第二章

第8話 鷲須義肢製作所


「こんにちは……」


 りんはそっとドアを開け、建物の中に体を滑り込ませた。

 整然としたカウンター越しに見えるのは、大きなテーブルの上に置かれた様々な部品と、手や足などの作りかけの義肢ぎしだ。

 ここを初めて訪れる者は、無造作に置かれた体の一部を目にしてぎょっとするが、これだけ精巧な義肢を作れる所はそう多くない。

 そのひとつが、この〝鷲須わしず義肢製作所〟だ。


 制服姿の女子高生の来客に、一人PCに向かっていたメガネの男が立ち上がった。温厚な顔立ちの小太り中年だが、この業界では凄腕で知られた義肢職人の鷲須だ。


「やぁ凛ちゃん、いらっしゃい。恭介きょうすけはあいにく外に出てるんだけど……」

「ううん、おじさんでいいの。ちょっと指の調子が悪くて、見てもらえますか?」

「ああいいよ。中に入って、外してくれるかな?」

「はぁい」


 凛は、右奥にあるパーテーションで仕切られただけの応接コーナーに入ると、ブレザーを脱いでYシャツの袖をまくり上げた。カクッと捻って左手を外す。

 腕から離れたとたん、ただの動かない物体と化した左手を、凛は無造作につかみ上げる。


「おじさん、ここに置いとくね」


 応接コーナーの近くの机に義手を置くと、凛は手首から先のない自分の腕を見つめてため息をつく。


「凛ちゃん、何かあったのかい? 最近来てないみたいだったけど、恭介とケンカでもしたか?」


 ぽってりと太った人の良い顔を傾げて、鷲須が尋ねる。


「えっ、ううん。別に」

「ならいいけど……あんまり危ないことはしないでね」


 鷲須が義手を調べ始めたので、凛は暇つぶしにテレビをつけた。

 夕方のニュースが流れてくる。


『日本はいま、前例がないほどの格差社会に陥っている!』


 そう、誰かが叫んでいる声が聞こえた。

 テレビの画面には、国会前でプラカードを掲げる大勢の人たちが映っていた。デモの映像らしい。


『今や、三人に一人が貧困に喘いでいる! 国はこれを放置するのか?』


 中心人物の声に、大勢の力強い声が「放置するのかー!」と語尾を復唱する。


(貧困か……)


 確かに凛の通う都立高校には、彼女自身も含めてあまり裕福な子はいない。授業料のかからない高校に通えているだけマシな方で、それすらも許されない子たちはすでに働いている。もちろん、様々な仕事用ロボットが各業界に深く浸透している今、働く場所はかなり少ないが。


「──りん、凛!」


 ぼんやりと画面を眺めていると、いきなり肩をつかまれた。

 驚いて振り返ると、一番会いたくない男がそこにいた。


「……恭、介」


 凛が引きつった笑みを浮かべると、茶色い柔らかな前髪とメガネの奥から、鋭く冷ややかな目が睨み返してきた。


「凛……ちょっと来い! 親父、メンテ終わったら二階に連絡してくれ」


 恭介は凛の右手をつかむと、ぐいぐい引っ張ってゆく。


「ちょっと! 恭介、痛いったら!」


 凛の苦情を無視したまま、恭介は一旦事務所を出て外階段を上って行く。二階にあるのは、恭介が経営している違法ロボット回収会社の事務所だ。

 二階の事務所に入ると、恭介は凛をイスに座らせてその前に立ちはだかった。


「あれほど単独行動はするなと言ったのに……新宿の地下街で〈明日香〉を倒したのはおまえだな? おれの言いつけを破ってまで倒した〈明日香〉を、よりによって警察に回収されるとはどういうことだ? おまえ、ハンターの仕事なめてんのか?」


 恭介は身を乗り出して、凛が座っているイスのひじ掛けをつかむ。前を塞がれて、凛はイスから立ち上がることも出来ない。完全に逃げ場を失った。


「別に、なめてなんかいないわよ」

 凛は手首から先が欠けた左腕を抱くようにして、ツンと横を向く。


「こらっ、目をそらすな!」

 恭介は凛のあごをつかみ、強引に前を向かせる。


「電話には出ない。メールも返さない。心配して家に行ってみれば、火事になってどこにいるかわからない。おれがどれほど心配したか、おまえわかってないだろ?」

「はぁい。すみませんでしたぁー」

「……ったく!」


 恭介は凛のあごから手を放すと、疲れたように向かいのイスに座り込んだ。


「おまえがさぁ……家族を殺した〈明日香〉を壊したくなる気持ちはわかるよ。だけどなぁ、単独行動はしないっていう約束で、おれはおまえをメンバーに加えたんだぞ。忘れたのか?」


「忘れてないよ。でも、あたしは待ってるだけじゃ嫌なの! 警察からの依頼が来るより先に、自分たちでも探しに行けばもっともっと犯罪を防げるじゃない!」


 凛はいつものように持論を主張する。この件に関してはいつも恭介とケンカになる。

 恭介は疲れたようにため息をついた。


「頼むからもう少し待て。いまハンターの業界トップと警察の話し合いがされているんだ。もう少し待てば、警察は違法ロボットへの対応を完全に外部委託する。そうなれば、ヒューマノイドの確保から処理まで、いくらでも自由にやれる」


「え……そうなの?」


 いつもとは違う展開に、凛は目を丸くした。


「そうだ。だからもう少しだけ大人しくしてろ」

「ふ-ん。わかった」


 凛の答えに満足すると、恭介は凛の方に身を乗り出す。


「で、今どこに住んでるんだ?」

「知り合いの……刑事さんの家に、居候してる」

「はぁ? 何で刑事の家なんかに居候してんだ? そんな所にいるなら、うちに来ればいいじゃないか。何度も言ってるけど、おまえ一人くらいなら──」

「恭介んちなんか嫌だよ。とにかく、あたしはしばらく、刑事さんちにお世話になるから!」


 恭介の言葉を遮るようにして断ると、凛は勢いよく立ち上がった。


「じゃ、あたし下でテレビ見るから」

 すぐにでも帰りたいが、義手のメンテが終わるまでは帰れない。


「テレビならここでも見れるだろ。ほら」

 恭介はデスクの上のリモコンを取って、壁にかけたテレビをつける。


「義手の点検ならしばらくかかるだろ。コーヒーでいいか?」

「いらなーい。あたしやっぱ下に行く」

「おい、待てよ。凛! ……週一でいいから顔を出せ。いいな?」

「はーい」


 凛は大きく右手を上げて事務所から出て行く。

 外階段を下りるカンカンカンという足音を聞きながら、恭介はやれやれという風に首を振った。

  

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る