第12話 春告げ鳥は生命《いのち》を謳う④

******


「あれ、俺が最後か! 悪い!」

 ひらりと駆けてきたロアにガロンが首を振った。

「随分奥まで出ていたようだなロア」

「元気だよね。僕には無理」

 さらっと返すテトにレントが肩を竦めてみせる。

「テトはずっとこのあたりにいましたものね」

「僕はここから指示を飛ばせるからいいの」

 彼らの声音も口調も軽やかだが、実際の空気は張り詰めてぴりぴりと肌の表面を刺激する。

 ロアは「ふーっ」と息を吐くと上空の〈島喰い〉を見詰めた。

 近くで見るとさらに大きく見える。

 ロアなら十人は入りそうなほど――テトであれば十五人は入ってしまうかもしれない。

「卵……みたいだ」

 つるりとした表面は陶器のようで、けれど確かな存在感を滲ませたなにか。

 禍々しく不穏な空気を纏うそれは――ロアの言葉どおり確かに卵にも見える。

「言い得て妙だな。眷属は〈島喰い〉本体から生まれる。……まずは撃ち落とすぞ」

 ガロンの言葉にテトが腰の固定具から魔導書を引き抜く。

 彼は翠色の大きな瞳を眇めて言葉にした。

「了解だよ。じゃ、さっさと片付けよう……いくよ」

 全員、既に構えて戦闘態勢なのを確認し、テトは頷くと右手を翳した。

「――踊れ……炎槍えんそうッ」

 練り上げられた何本もの炎の槍。

〈島喰い〉目がけて撃ち込まれた魔法は柔らかそうに見える表面へと沈み込み炸裂。

 散った火の粉がちらちら瞬くなかで白い球体が揺れた・・・

「来るぞッ!」

 ガロンの怒声と同時、まるで放たれた矢の如く伸ばされたいくつもの触手が彼らを襲う。

 弾かれたようにテトの前に出たロアが双剣を閃かせて触手を斬り飛ばし、ガロンとレントも応戦。

 盾で受けた触手を鋼の刃が両断し、突き出した拳から放たれる闘気が吹き飛ばす。

 ロアの後ろに庇われながら、テトは冷静に次の魔法を練り上げていた。

「――射貫け……石刃せきじんッ!」

 練り上げられた石の刃が〈島喰い〉本体へと深々と突き刺さった……ように見えた。

 しかし触手が引き戻された先……〈島喰い〉はつるりとした球体を晒している。

 テトは左手の魔導書にそっと右手を添えると面白くなさそうに吐き捨てた。

「中心まで貫くのは骨が折れそう」

「一瞬ヘコんだのは間違いないしテトなら大丈夫だろ! とりあえず引きずり下ろしたいところだけど――いけるか?」

 聞き返したのはテトの前で腰を落とし、双剣を構えたままのロア。

 彼は耳をピンと立てたまま尾を縦にパタリと振るう。

 テトは魔導書の頁をペラ、と捲ると幼い容姿には不釣り合いな悪そうな笑みを浮かべた。

「柄じゃないんだけど――任せてよ。ガロンさん、レント、もう一度触手を出させるから僕の援護をお願い。ロア、君はいつも通り飛んで・・・

「了解した」

「わかりました」

「おう!」

 三者三様、応えたと同時にガロンとレントがテトの前に並んで立ち、ロアは迷わず前方へと駆け出した。

「――絡み付け……石蔓いしかずらッ!」

 テトの放った石で編まれた蔦は、捻れ、もつれながらロアを追い越して伸び、上空の〈島喰い〉へと奔っていく。

 迎撃のために再び触手を出した〈島喰い〉は石蔓へとそれを絡ませ、さらに触手を増やして四人に襲い掛かった。

「――はぁッ!」

「いきますよッ!」

 ガロンが一本目を斬り飛ばし、レントの突き出した拳が次の一本を先から破裂させる。

 ロアは己に向かってくる触手を僅かに重心をずらすだけで躱しながら、後ろを振り向くことなく軽やかに踏み切って石蔓へ飛び乗り一気に駆け上った。

 いくら石が編まれた蔦とはいえ、そんなに太いものでもない。

 しかしロアは体勢を崩すことなく……広い道を悠々と駆けるかの如く、速度すら落とさずに突っ切っていく。

「――逆巻け……風鎖ふうさッ! ……ロアッ、一気に落とすよ!」

「おうッ!」

 テトは石蔓をそのままに次の魔法を展開。

 ロアは迷うことなく空へと身を踊らせ、風の鎖が逆巻く足場へと――本来は足場になどならないはずなのだが――飛び移る。

 ……己の魔力を使って揺蕩たゆたう魔素を練り上げるのが魔法であり、魔力が続く限りは当然同時展開が可能だ。

 ただし練り上げた魔法を常に調整し続ける必要があるため、例えば炎槍と石刃を同時展開した場合、それぞれの本数が半減することも珍しくない。

 自身の魔力が足りなければ形にすらできないのだが……テトのそれは当然、在るべき量と質を保っていた。

 もしここに〈魔導騎士団〉副団長のエルドラがいたら、賞賛どころか呆れるほどの才能である。

 さらにテトは右腕を振り下ろし、石蔓いしかずらを操って眷属を地面に叩きつけようとした。

〈島喰い〉はそれを察知して石蔓へと絡みつかせた触手を引き戻すが――その体は既に石蔓に絡みつかれており、引きずり下ろされる格好となっている。

 ……そこに。

「落 ち ろ お ぉ――ッ!」

 足場を登り切って飛んだロアが降って・・・きた。


 ずぶぅっ……!


 双剣を己の体重ごと叩き込んだロアの腕に鈍い感触が伝わり、彼は〈島喰い〉の体に刃が食い込むのを感じた。

 その勢いで〈島喰い〉は地面スレスレまで落下し、その表面に絡みついた石蔓が増殖を続ける。

 ――このまま攻撃を続ければ――!

 そう思ったロアは……しかし突如ずぶりと足下が沈む感覚に本能的な危険を察知し、刃を引き抜いた勢いそのままに〈島喰い〉の表面を転げ落ちた。

「ロアッ⁉」

 テトが目を見開くが、彼は冷静に爪先から着地すると膝を使って転がることで衝撃をいなす。

「……大丈夫。あのまま上にいても呑み込まれそうな気がしたんだ。……正面から穴を広げるのが一番かも」

 ロアは瞬時に体勢を立て直して腕で土を拭い、爪先でトントンと地面を確かめるとくるりと双剣を回した。

 レントはそれを視界の端に捉えて確認し、口角を吊り上げた。

「幸いテトが〈島喰い〉を引きずり下ろしてくれましたから、これなら私でも穴を穿てると思います」

 彼は鮮やかな朱色の髪をさっと掻き上げ、深く息を吸い込んで肺を満たすと……さらに明るい橙色の瞳をギラリと光らせる。

 それから数歩前に出ると右足を引き、左手を前に右腕を体の脇に引き寄せた。

「……そんなわけで、核を取るつもりで一撃入れさせていただきますッ! ――はあぁッ!」

 閃く拳が空を裂く。

 正面に巨体を晒すつるりとした球体の表面へと到達した闘気は、強烈な衝撃波を生み出した。

 弾き飛ばされた空気の塊がロアの髪と尾を巻き上げる。

「……ッ、ぐ!」

 ロアはその勢いに腰を落として踏ん張り、顔の前で両腕を交差させた。

 ガロンは咄嗟に盾を構え、剣を地面に突き刺して飛ばされそうなテトのフードを掴んで引き寄せる。

 けれどその瞬間、テトは息を呑んだ。

「……ッ、駄目だレント! ロア! 離れてッ!」

 確かにレントの一撃で〈島喰い〉は中央にボコリと穴が穿たれていた――けれど、テトはガロンの盾の陰から変貌・・を見てしまったのだ。


 ピッ、と。


 窪んだ中央に裂け目が生まれ。

 裂け目は線となり放射線状に広がって。

 それが何本も何本も増えて……交点である中央から外側へとめくれ上がっていく。


 例えるなら、細い花片を幾重にも重ね合わせた――巨大な花。その開花を見ているような…………。

 けれどそうでないとわかるのは……その花片らしきものの先端が例外なくゾワリと動いていたからだ。

「……な、なに、あれ……手……?」

 テトの震える呟きがガロンの耳に微かに触れる。

 ガロンがひとつ残っている美しく高貴な宝石にも似た薄紫色の瞳を向けて見れば――なるほど。

 ぐにゃりと波打つ真っ白な腕、腕――無数の腕が花開き、五本の指がその先でさらに握ったり開いたりを繰り返す。

 レントとロアはテトの警鐘で距離を取ったが、瞬間――その腕が一気に伸びて広がり、ガロンとテトを取り込まんと四方から襲い掛かった。

 その勢いたるや凄まじく、掻い潜ろうにも腕の密度が異常だ。


「――ッ!」


 ――間に合わない。いやだ、嫌だ――ッ!

 ロアは自身の声にならない声を聞いた。

 そして同時にガロンの渋い声を聞いた。


「――お前たちは俺のようなオッサンになるなよ」

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