25 VSエクレア・SIde黒龍

 龍は激昂していた。


 ──誰がこのような場所に呼んだのか。


 思い出すのは、自分を封印したあの誇り高き強き者。ブラックドラゴンである自分と対等に渡り合い、最終的に疲れ切った龍を宝珠に封印するという手段まで持っていたのだ。


 そこまでされれば龍とて敗北を認め、おとなしく宝珠の中で悠久の時を過ごそうと観念した。


 だが静寂は突然に破られたのだ。

 前触れもなく永久の眠りから起こされ、周囲に強者の気配もない。


 更に起きた場所は狭く、この場所に現れた瞬間から頭上で崩壊する石造りの天井が煩わしかった。あまりにも矮小で、粗雑な空間。


 尻尾を振り回し、辺りの石壁を破壊する。何やら騒ぎ声が聞こえた気もするが、どうでもいいことだ。この場に自分に匹敵するだけの強者は存在しないのだから。


 崩れ行く瓦礫や舞い上がる土埃の中で待っていると、やがて視界が随分と広くなった。しかしわかっていたことだが、龍の記憶にある風景ではない。自分が棲んでいた場所は、もっと険しい山の中だ。こんな低い建物が遠くまで並んだような、危険もなにもない場所なんかではない。


「……え! 従え! 我に従え!!」


 なにやら背後から聞こえてきたので、そちらに視線を向ける。だがそこにいたのは、かつての強者と同じ人の形をしているだけの矮小な存在だった。


 龍は封印から解かれて徐々に覚醒し、人語が介せることを確認する。元々理解はできていたのだが、騒ぐだけの存在だった故に頭が無視していたのだろう。


 背後にいる矮小な者を尻尾の風圧で吹き飛ばす。相手にするまでもない。かつての強者と同じなのは、本当に姿かたちだけだ。


「はー。あれがドラゴンってやつか」


「せ、先生。あれはブラックドラゴンです! 通常、冒険者が戦うことになるのはレッドドラゴンが多いんですけど、レッドドラゴンですら倒せる冒険者は限られてくるんです! あれはそのレッドドラゴンよりも遥かに格上なんです!! 伝説に近いんですよ!!」


 次に気になったのは、目の前に立つ2つの人型だった。だがどちらからも強者の波動を感じない。かつての強者ほどの者は、既にこの世から消え失せてしまったのだろうか。


 龍はわずかな落胆を感じながら、軽く尻尾を振った。どうせコイツらも勝手に風圧で飛んでいくだろう、と。


 そう思っていたのに。


「……こんなもんか」


 軽々と、1人の人型――白き頭の者に止められたのだ。しかも片手で。造作もないと言わんばかりの気軽さで。


 龍が最初に疑ったのは自分だった。

 今のは軽く放ったからに過ぎない。そうだ。風圧で飛ばす程度だったから、なにかしらの間違いで止められてしまったのだろう。


 油断もしすぎていたかもしれない。かつての強者ほどではなくとも、じゃれる程度の攻撃を受け止める者もいるということだ。


 認識を改めて、龍はもう一度尻尾を放った。

 今度こそ、この小さき者を潰すつもりで。


 だが。


「……いやなにしてんだ? ドラゴンも所詮モンスターだから、通じねぇってわかんねぇのか?」


 またも白き頭の者は、龍の一撃を受け止めた。しかも今回は確実に力を込めた一撃だったはず。それを先程と同様に止められてしまうとは。


 いや違う。封印から目覚めて弱っているのだ。


 そうだ。そうに違いない。だからこそ、思った以上に自分の力が出ていないのだ。

 かつての強者にやったように、勢いを付けて全身で放ってやろうではないか。


 そう決めたドラゴンは、その巨体を大きく回し、反動をつけて尻尾を振り回した。

 今度こそこの小さき者は飛んでいく。いや醜く潰れるはずだ。


 しかし。


「だから通じねぇって言ってんだろうがぁ!! このトカゲ野郎がぁ!」


 メシャリ、と龍の耳に聞き慣れない音が響いた。


 痛みはない。なぜならば尻尾だから。

 だが理解もできない。それは龍である自分の尻尾が潰されていたから。


 白き頭の者は、ただ手のひらを縦にしているだけだ。あれを振り下しただけで、龍である自分の尻尾を潰し斬ったとでも言うのだろうか。


 答えは否。認めるわけにはいかない。

 尻尾の先端だけでも、白き頭の者の数倍以上の大きさを持つというのに。そんなものがあんな小さな手で両断できるはずがないだろう。


 じっと龍を見つめ上げる白き頭の者。

 数多の否定を乗り越えて、龍はようやくそれを飲み込んだ。


 ──コイツか。


 コイツ、コイツ、コイツ。コイツが自分の尻尾を斬り捨てた元凶。

 雄大なる尻尾を誇り高き自分から切り離した、許しがたき蛮行。


 ──そうか。コイツが自分の尻尾を。


 理解した瞬間、龍は咆哮を上げた。斬られたのは尻尾故に、身体には一切の痛みもない。

 

 だが、これを強者と認めるわけにもいかない。

 こんなにも強者の波動を持たないはずがない。


 つまり、コイツはなにかしたのだ。

 龍である自分にはわからないように、なにか卑劣な手段を。


 ――なんてことだ! 純粋なる強者はもうこの世にはいないのか!


 怒りを込めた龍の咆哮はわずかに残った石造りの建物を揺らし、天空まで響いていく。

 満足いくまで咆え、龍は白き頭の者を見下した。


 本気になれば、この程度の者になにができるわけもない。

 龍は自身の力を信じ、今度は片手を上げた。


 爪でさえ白き頭の者の数倍はある。龍鱗に覆われていたとはいえ、爪と比べれば尻尾はあまりに柔らかい。


 だからこそ、龍は絶対の自信を持って爪を振り下ろした。

 その3本の爪は、空間にハッキリと光の筋を描いて白き頭の者に迫る。


「これも違う」


 バキィ、と硬質な破砕音が響き渡る。

 龍はその目で見た光景を信じられなかった。


 龍は確かに爪を振り下ろした。そこには自信はあれど、今度こそ慢心はない。この爪は自分を封印した強者以外、全てを破壊してきた自慢の爪だ。


 人型も人型でない者も斬り裂き、無謀にも挑んでくる格下の同族を斬り捨て、一振りで山を薙いだことだってある。


 白き頭の者も例外ではない。自分の爪は、この矮小な存在を過去にするほどの強さを持っているのだ。


 それなのに。


 白き頭の者が軽く手のひらを振っただけで、爪は全てあっけなく砕け、石造りの床にガラスのように散らばった。


 視界の端で、粉雪のように舞っていく自慢の爪。


 ――ありえない。こんなことは、許されない。


 これでは、白き頭の者を倒す手段が自分にはないようではないか。かつての強者のような威圧感も持たない、こんな矮小な存在に。そんなことを龍である自分が認めるわけにはいかなかった。


 龍は再度咆哮し、大気を共鳴させながら喉の奥に熱を溜めていく。


 ――そうだ。これがあった。


 やはり自分は寝起きで思考が弱っていたようだ。そう自分を納得させて、吐き出した空気を再び取り込んでいく。


 すると、かつてそうだったように空間はグニャリと熱で歪み、喉の奥に力が溜まっていくのを感じる。

 肺の中にある空気を火炎袋に押し込み、その全てを炎に変えていく。


「マズイです、先生! ブラックドラゴンは炎を吐いてくるつもりです!」


 白き頭の者ではない方が必死に言葉を叫ぶが、それがまた龍の愉悦を湧き上がらせる。


 ――ただの炎ではない。


 格下である同族は、この火炎袋を使ってただただ炎を吐くという。

 そんな芸のないことを、これほどまで強い龍である自分がやるわけがない。


 黒き龍の火炎袋は特別だった。それは袋の中の炎を限界まで圧縮し、熱線として放つことができるというもの。


 この熱線は、かつての強者ですら避けるのが精一杯だった。これを真正面から受けて原型を留めていたものはなく、遥か昔に大地を、山を、海を焼割したことさえある。


 龍が持つ至高の破壊手段。それがこの熱線だった。

 体内にある火炎袋がエネルギーで満たされていくのを感じる。この熱こそが、龍を強者たらしめている証だった。


「いいか、フラン。俺はナーリーとの手合わせで考えたことがあるんだ。一発でダメなら、何十発もぶちこめばいい。だけどそれだと隙が増える。それに何発も撃つと、速度に慣れられて避けられる可能性もあるしな」


「えっと……つまり?」


「こうやって魔術を集めるんだ」


 今度こそ白き頭の者を倒せると確信し、龍は顔を下に向ける。

 すると白き頭の者の手には、なにやら矮小な頭部と同じくらい卑小な光球があった。


 ――今更なにをしようと同じこと。


 もうコイツらの未来は決まった。

 この熱線によって、矮小な者どもは必ず消え去る。


 なぜこれを最初に思いつかなかったのか。封印されていたことがつくづく悔やまれる。

 封印さえされていなければもっと頭の回転が早く、矮小な者を勢いづかせることもなかったというのに。

 

 だがもう終わりだ。

 喉の奥にある熱源が臨界に達し、龍は大きく顎を開く。


 全ての戦いを終わらせてきた極光。

 それが今、白き頭の者ただ1人に放たれる。


 あまりの光量に周囲は眩いほどに輝き、極限の熱量で残っていた瓦礫は溶けていく。

 当たればなにもかもを葬ってきた熱線が、今、白き頭の者にまっすぐ向かっていった。


 ――ああ。かつての強者とは違い、避けるだけの余裕もないか。


 龍は白き頭の者の末期に限界を見て、心の内でほくそ笑む。

 自分の尻尾を潰し斬り、爪を破壊した罪は死を持って償うのだ、と。


「〈まとめるライトニング〉」


 だが白き頭の者は怯えることも、呆然とすることもなく龍に向かって手のひらを向けた。

 それだけで手のひらにあった光球は弾け、一本の白き光線となって龍へ伸びてくる。


 それは龍が放った熱線と拮抗――することもなく、熱線を消し飛ばしながら進んできた。


 ――なぜ、なぜ、なぜ!!


 龍は既に思考することすらできない。放たれた熱線は絶対のモノ。大自然ですら抗うことのできない確実な破滅。

 

 だというのに、なぜ。

 この白き頭の者が放った光線は、自分の熱線の中を進んでくるのだ。


 それもこの白き光線は、龍の熱線に比べてもかなり細い。龍の熱線が大滝だとすれば、白き頭の者の光線は小川ほどの大きさしかないのだ。


 だというのに、なぜ。

 白き頭の者の光線は、それが当然であるかのように熱線をかき消してくるのだ。


 ついに龍の眼前が白く染まる。

 絶対であった熱線は既に宙へほどけ、熱量もどこかへ失われた。


 ――かつての強者ですら、自分を殺すことはできなかった。


 龍鱗に覆われた頑強な身体に、致命傷を与えることができなかった為である。だからこそ、その強者は龍が疲弊するまで戦い続け、封印することを選んだのだ。


 ――ああ、これが。


 だというのに、強者の波動を一切感じさせない矮小な者がそれを成そうとしているのだ。


 白き頭の者。

 コイツがきっと。


 ――これが……死か。


 龍にとっての、死そのものだったのだ。

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