記憶

 角谷翔子かどやしょうこは車のスピードを緩め、窓を開けた。


「すみません、お尋ねしたいのですが」

「はい?」

「この辺りに、公園はありませんか?」


 歩道にいた買い物帰りらしき主婦は、一瞬警戒の色を見せたが、翔子の車の印字を見てすぐに状況を把握したらしかった。


『家事代行サービス エヴリィ』。


「ええ、そこの細い道を入っていくと、すぐですよ」

「そうでしたか。ありがとうございます」

の回収、ですよね」


 彼女は声をひそめる。好奇の目線をわずかながら感じる。


「ええ。遅くなってしまい、すみません——」

「いや、昨日の雪じゃしょうがないですよねえ」


 ありがとうございます、と軽く頭を下げ、翔子は再びアクセルを踏んだ。


 公園はすぐに見つかった。

 地図で見たまま、小さな敷地にベンチや滑り台が置かれているだけの空間だった。


 昨日の雪——実に三十年振りの記録的な大雪は、本来の地面を完全に覆い尽くし、一面をまっさらな白に塗り替えていた。


 翔子は、手前のベンチに目を向けた。


 雪を全身に被り、なおも座り続ける人形の姿。

 上司の報告通り、”彼女” はそこにいた。


 社が初めて採用した自律型家事代行ロボット「IRIS(アイリス)」初期モデル、製造番号00172210。

 記録によると、十年前の段階で一度「中古」扱いとなった半年後、別の顧客が購入している。


 そして昨日、前触れもなくその顧客の家から消え、約4km離れたこの公園でGPSの信号が止まっていた。

 

 翔子は”彼女”の側に寄り、擦り切れたが質感は残っている擬似皮膚や、本物のように艶のある黒髪を観察した。

 電源は切れており、発売当初の売りでもあった眼球——虹彩まで再現された精巧な眼は、光を失っている。


 翔子は感嘆の溜め息を漏らした。

 正直、今まで問題なく機能していたことが驚かれるほど古い個体だ。

 一晩この気温の中で放置されれば、当然たちまち壊れてしまうだろう。


 ふと、"彼女"の手元に目が留まった。

 よく見ると、"彼女"はただ座っているのでなく、何かを大事そうに抱えて背を曲げていた。


 その膝の上に乗っていたのは、錆びたブリキ缶だった。

 

 中身は何だろうか?

 翔子は雪を払い、蓋を開けてみる。

 ポツンと一つだけ、茶封筒が入っていた。


 封筒の中には、数枚の便箋。角張った文字が隙間なく並んでいる。

 最後の一枚に、差出人の名を見つけた。


 そして急速に、鼓動が高まるのを感じた。


 これは——。


 翔子はポケットから端末を出し、製品情報を再度確認する。

 やはりそうだ。

 「中古」の状態になる前の持ち主、つまり”彼女”を十年前に手放した顧客、その契約者名が「一ノ瀬直哉」。

 

 購入から二十年の後、この契約者が死亡したことにより、『エヴリィ』が製品を回収することになったと記録されている。


 翔子は目を時折滑らせながら、手紙の全文を読んだ。


 今回の製造番号001722101に見られた「誤作動」について、翔子たちは経年劣化による故障が原因だと推定していた。

 年数を考えれば妥当であるし、よくあるとは言わないまでも、こういったケースは珍しくなかった。


 しかしここに来て、悩ましい問題が発生する。

 この公園に”彼女”がいることを、どう説明すれば良いだろう。


 「中古」扱いとなった製品については、必ずメモリの初期化が行われいるはずなのだ。


 目的のない徘徊の末、偶然にこの手紙に記された地へ導かれ、足を止めたのか。

 いや、あまりにも確率の低い話だ。


 そもそも手紙はどこから出てきたのか。

 探し始めてすぐに、ベンチの真下に何かが掘り返された跡を見つけた。


 ——”彼女”がやったに違いない。

 翔子はあり得るはずのない仮説を、とうとう捨て切ることができなくなった。


 昨日の、三十年振りの大雪。

 三十年前は、一ノ瀬直哉が”彼女”と出会った年でもある。


 メモリの消去作業では影響されなかった何らかのデータが、”彼女”の中に残り続けていた。

 それが、あたかも「一度は忘れた思い出」のように、三十年振りの大雪がトリガーとなって蘇る。

 

 この公園にたどり着き、一ノ瀬直哉の手紙をタイムカプセルのごとく掘り出し、彼との「思い出」を抱きながら朝を迎え——。


 翔子は目を覚ますように首を振った。


 いや、やはりあり得ない。

 想像が飛躍しすぎている。機械がメモリに「愛着」を抱くはずがない。


 ひとまず端末で本社へ、該当製品を発見した旨の連絡をする。

 回収作業を始める前に、まず積りに積もった雪を取り除かなくてはならなかった。


 翔子は”彼女”の肩の雪を払おうと、手を置いた。

 が、触れた途端驚きで体を引っ込める。


 温もりが、体温があった。

 まだ電源は完全に切れていなかったのか?

 翔子はもう一度、その人形の目を覗き込む。


 そして息を呑んだ。


 先ほどは確かに見られなかったはずの、輝き。

 意思を持った瞳の光が、そこに揺れていた。


 いや、「意思」などないはず。

 それでも翔子は、その二つの目が、訴えているように感じた。


 「あと少し」。


 気のせいだ。手紙を読んだために、勝手に脳内で納得のいく理由を捏造しようとしている——。


 翔子は手紙を便箋に戻し、ブリキ缶の蓋を閉じた。

 依然として全く動く気配のない”彼女”の腕の中に、彼の手紙は再び抱かれた。


 あと一時間、もたないだろう。


 翔子は車に戻り、シートベルトを締めた。

 近くに、カフェなり喫茶店なりがあったはずだ。

 アクセルを踏み、地図アプリの道案内が始まった。


 窓の外を流れていく、ありふれた小さな公園。


 ベンチの”彼女”は変わらぬ姿勢で、呼吸の音すら存在しない静けさの中、最期の瞬間を待ち続けていた。

 

 


 

 

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ある雪の日の記憶 すずき @bell-J

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