開けようとしませんでした。

 村長は名乗り、「お尋ねしたいことがあります」とドア越しに声を張りました。

「どうぞ」

 返事をするあの人の声は、わたしが小屋に通っていた頃とちっとも変りませんでした。

「ミサのことです。ご存知ですよね?」

「はい」

「申し訳ありませんが、そのことについて、ご説明をいただきたいのです。ミサがなにをしたのか、どのような判断がなされたのか」

「ミサは、昨日の朝、ここにわたしを訪ねてきました。夫を殺したから、自分を殺してほしいと」

 説明はあっさりとそれで終わったようです。後ろにいたわたしは思わず、「嘘だ!」と叫びました。

「母さんが、僕に黙ってそんなことするはずがない」

「ミサは言いました。息子はもう大きいから、わたしがいなくても大丈夫だと」

「嘘だ嘘だ」

 わたしは、村長を押しのけて前に出ました。押しとどめようとする村長の手を振り切り、ドアを開けました。

 白いワンピースを身につけたあの人が、床の上に正座していました。その膝の横には、赤黒く汚れた布切れと、手の平の載る大きさの、奇妙な鳥か虫のような形のもの。暗がりの中で、それは不思議と白く輝いているようでした。

「僕の心を読んでみろ。僕が父さんを埋めたんだ。喜んで埋めたんだよ。僕のことも殺すか?」

 その時のわたしは、本当に殺されてもいいと思っていました。頭をえぐられようが、空が落ちてこようが、どうでもよかったんです。

「殺しません」

 まったく容姿の変化がないあの人は、カラスが描かれた顔をわたしに向け、子供を諭すように言いました。

「わたしは、本当に悪い人だけを排除します。あなたの罪は、命をもって償うほどのものではありません」

「お前が勝手に決めることなのか? 決めていいことなのかよ」

 村長が「落ち着いて」とわたしの前に出てわたしを抑え、ヒューが前に出ました。

「はじめまして。わたしはもともとよそ者ですが、訊きたいことがあります。あなたが従っている法律は、いつのものですか?」

「百二年前に制定されたものです」

「驚いた。前時代じゃないか。前時代では可能だったのかもしれませんが、今は、一人の人間が罰を決めて執行していい時代じゃないんです。そのことは知らなかったと?」

「知りませんでした」

 あの人は、まったく悪びれもせずに言いました。

「つまり」

 ヒューは声を震わせながらも続けました。

「あなたのしたことは不当でしょう。ミサを殺したことは間違っていた。そのことを認めてください」

「わたしは、命令に従っただけです」

「命令?」

「この村の人々の命と秩序を守るという命令です。わたしの知っている法律は古いのかもしれません。しかし、法律に先んずる自然法というものがあります。人が人を殺すのはいけないことです。被害者が成人ならばなおさらです」

「子供なら殺してもいいってことですか?」

「そうではありませんが、成人を殺すことのほうが、罪としての成立条件がそろいやすいです」

「なにを言ってるんですか」

「わたしは、与えられた情報をもとにお話ししています」

「古すぎる情報ですね。従ったっていう命令だって、どうせ古いんでしょう」

「わたしに命令を与えたのは、九十年前のこの村の人々です。土に埋まっていたわたしを助け出してくださいました。わたしはその恩に報いるために、この村に尽くすと誓いました」

「九十年前?」

 やはり、あの人は普通の人間ではないのだと思いました。あの人の外見は、三十歳以上には見えませんでした。

「とにかく、あなたが刑の執行をするというのは間違っています。いくら自然法でも、人を殺したら直ちに死刑なんて、そんなことが正義だとは認められていないでしょう」

「わたしは決まりと命令に従うだけです」

「だから、その決まりと命令が間違っているんです」

「どうしてそんなことが言えるんですか?」

「現在は、裁判で量刑が決められています。あなたの行動は現在の法律に違反しています」

「先ほど申しました通り、わたしが従っているのは現在の法律ではありません」

「だったら、あなたの行動は間違っているということになる」

「どうしてですか?」

「え? わからないんですか?」

「あなたが従っている法律と、わたしが従っている法律が違うだけであって、間違っているかどうかということではありません」

「古い法律に従うより、新しい法律に従うことのほうが正しいに決まっているでしょう」

「そうではないと思います。法律が改悪されることだってあるでしょう」

「あなたがミサを殺したことは、あくまでも正しいと言い張るんですか?」

「正しいかどうかはわたしが考えることではありません」

「自分の行動なのに、考えることではないって言うんですか?」

「自分の行動は、自分で考えて決めています。例えば、わたしはこの村の人々を守るために、ほかの村から食料を盗みました。難しい判断でした。盗みはいけないことですが、わたしがそれをしないと、この村の人々の何人かは飢え死にしてしまうと判断して、盗みをすることを決断し、行動しました。わたしがした行動は、すでにわたしによって熟慮されています。すでにされたわたしの行動について正しいかどうか、わたし自身が考えることに生産的な意味はありません」

「その時は正しいと思っても、あとから間違っていたと気づくことだってあるでしょう。みんなは、ミサのことについて納得していません。そのことについて、もっと説明してくれませんか」

「ミサは夫を殺しました。これ以上の説明が必要でしょうか?」

「夫がミサにしていた仕打ちのことはご存知ですか?」

「知っています」

「罪を犯さずに済んでいる人というのは、恵まれているんです。恵まれなければ、人は簡単に罪深くなる。それは本当にその人だけの責任ですか?」

「人が人を殺すのはいけないことです」

「それなら、あなただって悪だ。人を殺しているんだから」

「わたしは人ではありません」

 あの人はあっさりと言いました。しかし、誰も驚いた様子はありませんでした。

「……人ではないなら、人の気持ちはわからないでしょう。ミサの苦しみを理解できないあなたに、人を罰する資格はない。自分は人より上の存在だと言いたいのかもしれませんが、傲慢ですよ」

「わたしは人より下の存在です。わたしのすべては人から与えられました。人を罰する資格も、人から与えられたのです」

「……確かに、前時代の人々は、自らの責任から逃れることで幸福を得ようとしたと聞いたことがある。でもやがて争いが起こり、回帰運動が起きたと。あなたは、前時代の遺物です。あなたに資格を与えた人々はもういないし、その人々の思想も駆逐されました」

「わたしの資格、権限をはく奪したいなら、その技術と権限を持った人のところへ連れて行ってください」

「技術と権限を持った人?」

「詳しいことはわかりません。恐らくそういう人がいると思います」

「ふざけるな。あなたの行動はあなたの責任でしょ!」

「ヒュー、このお方に一般的な理屈を説いても仕方ありません」

 村長が今度はヒューを押しとどめました。

「もう諦めましょう。事情はわかりました。帰ってみんなに説明しなくては」

「僕、この村を出て行きます」

 ヒューはあの人から目をそらし、きっぱりと言いました。

「そして、その技術と権限を持った人とやらを探しだして、また戻ってきますよ」

「どうぞ自由にしてください。わたしは、そんな人はもういないと思いますが……」

 村長はそそくさと小屋から出て、わたしとタリアの名前を呼びました。それから、道を行きながらぶつぶつと、「あんまり長くあそこにいるもんじゃない。あのお方は村に必要だけど、わたしたちとは相いれないんだ」とかなんとか言っていました。ヒューは小走りに先に行ってしまい、その後ろ姿は、そのままどこかへ飛んでいきそうでした。

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