第29話
次に記憶にあるのは、広場に村の人々が集まり、恐怖に染まった顔を突き合わせている場面です。憶えていませんが、わたしはあの小道を駆け戻り、みんなに母の死体を見つけたことを話したようです。
「本当に顔が爆発していたんだな?」
「どういうことだ」
「ミサがなにをしたっていうの?」
「やっぱり、遺体を確認しないと」
「弔ってやらないとかわいそうだ」
「遺体はその、守護者が使うんじゃないか? 油を取って使うんだろう」
「でも、全部じゃないでしょう」
「誰が遺体を引き取りに行く?」
「そんなことより、どうしてこんなことになってしまったの?」
「説明を求めることはできないんですか」
「みんな落ち着いて」
村長が手を叩きました。
「守護者が必要な体の部位を取り除くのを待って、ミサを迎えに行きます」
村長はただちに、死体を運びに行くメンバーを選び、夕方になったら担架を持って集合するように指示を出しました。それ以外の人にも、弔いの準備をするように言いつけました。
「なにが起こったのか調べるのは、そのあとです」
みんなは、とりあえずするべきことを指示されて安心したように散って行きました。「元気だしな」などとわたしを励ましてくれる人もいましたが、言葉はわたしの表面を滑り落ちていくようでした。
「お父さんはどこに行ったの?」
わたしに近づき、そう尋ねてきたのはヒューです。顔は青ざめ、声が震えていました。わたしは答えませんでした。目の前で黙ったまま、完全に無視です。
ヒューは怒ることもなく、それ以上質問を重ねることもなく、黙ってわたしの隣にいました。ふと気がつくと、無表情のタリアが怯えた顔の夫と一緒に遠目にわたしを見つめていました。わたしと目が合うと、彼女は夫に声をかけ、立ち去って行きました。
それからずっと、わたしはヒューと広場の地面に黙って座っていました。わたしの脳裏に展開されていたのは、子供の頃、と言ってもそれほど前ではない昔、体をてらてらと光らせていた全裸のあの人が登場した場面でした。あの体表のぬめりは、人の油だったのです。母もあのぬめりになるのかと思うと、それがいいことなのか悪いことなのか、大問題のような気がして、わたしはそのことについて考えて結論を出そうとしましたが、さっぱりわかりませんでした。
村長の娘さんがパンを持ってきてくれましたが、口に入れる気がしなかったので、水だけをもらいました。どうやらヒューはわたしを監視しているつもりらしかったのですが、追い払うのも面倒なので無視しておきました。
そして夕方になり、広場に担架が運ばれてきました。村長に運び役として選ばれた真面目な男たちは一様に憔悴した表情をしていて、再び集まった人々は、その顔と、母の体の上にかけられた古びたシーツが顔の部分だけへこみ、血がにじんでいることで、もうその状態を察したらしく、目を伏せました。
村長だけが、シーツをめくって、母の顔、そして服装や手を確認しました。
「確かに、ミサだ。そして、守護者の仕業だということも間違いありません」
集団でため息が漏れたあと、誰かが言いました。
「ジョージを探したけど、どこにもいないよ」
「小屋の周りにもいなかったし」
「おとといの夜は食堂にいたけど、それから見かけた人は?」
誰も答えません。
「もういいよ。早く弔ってあげようよ」
そう言ったのは、いつの間にか人の輪の外にいたタリアでした。夫はさらに怯えてしまったのか、姿が見えませんでした。
そうだな、という雰囲気がみんなを包んだ時、「ちょっと待ってください」とさらに輪の外から声が上がりました。
「弔うのはいいですけど、それだけですか?」
そう言ったのはヒューです。
「納得できません。こんなこと」
「納得ったってなあ」
「そりゃあみんなショックを受けてるけど、起こってしまったことは仕方ないじゃない」
「僕が誤解しているかもしれないので、はっきり言います」
ヒューにみんなが注目しました。
「みなさんは、ミサがジョージになにかしたから、ミサは守護者に罰せられたと思ってる。この理解で正しいですか?」
みんなは沈黙で肯定しました。
「もしかしたら、ジョージは村を追い出されたのかもしれない。それとも、殺されて埋められたのかもしれない。なににせよ、それはミサのせいで、ミサは罰せられても仕方ないと、こんなひどい殺され方をされても仕方ないと、みんなそう思ってるんですか?」
「ヒュー、きみが言っていることは間違ってはいません」
村長がいつもの冷静さで言いました。
「でも、みんなを冷血漢のように言うのはやめてください。きみが怒っているように、みんなも同じように怒っています」
「そうだそうだ」
「ミサはいい人だった」
「親切で、働き者で、謙虚だったよね」
「美人で優しくて」
「それに比べてジョージは……」
「昔は大人しいやつだったんだけどな」
「事故に遭ってからおかしくなったんだよね」
「それにしてもひどいやつになっちまった」
「ミサはよく耐えてたよ」
「殺されても仕方ないよ、あいつは」
誰かが言った冷たい言葉で、場が静まり返りました。
「ミサも、殺されても仕方ないと?」
沈黙を破ったのはヒューです。
「僕も含めて、みんなミサが苦しんでいたことを知っていたのに、誰も助けてあげられなかった。彼女は間違いなく被害者です。それなのに、こんなことが許されるんですか?」
「こんなことっていうのは、守護者がミサを罰したことですか?」
と村長が言いました。
「罰したんじゃない、殺したんだ!」
ヒューは声を荒げ、誰かが、「やっぱりヒューはミサのことを……」とつぶやくと、ヒューは声を抑えて続けました。
「ミサと僕が不倫しているという噂が流れていますが、それは事実じゃありません。僕は同性愛者です。でも、人としてミサのことを尊敬していました。なにもできなかった自分が悔しい。このまま終わりなんて、そんなことには耐えられません。守護者と話をしてきます」
どよめきが起きましたが、反発の声は上がりませんでした。一気に放たれたヒューの言葉の情報量にたじろいだのかもしれません。
「村長、許してくれますね」
ヒューに見つめられた村長は、重々しくうなずきました。
「ヒューの気持ちはわかります。わたしも正直、納得には程遠い気持ちです。ここでこうして話しても、どうなるわけでもありませんし。こんなことになるとは想定していませんでしたが……」
わたしもみんなと一緒に、村長の言葉を待ちました。その時は、なんだか他人事のような気がして、やけに冷めた目でみんなを見ていたことを憶えています。
「一緒に、守護者のところへ行きましょう」
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