第二章 彼女がここに至るまでの経緯

第22話

 私がつとめる船橋探偵事務所は、福岡市博多区にある。

 ここ博多を福岡県の県庁所在地と勘違いしている人がいるくらい博多の知名度は高いけれど、博多区の人口密度は県内五位と意外にも低い。

 それでもやはり、日中の博多駅には人がごったがえしている。


 私がなぜ博多駅まで来ているかというと、クライアントから、道に迷ったから迎えにきてほしい、との連絡があったからだ。

 福岡市は交通の便がよく、東京みたいにごちゃごちゃしておらず、道は分かりやすいはずなのだが。そう思うのは私が福岡の人間だからだろうか。


 ともあれ、私はクライアントを探さなければならない。

 博多駅の改札前にいて、黒縁メガネをかけていて、白いえりシャツに青いジーパン姿の男。

 しかしそんなありふれた格好の男はたくさんいる。ざっと見ても、改札前だけで三人はいる。

 一人は柱に寄りかかって携帯端末に意識を没入していた。

 一人は腕組みをして改札をじっと睨んでいる。こちらを一瞥いちべつしたが、すぐに視線を戻した。

 一人は私の横をゆっくりと素通りしていった。歳はいずれも三十前後に見える。


 私は東京から来たというクライアントらしき人物に見当をつけてあたってみた。


「あの、すみません。失礼ですが、あなた、帆立治弥ほたてはるやさんでいらっしゃいませんか?」


「あ、そうです。あなたは船橋探偵事務所の方ですよね?」


「ええ、そうです」


 当たっていたらしい。ほっと胸をでおろす。


「いやあ、さすがです。よく僕がそうだと分かりましたね。どうして分かったんです? 僕と同じ格好をした人がほかに二人もいるとはねぇ……」


 帆立治弥。この男は人見知りをしない。

 失礼ながら、見た目に反して、相手が女性でも臆することなく話せる人のようだ。

 髪型やひげの手入れが雑な様子から遊び慣れているようには見えないのだが、口調や態度から察するに、社交性は高そうだ。

 こういう人の多い公共の場でも平気でラフな格好をしていることからもそれはうかがえる。

 引っ込み思案な人間のほうが、人の多い場所に出るときには身構えて着飾ってくるものだ。もちろん、普通のお洒落さんもたくさんいるが。


「ええ、まあ。柱に寄りかかっている人は、スマートフォンを変わった持ち方をしていてせわしなく指を動かしていたので、おそらくゲームをしていたのでしょう。そんな人は慣れない土地に来たばかりで人を探している人には見えません。それから、改札をじっと見つめているあちらの方は、一度私を見てすぐに視線を戻したので、待ち合わせの相手の顔を知っていて、その相手が私ではないと判断できるということです。最後にあなたですが、周りよりも歩くスピードが遅く、顔が水平よりも上を向いていたので、天井から吊り下がった案内板を見ながら歩いているのだと考えました。つまり博多駅に慣れていないということです。クライアントは東京から来られているので、その条件に合致します」


「なるほど。さすがは船橋探偵事務所の探偵さんですね。噂どおりだ。おまけに美人ときたもんだ。福岡は本当に美人が多いですけど、あなたは飛び抜けていますね。いやぁ、非の打ち所がない」


 この男、軽い。馴れ馴れしい。価格交渉の際には値切ってきそうだ。

 おごそかな空気を作っておく必要がある。


「あなたは我々の非を打ちにきたのですか?」


「まさか、とんでもない! そんなわけないでしょう。めているんですよ」


 クライアントの男は目を丸くしている。まるで魚が地面を歩いている姿でも見つけたような驚嘆顔きょうたんがおだ。

 私の態度は彼の言う噂とやらにはまったくなかったものだろう。


「私どもを訪れるクライアントは、偵察や冷やかしを目的とする手合いが多いんですよ。だからすべてのクライアントに対して警戒をおこたらないことにしているのです。その点についてはご了承いただけますね?」


「え、ええ、まあ……」


「ではついてきてください。事務所へ案内します」


 シビアな空気を作ることには成功したと思う。

 とはいえ、事務所のオーナーで私の旦那である船橋ふなはしさとるが、ひょうきんな態度ですべてをぶち壊しにするのは目に見えている。

 もし値切られたら、差額を理の給料から差っ引いてやる。

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