03 森での生活

 水龍――エクレア曰く「デケェ蛇」――を倒してから数日後の昼間。

 エクレアは日課の狩猟を行おうと、拠点である池から離れて森を歩いていく。


 前までは歩けば当たるレベルでモンスターが大量にいて、食料には困らなかった。

 だが、最近ではあんまり見なくなってしまい、ちょっと困っているのが現状である。


 探せば見つかるのだが、入れ食い状態だったのを知っていると、探すのが面倒だという気持ちがエクレアに芽生えていた。

 とはいえ生きるための食料探索。怠るわけにもいかない。


 別にそのへんに生えているキノコでもいいのだが、それだとやはり量が必要になる。

 その点、モンスターなら一匹狩れば、たいてい一日分にはなるので安心だ。


 なんてことを思っていると、遠方で草むらが揺れる音が聞こえる。

 小さいモンスターか、それとも隠れているのか。


 エクレアは気づかない振りをしながら、そちらの方向へゆっくりと足を向け――、


「ここだっ!」

 

 バッと地面を蹴って、森の中を一息に抜けた。

 風よりも速いエクレアの動きに、隠れていたモンスターは微塵も反応できない。


 草むらの裏側に回ると、そこに身を隠していたのは茶色いイノシシだった。

 エクレアの腰ぐらいなので、モンスターとして考えればそこそこのサイズだと言えるだろう。草むらに対しては大きいので、あまり隠れられていたとは言えないが。


「フ、フゴォーーーー!!」


 イノシシは四足で器用に振り向くと、驚いたように上体を起こした。

 こうなったイノシシの取る行動はひとつ。


 突進だ。

 観念したのか、こちらにぶつからんと真正面から向かってくるイノシシ。


 エクレアはイノシシの牙を慎重に小指だけで掴んで――そうしないと牙が砕けるからだ――勢いを完全に止め、


「よいしょ、っと!」


 そのまま上に振り上げた。腰ぐらいのサイズとはいえ、イノシシ程度ならエクレアにとっては軽いもの。

 両手でイノシシの身体を掴み直し、背中から地面に倒れてイノシシを頭から地に叩きつけた。ゴシャリ、という骨が砕けたような音がエクレアの頭上で響く。


「ブヒィーーー!!」


 断末魔の叫びを上げて、イノシシは動かなくなった。

 エクレアは立ち上がり、死んでいるのを確認する。イノシシの目に生気はなく、死んだふりでないことも判明した。


「よしよし。うまく手加減できたな」


 なんでこんな面倒な殺し方をしてるのかと言うと、以前前方へ叩きつけた際にイノシシを爆散させたことがあるからだ。


 ――あれは獲物を逃したショックで、しばらく立ち直れなかったからなぁ。その後で大きな熊が出てきてくれなかったら、今でも落ち込んでたんじゃないか?


 つまり今の殺し方は、エクレア的にうまく腕の力が抜ける方法だと言うことだ。重力に任せて背中から倒れる必要があるので、やや面倒なのが難点ではあるが。


「ともあれ食料ゲットだ」


 今日も今日とて肉を食べられるのはありがたい。

 エクレアはイノシシを片手で軽々と掴み、肩に乗せて拠点に戻ることにした。


 歩いて数分で、拠点である池のほとりに戻ってくる。

 エクレアは早速焚き木の横にイノシシを置き、手刀で斬り捌いていく。


 ――昔はこれがうまくできなかったから、随分と肉をボロボロにしたよなぁ。別に食べられはするんだけど、やっぱりキレイに切り分けると味わいが違う……気がする。多分。


 イノシシを解体し、半分以上の肉は適当に干していく。今は暖かい季節でもないので、腐ることもないはずだ。まあ腐ってても食べられるからいいけど、とエクレアは割り切っている。


 肉を干したのは石を指で削って作った竿で、思った以上に頑丈なものだ。熊の肉だろうと大きなトカゲの肉だろうと耐えてくれる優れものである。


 エクレアは解体を終え、毛皮は池で洗ってから別の竿に干した。後で寝床に敷く予定である。

 大量の骨はおやつだ。さすがに血生臭いので、洗ってからガリガリと噛み砕く。


 ――そういえば昔は骨を食べるのも苦労したよなぁ。食べ物がなくなった時に閃いたアイデアだったんだけど、自分の歯が弱かったからそれすら一苦労だったなぁ。


 エクレアは骨をかじりながら、焚き木に向かって小指を伸ばす。

 しかも利き手ではない左手だ。慎重に慎重を期すように、ゆっくりと、目を細めながら。


「……〈ライトニング〉」


 極小の威力になるように調整して、エクレアが唯一使える魔術を放った。

 小指の先から糸のようなか細い電撃が飛んでいき、すぐさま焚き木に着弾する。


 エクレアは祈るような気持ちで結果を待ち……電撃は無事に着火した。


「ふぅー……」


 これだけで一仕事終えた気分になる。

 少しは強くなれた証拠だとエクレアは思っているのだが、わずかでも調整をミスると焚き木ごと地面が吹っ飛んでしまうのだ。


 そうなると全部集め直しだし、またこの細かい作業をしなくてはならない。

 繊細な作業が一番苦手なエクレアには、着火の作業が最も神経を使うことだった。


 エクレアは木の枝に肉を刺し、大きくなった焚き火に向けて差し出した。

 この肉が焼かれる間の時間が、なんともいえない幸福感を感じてしまう。


 ――昔は肉が穫れるとも限らず、キノコや雑草を食べて飢えをしのいでいたからなぁ。だがキノコというのは特に侮れなくて、何度も生死の境をさまよった記憶が思い出されるものだ。


 今ではなにをどう食べようが――それこそ腐肉でさえ――毒や病気にやられることはなくなったが、やはりあの頃のことは苦い思い出だ。


 エクレアは修行の日々を思い出しながら、イノシシの肉を焼き、食べていく。

 やはりこの野性味溢れる肉がいい。イノシシの肉は硬くて食べごたえがあるし、栄養を摂っている感が出て気分が上がる。


 やがて食べ終わり、焚き火の始末をした。

 すると、エクレアの額にポツリと当たるものがある。


「雨だ……」


 波紋が広がる池を見て確信しながら、エクレアは自然とつぶやいた。

 木々を抜けてほとりに降り注ぐのは、冷たい天のしずく。


 エクレアはそそくさと服を脱いで、耐水性の強い大きな葉っぱで包んだ。


「服は貴重品だからな」


 自然の中で鍛錬を積んでいたエクレアにとって、衣類は最も貴重なものだった。

 こんな生活をしていれば、衣服なんて野盗や山賊から奪うしかないものである。しかし、奴らが着ているのは大抵ひどく汚れていて臭いが取れない。


 だからこそ、臭いもなく見た目もまともな衣服はこうして大事にしているのだ。

 そんな衣服を包んだ葉っぱを見て、ふと思う。


「……そろそろ街に下りる頃かもしれないな」


 エクレアが様々な場所で修行し続けた日々。ひたすら鍛錬に明け暮れた、孤独でストイックな時間。

 だがその成果は充分に出てるのではないかと思えた。


 肉体は、裸で雨を浴びようが風邪など寄せ付けず、毒だって受け付けない。

 森を歩いても木々や草むらで怪我することもなく、モンスターにも苦戦することはなくなった。


 魔術も〈ライトニング〉だけとはいえ、以前とは比べ物にならない強さになった。

 本来はただの初級攻撃魔術なのだが、それを肉体強化にも転用していたおかげだろう。今ではそんなことしなくても、恒常的な強さを手に入れている。


 ただ、それでもエクレアは不安が拭えなかった。


「本当に俺は……この世界を生き抜けるほど強くなったのか?」


 森、山、川、洞窟などなどを巡り、モンスターを大量に狩ってきた。

 世界のどこに行っても存在する野盗共も、今では指先ひとつで倒せるほどだ。


 しかし、それが人間社会においてどれほどのものなのかわからない。

 それにモンスターだって、自分が知らないだけで全く手も足も出ない強敵がいるだろう。


 全てを奪われそうになった15歳のあの日。

 それに比べれば遥かに強くなっただろうが、果たしてこれが世界の基準でどこなのか。


 エクレアの心には鍛錬で付いた自信とは裏腹に、どこか不安が残り続けていた。

 そんな不安を落ち着かせるように拳を見つめていると、ふと耳に届く音に気づく。


「ん……戦闘か?」


 顔を上げてそちらの方を見ると、森の奥の奥からだった。


 ――いや、俺がいるのが森の中心部のはずだから、森の入口の方ってことだな。


 木々の隙間を抜けてわずかに聞こえる激しい爆発音。

 かなり遠い場所からの小音ではあったが、自然の共に生きたエクレアにとっては充分異常な音だった。


「……行ってみるか」


 もし森を荒らすような奴なら、住処がなくなって困るし。

 そうでなくとも、腕試しはいくらでもやりたかったからだ。


 ――俺がこの世界で生き抜く為に。

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