28 皇帝嘆息

【side:皇帝】


「ふぅ……」


 誰もいなくなった応接室で、皇帝はゆっくりと息を吐く。


 秘書官すらも部屋から出しているのは、集中したいから。先ほどまでの3人を思い返す時間が欲しかったのだ。


 1人目は、フラン。赤髪を頭の後ろで束ねた――いわゆるポニーテール――小柄な少女。黒いロープに素朴な杖が、いかにも魔術師と言わんばかりの相手だった。


 この少女は特段問題ない。魔族の情報を、と言った時にはこちらの肝が冷えるほどに、感情のこもっていない鋭い瞳を浮かべてはいた。だがそれだけだ。


 おそらくは魔族に恨みを持っているのだろう。特に蒼い炎を使う魔族に。


 しかしそんなことは関係ない、と皇帝は思考を打ち切った。重要なのはひとつ。彼女に情報を与える為に、裂ける人員はいるのかどうか。


 答えはノーだ。あの3人のおかげで、〈死の行進デスマーチ〉の被害は最小限と言ってもいいほどに食い止められた。しかし被害は確実に存在しており、その復興に忙しい。


 国の外に情報を求めて派遣できるだけの余裕はないのだ。申し訳ないが、彼女に情報を与えることはできないだろう。


 同様の理由で、エクレアも無理だ。ただの強者の情報であれば魔族よりはまだ可能性があるが、英雄ドレイクよりも上となるとかなり限られる。そんな情報を探しに行けるだけの余裕は、やはりない。


 ちなみにエクレアの態度は皇帝に対するものではないし、不敬罪を適用されるのが自然なほどではあった。しかしSランク冒険者や英雄といった人類の極みに達したような人間は、どこかおかしいことを皇帝は知っている。


 故に、不問にしたのだ。そんなことでSランク冒険者の機嫌を損ねたり、関係性を断つことの方が愚かしい。


 最後にティーナだが。


「……あれは、人類の味方でいいものか」


 ありえないことに、自分で自分を始祖吸血鬼だと言っていた。普段であればそんなことを言い出すのは狂人か、自分を強く見せたい吸血鬼だけだろう。


 しかしSランク冒険者が彼女を認め、なおかつ騒動の首謀者を捕縛した挙げ句に弱体化させた。要するに、今回の騒動における一番の功労者と言ってもいい。


 そんな彼女を無下に扱うわけにはいかなかった。故に、他のSランク冒険者と同等に扱ったのだが。


「果たして本当に正しかったのか……」


 先程の話の場で彼女が見せた殺気。戦場に立ったことのない皇帝ですら、あれがどういうものなのかを本能的に理解した。


 彼女は人類の敵である。最後には決して交わることのない線を歩んでいる超越者。人類の味方のような顔をしているのは、彼女自身が戯れで口にした「気まぐれ」なのだろう。


 彼女の「気まぐれ」が終わった時、彼女は確実に人類へ牙を剥く。


(その時に、人類はどう対処すべきなのだ……?)


 皇帝は考えることに疲れ、束の間の休息を得ようとソファに背中を預けた。柔らかな素材ではあるが、それに慣れた皇帝は今更どうこう思うことはない。


 激務の間に浮いたような時間。このわずかな休息時間を逃さぬように心を静め、皇帝がゆっくりと深呼吸をした時。


「お疲れ様。皇帝ってのも大変だねぇ」


 突然背後から声を掛けられ、皇帝は飛び上がるようにして振り向く。

 そこにいたのは、かつて見たことのある男だった。


「貴様は……ナーリー! なんの用だ!!」

「はっはっは。ごめんごめん」


 短い黒髪をかき上げて爽やかに笑うのは、『未来視』の魔術師ことナーリーだった。王国も帝国も共和国も彼の足跡を追いかけようとして、一歩目でつまずくという不可思議な存在。


 いつもどこにいるのか、なにをしているのか。全てが謎であり、協力を要請したい時は必ず見つからず、来てほしくない時に限って現れる。それ故に、時の為政者は必ずと言っていいほど彼と面識があった。


 そもそもこうやって王城に侵入すること自体が、既に国家反逆罪に並ぶ不敬である。だが皇帝にはそれを咎める気などなかった。


 今この瞬間にナーリーが来た意味。

 それがわからないほど、皇帝の思考は鈍っていない。


「あの吸血鬼のことだな?」


「ま、それもあるね」


 含みのある言い方に、皇帝は首を傾げる。始祖吸血鬼の話以外にコイツが関わるような重大事があっただろうか、と。


「じゃあまずは始祖吸血鬼の話をしようか。彼女は安全だよ」


「今は、だろう?」


 現状の条件であることが前提だ、と皇帝が言外に示すと、ナーリーは微笑んだままで首を振った。


「違う。彼女はずっと安全さ」


「なぜそう言い切れる? 貴様の『未来視』か?」


 だがナーリーはそれに応えず、窓際から皇帝を見下ろすだけ。そこにある微笑みは、出来の悪い子どもを見る教師のような柔らかさだ。


「例えば……君が喉元に剣を突きつけられていたらどうする? 勝手に動くかな?」


「なにをバカなことを。そんなもの、動くわけにいか……」


 言葉を途切れさせた皇帝の様子に満足したのか、うんうんと頷くナーリー。


「つまり、そういうことさ」


「……誰のことを指している?」


 戦闘としての強さに縁遠い皇帝にはわからない。誰が始祖吸血鬼の抑止力となっているのか。しかし皇帝の知識にあるそれほどまでの強者と言えば――。


「まさか、貴様自身が監視をしているのか?」


 その答えを予期していたかのように、ナーリーは自然な動作で首を振った。


「外れだ。私はそんな暇ではないからね」


「では……フランか?」


 皇帝の言葉に、実に楽しそうな雰囲気でナーリーは再度首を振った。その動作が、皇帝へ答えを告げる。


「エクレアの方だというのか。確かにノーライフキングを打ち破ったとは聞いているが……」


 皇帝はその答えが信じられないというように唇を噛む。


 確かに皇帝は戦闘での死線はくぐっていないが、謀略の渦巻く中で生き抜いてきたのだ。人の動作や仕草から強さや厄介さを見抜く洞察力は鍛え上げられている。そんな彼をもってしてもエクレアという人物の評価は――凡庸だ。


 Sランク冒険者にありがちな失礼な態度を取るだけの……強さ以外にはなにも持たない者。そんなものが、皇帝に言葉遊びで挑んできた始祖吸血鬼の抑止力になるはずがない。


「エクレアくんはね。私より強いよ」


「なっ! バカを言うな! レッドドラゴンを鼻歌交じりで倒す奴より強いだと!?」


 それは非常に珍しい光景だった。常に冷静沈着を心がける皇帝が、目に見えて動揺していたのだから。


 しかしそんな光景ですら、ナーリーにとっては特別驚くものではないらしい。彼は慌てる皇帝に向けて、至極落ち着いた声音で告げた。


「王国と冒険者ギルドに彼の素性を隠してもらったのは、なにを隠そう私さ。最初は宣伝しようかと思ったんだけど、気が変わってね」


 素性が隠されたSランク冒険者。それが「魔王軍を1人で打ち倒した者」を指すことを瞬時に理解し、皇帝の頭から血の気が引いていく。


「……いったいなんの為に?」


「あまりに強い力は毒になる。私は彼が人類にとっての毒となると判断した。彼が人類に敵対視されないように、彼の存在を隠匿することに決めたんだよ。とはいえ、人の口に戸は立てられない。徐々に漏れていくだろうけど、伝聞となれば尾ひれが付き、真実味が薄れるものだからね」


 ナーリーの言葉を咀嚼しながら、皇帝はどこが重要かと判断する。


「なぜ毒になる、と?」


「一番は彼が人類ではない、と言われることだ。あまりにも強い人間は、化物と呼ばれて忌み嫌われてしまう。そしてそうなった時――人類に勝ち目はない」


「……つまり。人類がすべてをもって対抗しても、エクレア1人には勝てないというのだな?」


 我が意を得たり、とナーリーは頷いた。


「そう。すべては人類を守る為さ。それだけの強さを持った存在が隣にいるんだ。始祖吸血鬼だって悪さはしない。もし、悪さを働いたとしたら……」


「それだけで消滅させられる、か……」


 結果、人類が恐れるべきなのは始祖吸血鬼ではなく、エクレアという存在。


 そこまでをようやく噛み砕いて、皇帝は深くため息を吐いた。


「それでオレはどうすればいい? なにか行動の指針はあるか?」


「基本的にはエクレアを支援するように動けば問題はない。彼が人類に敵対しなければいいだけの話だからね」


「そうか……これで話は終わりか?」


「また追加で指示する時は来るよ。くれぐれも、彼らへの褒賞を反故にしないようにね」


 『未来視』でなにか視たのかと訊こうとした瞬間――厳密には皇帝が瞬きすると――ナーリーは姿を消していた。音も影もなく、最初から誰もいなかったかのように。


 この数分で一気に老け込んだように疲労を顔に出した皇帝は、今度こそゆっくりとソファに背中を預ける。


「はぁ……厄介事ばかりだ」


 帝都の復興を遅らせてでも、彼らへの褒賞としての情報を用意しなくてはならない。その間の民の反発を抑える手段や施策、騎士団への不信感や不安感の撤廃活動の計画など、やるべきことは山積みだ。


 だがその前に。


「……はぁぁぁぁぁぁぁあああ」


 誰にも見せるわけにはいかないほど気弱な吐息。


 1人で応接室に残った皇帝は、思う存分ため息を吐き出すのだった。

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