第24話

 私たちは警視庁で馬氷まこおり鷹子たかこ殺害に関する情報をもらい、現場検証にも行った。

 終了後、同行してもらったクライアントの帆立ほたて氏には帰宅していただき、ホテルにチェックインしてすぐ、さとると打ち合わせの時間を持った。

 打ち合わせの内容は、調査結果のまとめと、今後の方針についてである。


「まず事故、自殺、他殺の判別についてだが、これは他殺で間違いないだろう。ログハウス内は大部分が指紋を拭き取ってあった。事故や自殺なのに指紋を拭き取るのはおかしい。そしてログハウスの二階から飛び降り自殺をするというのも考え難い。普通はもっと高くて確実に死ねるところから飛び降りるものだ。ゆえに他殺に見せかけた自殺という線もないだろう」


「そうね。帆立氏の筆跡による馬氷鷹子の遺書についての見解は?」


「帆立氏が馬氷鷹子を自殺に見せかけようとしたということはないだろう。自分の筆跡で殺した人の遺言を書くなんて、自分が殺しましたと宣言しているようなものだ。わざわざ指紋を拭き取って自分のいた痕跡を消した意味がない。それに、あの遺書には文字をなぞって書いた際に現れる特徴があった。慎重になぞろうとして線が揺れたり、ハネやハライの細くなる部分が不自然だったりしていたよ。ほかのメモと筆圧が違っていたし、文字の大きさがバラついていた。新聞の切り抜きと一緒で、いくつかのメモから見本をひっぱってくるからそうなる。つまり、誰かが帆立氏の筆跡で馬氷鷹子の遺書を書くことによって、帆立氏に罪をなすりつけようとしているということだ」


「もしかしたら、誰かが馬氷鷹子の筆跡と勘違いして帆立氏の筆跡を偽造してしまったのかも」


「お、さっすが優子さん。男前! その可能性は十分にあるな」


「男前って、それはめているつもりかしら? 私は女だから嬉しくないわよ。それで、犯人の特定についての目処めどは?」


「容疑者さえ浮かべば、それが犯人かどうか確認するのは難しくない。タイヤ痕とゲソ痕をしっかり押さえているからね」


「でもタイヤ痕はレンタカーやタクシーのものかもしれないわ」


「もちろん、その可能性も忘れない。本命はゲソ痕だ。靴跡には独特の切れ目があった。鋭く尖った固いものを踏んで靴底のゴムが切れたんだろう。ゲソ痕だけで十分だが、おまけのタイヤ痕まで一致すれば、もう間違いない」


「容疑者については、どこまでプロファイリングできているの?」


「別荘の庭から採取された足跡から特定した靴の種類と、歩幅から推測される百七十センチ前後という身長から、犯人は男であると推定される」


「そうね。犯人が女性だったら、遺体の中途半端な化粧を最後まで仕上げるか、化粧を落とすくらいはするでしょうね。自殺に見せかけるさまざまな偽装をしておいて、化粧だけ放置というのは不自然だわ。犯人が男性で、化粧の扱いが分からなかったのよ」


「シャワールームとベッドは使用された痕跡があった。二人がどういう関係になったかは言うまでもないよな。それから、馬氷鷹子はヘビースモーカーで、帆立氏はあの別荘には灰皿があったはずだと言っていたが、別荘内には灰皿はなかった。犯人が灰皿を凶器として使用し、それを持ち去った可能性が高い。つまり突発的な殺人だな。関係を持った後すぐの犯行と考えると、犯人はおそらくプライドが高く気が短い人間だろうね。馬氷さんは物事をズバズバ言うタイプだったみたいだし」


 犯人は立ち去る前に自分の痕跡をなくすため大がかりな清掃をしているが、その範囲は別荘内のすべてではない。使っていない場所にはほこりが乗ったままだった。

 だから犯人と被害者がどこを行動して何を使用したのかは分かりやすかった。

 台所は使用していないのにシャワールームとベッドを使用したということは、理の推理も外れてはいないだろう。

 ただ犯人の性格については推測の域を出ず、推理とは呼べない。


「容疑者直通の手がかりはなかったし、今回の容疑者探しは地道な聞き込みからやるしかなさそうね。まずは帆立氏と馬氷鷹子が飲んでいた居酒屋の店主から当たりましょう」


 翌日、私と理はその居酒屋・楽笑らくしょうの店主に話を聞きに行った。

 その店主は馬氷鷹子のことをよく覚えていた。帆立氏と壮絶な喧嘩をした後、すぐに別の男に言い寄ったので、その尻の軽さが気にさわったのだと言っていた。

 馬氷鷹子と第二の男との会話は店主の耳にもチラホラと入ったらしく、二人はどうも旧知の仲のようだったらしい。

 私たちは新たに浮上したその男について追ってみることにした。


 馬氷鷹子の転職歴が少なかったことは幸運だった。

 彼女が在籍したことのある会社をあたって二社目のこと。

 板前らしき中年男に変装した理が、「こちらの会社に在籍されている方だと思うのですが、先日、楽笑という居酒屋で落とし物をされたお客様がおりまして、そのお客様を捜しているのですが、ご協力願えませんでしょうか」などというやり口で男を一匹釣り上げた。


 そうしてあぶり出されたのが日暮ひぐらしただしという男だった。


 私たちはその後の数日間で日暮匡について徹底的に調べ上げ、ホテルでターゲットを追い詰めるための打ち合わせをおこなった。


 7月1日金曜日の夕方6時。

 ターゲットはすでに日暮匡ではなく、親指殺人のカノンへと変わっていた。

 日暮匡を調べているときに、彼の出身中学校がカノンと同じで、しかも当時の二人は唯一無二の親友だったことまで分かっている。

 そう、日暮匡を餌にカノンを釣り上げようというのだ。

 もちろん、顔を何度も変えているカノンが旧知の友と交流を続けている可能性は極めて低い。

 しかし、私も理も落ちている石ころがダイヤモンドの原石である可能性をバッサリ切り捨てず、逐一ちくいち拾って確認してその結果を記録する性質の人間だ。

 どんな小さな可能性も逃さない。それが船橋探偵事務所の方針だ。


「もしカノンが日暮匡に接触していた場合、およそ三つのパターンが考えられる。一、カノンは事故で顔を怪我したため、整形して顔が変わったと説明して、自分が殺し屋カノンであることを隠して日暮匡との交流を続けている。二、カノンは自分が殺し屋カノンであることや、警察の追っ手から逃れるために顔を整形していること、すべてを明かした上で日暮匡との交流を続けている。三、カノンは日暮匡に対し、かつて友だったことを伏せ、あくまで殺し屋カノンとして日暮匡に営業をかけている」


「カノンはソロの殺し屋よ。自分以外の人間を信用しないタイプだわ。その三つでいうと、三番目のパターン以外は考え難いわ」


「そうだな。いまの二人には交流がない可能性が最も高く、仮に交流があったとしても日暮匡はカノンの正体を知らない可能性が高い。もちろん、カノンが正体を明かしている可能性もゼロではない。それを前提としてプランを組むとしよう」


 私と理の会議は順調だった。

 ただし、それはここまでだった。


「それで、理はどうやって日暮匡を餌に仕立て上げるつもりなの? 私は日暮匡は餌というより釣り針にしたほうがいいと思うのだけれど」


「釣り針? 俺はいつもどおりのやり方でやるつもりさ。犯人を精神的に追い詰め、カノンに頼らざるを得なくする。優子、釣り針って何だ? 何をたくらんでいる?」


「ハニートラップよ。日暮匡は親しくない女にホイホイついていくような男だもの。遊び人というより女に免疫がないタイプ。ハニートラップなら簡単で確実。日暮匡のふところに潜り込んでカノンの情報をしぼり取る」


 理が押し黙った。珍しいこともあるものだ。

 捜査方針を決める際に意見が食い違うことは珍しくないが、いつもはまくしたてて押し切ろうとするのに、今日は反応が違っている。


「優子、それは駄目だ」


「なんで?」


「嫌だから」


「え、何ですって?」


「俺が嫌だから。ハニートラップはたしかに悪い方法じゃないさ。でも、日暮匡は男女関係のもつれで女を殺しているんだぞ。そんな危険なプランは認めない」


「安全危険を理由にするのなら、カノンに自分の命を狙わせようとするあなたのほうがよっぽどリスキーだと思うわ。私こそ、そんなプランは認めませんからね」


 この時点で理と私は悟っていた。

 仕事に関しては互いに極めて頑固で、この件に関して相手を説得するのは不可能だと。


 私と理が対立することは、よくあることだ。

 しかし今回は、その対立の原因が極めて厄介だ。

 いつもの「自分の案のほうが効率がいい」という喧嘩ならば、各自でその方法を取って捜査を進めればいい。

 陸上競技みたいに相手を妨害することなく相手に競り勝つための戦いになる。

 ところが今回は、相手の手法を認めないために争いが起きたわけで、ラグビーのように相手を妨害しながらゴールを目指さなければならない。

 むしろ、相手のプランを破綻はたんさせることが最大目標とさえいえる。


「打ち合わせはこれでお開きだ。どうせ明日から互いに勝手をやるんだ」


「くれぐれも自爆心中みたいな真似だけはやめてよね」


「それはこっちの台詞だ。カノンは舐めて挑める相手じゃないことを忘れるなよ」


「あなたほど鳥頭ではないから安心してちょうだい。それじゃあ、おやすみ」


「ああ、おやすみ」


 普通に挨拶を返してしまうところが理らしい。

 彼がどこまで私のやり方を妨害してくるのか分からないが、船橋理という男を敵として相手にするからには、相応の覚悟が必要だ。




 翌日、日暮宅を張り込み中に栗田君から連絡があった。栗田君も私と同様に船橋探偵事務所員の一人である。


「そっちの状況はどうだ?」


「あら、不可解な質問ね。あなたは先に理に連絡を取ったはず。それで状況を把握していないということは、理が情報を開示しなかったのかしら? それとも、理に頼まれて私に探りを入れているの?」


「どちらでもない。佐藤、おまえは疑心暗鬼になりすぎていないか? 俺はいま、別件で東京へ来ている。明日は比較的に手が空くのでな、手伝ってやろうと思ったのだ。船橋ふなはしからはすべて聞いている。そして俺の手助けも必要ないと言った。だから、船橋と別行動のおまえにも手助けが必要ないかこうとしたわけだ」


「あら、そう。それなら少し手伝ってもらおうかしら」


「言っておくが、おまえを手伝う内容は船橋にも情報を共有するからな」


「分かっているわ。どんな状況だろうと所員間の情報共有は最優先事項だもの」


 私は栗田君に財布をスッてほしいと頼んだ。

 私が日暮匡に近づくためのきっかけ作りに一役ひとやくかってもらうのだ。

 電話を切った後も私は張り込みを続行し、日暮匡の観察に徹したのだった。

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