第23話

 事務所の扉を開けると、さとるが応接用のソファーに深々と腰をかけ、腕を組んでいた。


「お待ちしておりました。どうぞこちらへ。よろしければお菓子もどうぞ。本場の、ひよこ饅頭まんじゅうですよ」


 ひよこ饅頭は東京にもある。だからこそ、あえて理はひよこ饅頭を用意したのだろう。

 しかし、私には納得のいかないことがある。

 東京からのクライアントを博多駅まで迎えに行くことが決まったとき、理は用事があるからと言って、その役を私に押しつけた。

 その用事がまさか福岡銘菓めいかひよこ饅頭を買いに行くことだったとは。

 最寄もよりの売り場は博多駅構内にある。理も博多駅まで来ていたということだ。

 わざわざ私が行く必要なんてなかった。


「ねえ、ちょっと……」


 私が理をにらむと、私にもひよこを勧めてきた。

 理は私をあきれさせる名人だ。

 溜息一つで勘弁してやることにして、その手を丁重に押し返した。


「帆立さん、なぜわざわざ福岡まで? 遠方の船橋探偵事務所を選んだということは、織田公平氏にゆかりがおありになるとか?」


 理が帆立氏の顔をじっと見つめながら問うと、帆立氏は視線を何度か逸らしながら答えた。


「ああ、いえ。父に最も優秀な弁護士を紹介してほしいと頼んだら、佐藤優子という探偵を紹介されまして。なんでも大弁護士・江崎えさき守正もりまさの秘書だった人だとか。佐藤優子さんはいらっしゃいますか?」


 そういう手合いか、と私は落胆する。

 弁護士を必要としているのに、探偵事務所にやってきてしまう。聞いた話をなんでも鵜呑うのみにしてしまう他力本願な人間。


「佐藤は私です」


「え、あなたが? 大弁護士の秘書? その若さで?」


 帆立氏が隣に立つ私を見上げている間、理がつぐんだ口を尖らせ、ひよこに手を伸ばしだした。

 音を立てて包装をき、ひよこの頭をかじった。


「いまは探偵です。秘書をしていたのは高校生のころの話です」


 当時は理も名探偵・織田公平の助手をしており、織田公平と江崎守正が人知れず敵対関係にあったのと同様、私と理も敵対関係にあった。少なからず命のやり取りもあった。張り詰めて生きていたあのころにはもう戻りたくないし、当時のことを語る気もない。


「はぁー……。それはすごい。で、本題ですが、江崎先生はどちらにおられるのですか?」


「江崎は失踪中です。織田公平と江崎守正が同時失踪した話を御存知ないのですか? これはかなり有名な話だと思いますが」


「ええ、もちろん知っていますとも。でも秘書のあなたなら、先生の居場所を御存知かと……」


「残念ながら」


「え、じゃあ僕は誰に相談すればよいのです?」


「我々が用件をおうかがいしますよ」


 理がもごもごと口の中で白餡しろあんを溶かしながら言った。


「でも、探偵ってどういうことですか? ここは探偵事務所でありながら法律事務所も兼ねているということですか?」


 やっぱり、という思いが私を重くする。私はこの依頼者にほとほと呆れてしまった。

 普通は依頼内容を電話口で簡単に話した上で、受けてもらえそうだったら事務所へと足を運ぶものだ。

 それをこの男は、依頼しようとする相手のことをろくに調べもせず、アポイントメントもなしで東京から福岡までやってきた。

 私はこの男の存在を、道に迷ったから迎えにきてくれという電話で初めて知ったのだ。

 私はこの男の頭を冷やしてやりたくて、冷たい声で言い放った。


「残念ながら、弁護の依頼であればお引き取りください。私はたしかに江崎守正の秘書を務めておりましたが、あくまで秘書であって、私自身には弁護士としての活動経歴はありません」


「そんな、話が違うじゃないか!」


「それは御父君に言ってください」


 私とクライアントの間に険難けんなんな空気が漂いはじめたとき、クライアントの正面でもごもごいっている男が慌ててお茶をすすった。


「まあまあ、依頼の内容だけでもお聞かせください。お役に立てるかもしれませんから」 


 理が包装を開いたひよこを差し出すと、帆立氏はひよこと理の顔で視線を二往復させた後、ひよこを鷲掴わしづかみにしてパクリと一口のうちに頬張った。


「大丈夫ですか? 一気にいくと、口の中がもっさーってなりますよ」


 大丈夫ではなさそうだった。

 帆立氏は理が勧めたお茶をもぎ取って口に流し込んだ。


「僕はね、人なんか殺してないんですよ! 警察もね、ちゃんと調べるって言ってんすよ! それなのに、それなのに……」


 帆立氏が目をうるませている。餡子で苦しいのか、境遇が悲しいのか、どちらなのか分からない。

 帆立氏がドンと机を叩き、等間隔に並んだひよこがいっせいに跳ねた。

 激昂げきこうしている。

 酔っ払いのように感情の変化が激しい。


「それなのに?」


 私が乾いた声で続きを促すと、帆立氏は私を睨み上げた。


「親父が俺を信じないんです! 親父は俺が鷹子たかこのことを殺したと信じきっている。だから警察にはもうこれ以上捜査をするな、自殺で処理しろって、圧力をかけて……」


 突然出てきた鷹子という名前。

 彼の妻か彼女か姉妹であろうが、おそらくは彼女であろう。

 帆立氏は結婚指輪をしていない。姉であれば名前でなく姉と呼ぶはず。妹がいる兄だとすれば、もっとしっかりした性格を持ち合わせているはず。

 とは言っても、どれも簡易的な推測にすぎず、勘と同等レベルの予測でしかない。正解は本人に訊けば確かめられるだろう。


「圧力?」


 理はもう一つの、より耳障みみざわりなワードがひっかかったようだ。


「あ、うちの親父おやじ、政治家なんです」


 理の瞳が鋭く光った。

 理がひときわ興味を示す依頼には二種類ある。

 一つ目は奇々怪々ききかいかいなる謎がひそんでいるケースで、好奇心旺盛おうせいな理は、不謹慎ふきんしんながらも目を輝かすことをはばからず、謎に挑もうとする。

 もう一つは汚職がからんでいるケースで、こちらはとことん追及して標的を容赦ようしゃなく追い詰める。

 理には正義漢のような一面があり、不正を働く権力者を特に毛嫌いしている。


「引き受けましょう。あなたの無実を証明すればよいわけですね?」


「え、ええ。そうしてもらえるなら、弁護してもらうよりもずっといいです」


 理がチラとこちらを一瞥いちべつした。

 私の顔色をうかがったのだ。

 私はかんばしくない表情を出していたはずだが、スイッチの入った理はもはや私にも止められない。

 警察組織に圧力をかけられる人物ともなれば大物に違いない。理の標的はすでにクライアントの父に向けられている。

 理の中では、帆立氏の無実を証明し、殺人の真犯人を捕まえて、さらにはクライアントの父たる帆立議員の闇を暴くところまでを、すでにシナリオとして思い描いているはずだ。

 理が私の顔色をうかがったのは費用面に不安があるから。

 当然ながら、帆立氏に請求できる料金は帆立氏の無実を証明するところまでであり、それ以降の真犯人糾明きゅうめいと汚職暴きは自己負担になってしまう。

 今月も赤字を覚悟しなければならない。


「さて、と……」


 理と私はクライアントから詳しい事情を聞いた後、手付金と成功報酬の額への合意をもらってから、東京へ帰ってもらった。

 それから帆立氏の話を整理する。


 帆立氏によると、詳細はこう。


 場所は東京。

 時は6月25日の金曜日、つまり昨晩のことであるが、帆立氏は現在付き合っている馬氷まこおり鷹子たかこと居酒屋へ飲みに行った。

 帆立氏は馬氷鷹子と話をしているとき、なんとなく違和感をいだいていた。

 その違和感の正体を知るのは、馬氷鷹子がまた若い男にナンパされたのだという話を雄弁に語りはじめたときだった。

 彼女が鼻を高くしている様を見て、帆立氏は気づいてしまった。実際に鼻が高くなっていることに。


「おまえ、整形した?」


「え、べつに……」


「べつにって何だよ。したってことだな?」


「してないわよ」


「シリコンはアルコールをかけると沸騰ふっとうするらしいからな。いまから確かめてやる」


「わっ、やめて! 顔の火傷なんて洒落にならないわ!」


「ほらな、やっぱり。教えておいてやるが、沸騰ってのは嘘だからな」


「もう、最低!」


「おまえこそ。あれほど整形はするなって言ったじゃないか!」


 二人は鼻の整形について壮絶に喧嘩をした。

 帆立氏は怒り心頭に発し、彼女を置いて先に店を出てしまった。

 しばらくして思い直し、馬氷鷹子を迎えに戻った。

 しかし彼女はすでに退店しており、店主にくと別の男を連れて出ていったという。


 馬氷鷹子はホテルを毛嫌いしていたので、行く場所は限られている。

 帆立氏は心当たりを片っ端から当たった。

 最後に思いついたのが馬氷鷹子の別荘だった。


 帆立氏は別荘で遺書を見つけた。

 しかし馬氷鷹子当人の姿は見当たらない。

 遺書の筆跡は明らかに自分のものであったため、彼女がふざけているのだと思った。

 帆立氏は遺書を握りつぶしてポケットへ押し込んだ。

 別荘内をくまなく探していると、二階の窓から彼女が外で倒れている姿を発見したのだった。


 警察を呼ぶと、即座に見聞がおこなわれ、帆立氏の父にも連絡がいった。

 帆立氏の父君は即座に警察への圧力をかけた。

 もちろん、よく調べれば息子が無実であることは証明できるかもしれないが、無実でない可能性もあるし、何より息子が一時的にでも容疑者になったとなれば、少なからず自分の印象が悪くなってしまう。

 それは政治家としては是が非でも避けたいことだったのだろう。


 ちなみに警察への圧力について、厳密には、帆立議員本人が警察に圧力をかけたのではなく、影響力のある人物に頼んで口利きしてもらった、ということらしい。


「まず、現場を見なければ始まらないな。東京で帆立治弥氏と合流してから現場検証をおこなう。あと、警視庁にも行こう。圧力がかかるまでに初動捜査は終わっているだろうから、情報をもらいに行こう。きっと彼らも中座なんて不本意だろうから、いろいろと聞かせてくれるに違いない。くれなかったら、そうだな……。俺たちがつかんでいるカノンの情報と交換してもらおう」


「ふーん、安っぽい闇医者ごっこは無駄じゃなかったのね」


「『臓器高く買います。いまなら親指は二倍キャンペーン中』ってね。偽物なのはバレバレだけれど、『俺のことをぎまわるな』って釘を刺しに来てもらうには効果テキメンさ。接触できたおかげでカノンについてほぼ丸裸にできた」


「泳がせすぎて逃げられていては世話ないけれど」


「まあ、欲張りすぎたことは否めないけどな。カノン君は営業熱心だから、さらなる大物が釣れるんじゃないかと思ったわけだよ」


「その言い訳は聞き飽きたわ」


「まだ五回しか言ってないよ」


「いいえ、四回よ。四回『も』よ。わざと多く言い間違えて少ない数に訂正させたって、その数が少ないようには錯覚しないわよ、私は」


「おっと、手厳しい」


 ニヤリと笑う理の歯の隙間にひよこの白餡が挟まっていた。


「あと、そのひよこ饅頭代は経費で落とさないからね」


「え……。ほんと、おまえ、手厳しいな」


 やっと理が肩を落としてくれた。

 理に勝った気がして、私は嬉しくなった。

 私は少し前にくれた理の好意に甘え、ひよこ饅頭を一ついただくことにした。

 理の視線がスパイスとなって、ひよこ饅頭は甘美かんびなる愉悦ゆえつの味がした。

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