第20話 壊れた飛行船

本日はエア・グランドゥールをご利用頂きまして誠にありがとうございます。

王都行きの飛行船は第一ターミナルより随時出港致しております。

尚お食事やお買い物には中央エリアをぜひご利用くださいませ。

皆様のよき旅を心よりお祈り申し上げております。



 亜麻色の髪をゆるく二つ結びにし、暗い色のローブを着込んだ錬金術師のアリアは空港内を流れるアナウンスを聞き流しながら、杖を片手に足早に中央エリアを進んでいた。

 なるべく人目のない隅っこを選んで歩き、目は終始周囲を警戒してキョロキョロと忙しなく動いている。

 早く飛行船に乗らなくては。

 アリアの考えていることはその一点だけだった。

 目的地は第九ターミナル。中央エリアをぐるりと回ってもうすぐそこにたどり着くはずだ。

 時間を潰す空港利用客をやり過ごし、やっと騒々しい中央エリアを抜け、第九ターミナルへ続く通路を進んでいたところでーー声をかけられてしまった。


「ねえ、そこの可愛いお嬢さん」


「ひっ」


 両手で杖を握りしめ、アリアは小さく息を飲んだ。すると後ろから、少し困ったような優しげな声をかけられる。


「そんなに怖がらなくても、別に取って食おうだなんて思ってないよ」


 ギギギ、と錆びついたブリキのおもちゃのような動きで首を後ろに巡らせると、アリアは目を見開いた。

 そこにいるのはアリアが今一番会いたくなかった人種、すなわちこの空港を取り締まる保安部の職員だ。白い制服を着て武器を携行する彼らは犯罪取締りのエキスパートで、一度睨まれたら逃げられないという目下の噂だった。

 だがしかし。

 アリアは今、保安部の職員に目をつけられたという事実とは別の部分で胸が高鳴っているのを感じた。

 すらっとした長身とそれに見合う細いながらも締りのある体躯、鮮やかなピンクの髪を長めに伸ばし、そこから見える耳にはピアスが十以上も嵌っている。シャツのボタンを外してタイを緩めて着崩した制服も合間って軽い感じの印象を与えるがーー何よりも特筆すべきなのは、そのびっくりするほど整った顔立ちだった。

 切れ長の瞳もすっと通った鼻筋も薄い唇も。全体の雰囲気とバッチリ合っていてこの職員の良さを余すことなく引き出している。

 こんなイケメン滅多にお目にかかれるものではない。


「ちょっと話があるんだけど、いいかな」


 あまりのイケメン具合にアリアが見とれていると、職員はすっとアリアとの距離を縮めてくる。

 いつの間にか壁際に追い詰められていた。


「あ、あのっ、私、飛行船の時間が、もうすぐで……」


「うん、すぐに終わるからさ」


 隙を見て逃げようとするアリアを阻むようにトン、と壁に手をつかれた。

 間近に迫るイケメンにアリアは思考が沸騰して何も考えられなくなりそうだった。

 

 逃げなければ、でもでも無理、だってこの人めっちゃカッコいいよ!!

  

 イケメンも度を過ぎれば顔面偏差値の暴力だ。こんなかっこいい人に迫られて冷静でいられる人がいるならばぜひお目にかかりたい。

 するとこの職員は、あろうことかアリアの胸元へと手を伸ばしてくるではないか。


「ねえ、君さ」


「あ、ちょっと、ひゃあ!」


 躊躇わずに外套の中へと手を入れてくる職員にアリアは顔が真っ赤になるのを感じた。しかしアリアが冷静さを完全に失っている最中、細長い指が確かにアリアが隠し持っていたものを捉えーーそしてすっと引き抜かれる。


「あっ」


「これは違法品だよ。知ってて持って行こうとしたね」


 アリアが我に返った時にはもう遅かった。

 職員はアリアに覆いかぶさるようにしてこちらを見つめ、そして今しがたアリアから没収した品を見せつけてくる。

 腰が抜けてへなへなとその場に座り込んでしまった。


「じゃあ詰所まで来てもらおうか」


 この職員は座り込むアリアに向けて、非常にいい笑顔でそう告げた。


+++


 詰所にある取調室の一室で、テーブルを挟んでデルイとアリアが向かい合う。

 アリアはひどくおびえていて全身がガタガタと震えていた。

 生憎忙しい頃合いで騎士が出払っており、ここにいるのはデルイとルドルフ、そしてアリアの三人だけだった。

 デルイは手袋をはめた人差し指で瓶を傾ける。とぷんと中の琥珀色の液体が揺れた。


幽冥ゆうめい誘薬ゆうやく


 デルイの放った短い一言にアリアが身を縮こまらせた。


「霊体系の魔物を呼び寄せる薬だ。夢魔、夜魔、レイス、リッチ。蓋を開けて置いておくだけで惹かれてやってくる。そして奴らは魔素吸収マジックドレインで見境なく人を襲う。当然違法品、自分で作ったのかな」


「あ、あ、あの」


 デルイは至極穏やかな声で尋ねているのだが、アリアはあわあわと可哀想なくらい慌てている。机越しに身を乗り出し、少し距離を詰める。するとアリアは間近に迫ったデルイの無駄に整った顔に赤面し、涙目になって顔を背けた。

 詰問するわけではなく、同情するような声音で問い続ける。必要なのは真実を引き出すことだ。相手を威圧し怯えさせても良いことなど一つもない。


「どうしてこんなもの持ち出そうとしたの」


「あ、あの……ごめんなさいぃ! お金、お金が欲しかったんですっ」


 とうとう泣き出したアリアはそう白状した。グスグスと泣きじゃくるアリアを見て、距離をとって背もたれに体重を預けて嘆息した。

 取り上げた冒険者証書によると年齢は十九歳とあったが……随分と子供っぽい。Bランクということなので、そこそこ実力はある割には浅はかな思考で犯罪に手を染めようとしたみたいだし、よくわからない。

 確かに幽冥の誘薬は裏取引で高く売れる代物だが、あんなに挙動不審ならば捕まえてくださいと言っているようなものだ。

 

 デルイは後ろに控えるルドルフを見た。ルドルフは小さくうなずき返す。

 ちょうど部屋の扉がノックされて騎士がやって来たので、役目は交代だ。

 二人は立ち上がり短く引き継ぎをすませると、泣き続けるアリアを残して部屋を後にした。


「お前はもっと普通に取締りができないのか?」


「ん? 何のことかな」


「とぼけるな、さっきの錬金術師だ」


「ああ」


 哨戒任務の続きをしながらルドルフはデルイに詰問した。


「女の子相手ならなるべく暴力に頼らず穏便に済ませたいじゃん」


「そうはいってももっと他のやり方があるだろう。さっきのやり方は逆に心臓に悪い」


 ルドルフが至極真っ当な意見を述べると、デルイが真面目な顔を作って向き直ってくる。


「それは、俺の顔が良すぎるせいだから仕方ない」


 呆れた。バディを組むように部門長に言われたのが一年と少し前。

 一年毎に交代するはずのバディだったがしかし、ルドルフとデルイの組み合わせだけは変わらなかった。なぜかと部門長ミルドに問うたところ、「お前以外に手綱を握れる人間がいないから」というにべもない答えが返ってきて脱力したのがつい先月の話だ。

 すると何だ、俺はこれから先ずっとデルイと組まされることになるのか。

 デルイは仕事ができる。二十二歳という若さにして抜群の検挙率を誇り、剣術も魔法も長けており、洞察力も異様に鋭い。報告書の書き方にもそつがなく書類仕事にも強い。数字だけで見るならば文句なしの優秀な職員である。


 だが、私生活の乱れがひどかった。ルドルフが頑張って多少更生したものの、相変わらず週の半分くらいは家にいないでフラフラしているようだし、朝帰りでそのまま仕事に来ている時もあるし、この間は夜中にルドルフの家に押しかけて来て「あ、部屋間違えた」と言って去って行った。叩き起こされたルドルフからすれば非常にいい迷惑だ。アパートを変えることを本気で検討したくらいだった。

 こいつは仕事は出来るが馬鹿に違いない、という思いが日増しに強くなっていく。


「それにしても、密輸してるのがみんなさっきのアリアちゃんくらいわかりやすかったら仕事が楽なのにな」


「あんなにあからさまに挙動不審な人間の方が少ないだろう」


 一目見ただけで「あ、この子なんか悪いことしてるな」とわかるほどの様子だった。あれでは捕まえてくれと言っているようなものだ。


「何で犯罪に手を染めたんだろうな……わざわざここで危険を冒さなくても、出先で稼げば良いのに。おかげで出立の機会を逃してる」


「手っ取り早く金が欲しかったんじゃないか。錬金術師は薬を作るのに色々と道具が必要だし、海外に行ったら思う程に調合できないだろうから」


 そんな会話をしながら第九ターミナル付近を歩いていると、何やらざわつく人の声が聞こえて来た。


「何かあったか?」


「さあ……」


 入ってみるとそこには、乗船を待つ客と空港案内係が押し問答を繰り広げる姿が。


「どうしたんだ?」


「ああ、ルドルフさん。実は今から航行予定の船の動力炉が突然壊れまして……本日の出港が難しそうなので延期を知らせていたところです」


 答えたのは金髪をひっつめにし、赤い口紅を引いた空港案内係の一人だった。胸元につけた札にはローズと名前が書いてある。ルドルフは眉根を寄せて喧騒を見つめた。


「代わりの船の手配は?」


「それが、本日飛ばせる船が生憎なくって」


「そんなことあるのか? 必ず予備の船が待機しているはずだと思うが」


「ええ、平常時であればそうなんですけど、実はたまたま動力炉が壊れた船が他にも複数ありましてもう余剰がなく……」


 ローズはひどく困った顔をしてそう言っている。


「冗談じゃないわ」


 ルドルフが事情を聴いていると、高い声がターミナルに響いた。他の空港案内係に詰め寄り、頬に手を当て、もう一方の手を肘においている。それほど大きな声ではないのによく通る声で、ざわめくターミナルの注目がそちらに一斉に集まった。


「私、出立だからもう家を引き払ってしまったの。今から下へ降りて宿を探せっていうの? 冗談はやめてくださらない?」


「お客様、ですが、動力炉の壊れた船を航行させるわけにはいきませんので……」


「なら一晩船に泊めて頂戴な」


 トランクを横に置き、背中が大胆に開いたタイトな赤いワンピースに身を包んだその女性はそんな交渉を始めた。腕を組み、背筋を伸ばしてツンと顎をあげて空港案内係を見据えている。帽子の隙間から見えるはしばみ色の瞳には強い意志をうかがわせた。


「ねえ? ここにいる皆様だって困っている事ですし、船室の提供くらいはしてくださらないと」


 女性は周りの客を味方につけようと手を広げてその場にいる人々へ訴えかける。

 そうだそうだ、一晩くらい船を貸し出せ、と言った声が多く上がり、ターミナルの責任者もやって来て結局押し問答の末に船に宿のない人には船室を貸す、という話でまとまる。

 イラつく利用客内でいざこざが勃発しないよう見張っていたルドルフとデルイだったが、事態が落ち着いたところでその場を去ろうとした。

 二人に気がついた先ほどの女性と目があう。ブロンドの髪が耳元で綺麗にカールしており、口紅を引いた唇が蠱惑的に弧を描いた。女性は二人に向かってウインクをすると、颯爽とトランクを引いて飛行船内へと消えて行った。


「あの人……」


「どうしたデルイ、何かおかしな点でもあったか」


「すげー美人」


 ガクッとする。そんなんばっかだなこの男は。


「もういい、行くぞ」


「はいはーい」


 気軽に返事をするデルイを引き連れて、ルドルフは哨戒任務を続けるべくターミナルを後にした。

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