第21話 夜の空港

 その日の夜、空港内で哨戒任務を請け負っていたのは吸血鬼ノスフェラトゥの血を引くユージーン・ストラウスだった。

 四十代に差し掛かるユージーンは長い黒髪に赤い瞳、伸びた八重歯で独特な雰囲気を醸し出している。年齢を感じさせぬ冷たい美貌を有している、夜に連なる系譜の男は、白と青を基調としたエア・グランドゥールの爽やかな制服が死ぬほど似合っていないのだがーーデルイよりもよほど一般常識を備えた、仕事のできる男である。

 夜の空港は昼よりも警戒しなければならない。

 行き交うのは昼の利用客とは異なり貨物船の船員、或いは運賃を少しでも安く済ませたい冒険者。月夜に照らされた空港内は昼と変わらぬ明るさを保っているが、利用する人数が少ないとそれだけで不気味な印象が漂う。

 ユージーンからしてみたら夜は絶好の行動時間だ。

 本来の能力を余すことなく発揮できるこの時間帯、中央エリアの隅で何かが蠢いているのを検知していた。

 それが何かは、行ってみないとわからない。

 しかし良いものであるはずはなかった。


「中央エリアは他の職員が見回っているはずだが」


 相方であるサミュエルがそうユージーンに声をかけてくる。


「だがこれに気がつけるものはそうそういない」


 低く、しかし注意を怠らずにユージーンは短く答えた。


「これ? 一体何があるっていうんだ。爆薬か何かか」


「いや、もっとタチの悪いものだな」


 吸血鬼族特有の冷たさを感じさせる顔立ちの眉をひそめて足早に中央エリアに向かう。

 最後には、駆け足になっていた。


「サミュエル、急げ! 人が襲われないうちに回収しなければ」


「おい、ちょっと待てよ」


 相方を置き去りにせん勢いで走ると、剣に手をかけていつでも対応できるよう神経を研ぎ澄ませる。あれが予想通りのものであればーー危険すぎる。


 中央エリアの冒険者が集う酒場の一角にあたりをつけたユージーンはサミュエルを連れ、周囲を警戒する。


「何も特別おかしな気配はないが」


 サミュエルは戸惑いつつもそう言うが、ユージーンには分かった。

 鼻の奥から脳髄を刺激するような、蠱惑的な香り。それは夜に連なる者にしか感じることができない、甘く惹きつける、誘いの薬。


 店と店の間、細い通路を通って先の突き当たりにそれは落ちていた。

 蓋が開いて中身が溢れているそれを、見つめる。


「これは……」

 

 相方のサミュエルが息を飲むのが分かった。ユージーンも小さく頷く。

 とろりとした琥珀色の液体が床に小さな水溜りを作っていた。


幽冥ゆうめい誘薬ゆうやくだ」


 嫌な予感がした。



+++


「中央エリアに幽冥の誘薬がぶちまけられていた?」


「ああ」


 翌日の出勤で神妙な面持ちのミルドにそう言われてルドルフとデルイの二人は顔を見合わせた。


「そうそう作れるような薬ではないから、昨日捕縛した錬金術師のアリアが所持していたものだろう。押収したのは全部で五本。騎士団に連絡をしたところ道すがらで落としたのかもしれない、と供述していたそうだ。まあないとは思うが、他にも空港内に落ちていたら事だから不審なものがあったら確認するよう徹底してくれ」


 はい、とルドルフと二人で頷くと連れ立って本日の哨戒任務へ向かう。


「どう思う?」


 尋ねたのはルドルフだ。デルイは周囲への警戒を怠らず、しかしルドルフの問いに答える。


「まあ、薬自体はアリアちゃんが持っていたものなんだろうね。問題はどうして瓶の蓋が開いていたのかってところだけど。酔っ払った冒険者が冗談混じりでぶちまけた、とかそんなところかな」


 幽冥の誘薬自体は結構名の知れたものなので、ここに集う高位の冒険者であれば知らないはずがない。知っていても空港に届出ず、面白がって中身を零すーー夜半に集う冒険者であれば十分にやらかし得る。


「何にしてもアリアちゃんはものすごい挙動不審だったから、一本落としたところで気がつかないんじゃないか」


「確かにな」


 言われてルドルフも頷いた。犯罪に手を染めるには向いていないタイプの女の子だった。歳だってまだ二十歳にも満たないし、こんなところで前科持ちになるとは全くくだらないことをしたなとしか言いようがない。


「ごめんなさい、その子捕まえてくださらない?」


 と、そんなことを話しながら歩いていると後方から聞き覚えのある声がして振り返る。フヨフヨと漂っているのは巨大な一つ目の魔物、ゲイザー。そしてその後ろには昨日第九ターミナルで見た短いカールした金髪の女性の姿。


「よっと」


 ただただ宙に浮かんでいるその魔物をデルイが両手を伸ばして軽々とキャッチすると、その女性へと差し出す。


「はい、どうぞ。君のペット?」


「そんなところ。可愛いでしょう?」


「なかなかいい趣味してるね」


 ゲイザーのような魔物を愛玩用にする人は中々いない。普通はもっと可愛らしい見た目の生き物を連れて歩く。しかしこの女性は両腕でゲイザーをかき抱くと、にっこり微笑んだ。デルイが「すげー美人」と称した通りに抜群の容姿を誇っている。


「ところで君、初めて会う気がしないんだけど。どこかで会ったことあったっけ」


 そうデルイが言えば、女性はさも可笑しそうに上品に笑った。


「ナンパの常套文句ね。初めてお会いすると思うわ、貴方みたいな人にお会いしたことがあるなら、絶対に覚えているもの」


 言って女性はキョロキョロと左右を見回す。


「エア・グランドゥールには初めて来たのだけれど。随分と大きいのね、迷ってしまいそうだわ」


「案内板がありますよ。船は動きそうですか?」


「それが、まだみたいで。動力炉の損傷ってそんなに直りにくいものなのかしらね? 代わりの船も融通が効かないみたいだし、いつまでもここにいるわけにもいかないから困ったわ」


「それは気の毒に」


 哨戒任務も何処へやら、デルイは話し込み始める。気になる点がありルドルフも会話に混じった。それになぜだか、デルイ同様にどこかで見たことがある顔のような気がした。知り合いに似た顔がいただろうか。


「代わりの船の融通が効かないというのはおかしな話ですね。どちらへ向かう船に乗る予定なんですか?」


「エルネイールよ」


「ああ」


 納得した。エルネイールは年中雷雲が渦巻く悪天候で知られる島国だ。特殊な環境下で育つ希少な薬草を目当てに行く人はそこそこいるが、雷雲を突っ切って着港するために特殊な装甲が必要なので飛ばせる船が限られている。


「あと二、三日はかかるっていうから、こうして待っているのよ。運が悪いってこういうことを言うのね」


 女性は唇を尖らせて眉根を寄せた。首を傾げ、ちらりとデルイへ目線を送る。


「ね、第九ターミナルで停泊中の船にいるから。……よろしければ、来てくださらない?」


「ああ、そういう話は仕事の後で」


「つれないわねぇ。私はソフィア。じゃ、待っているから」


 口調ほどには惜しくなさそうに、ソフィアと名乗った女性はにこやかに手を振ってゲイザーを連れて去っていく。

 

「おい、何を満更でもなさそうな顔をしてる」


「ん?」


「行くなよ。職場だぞ、迷惑を起こすな!」


「わかってるって」


 へらっと笑ってそう言うも、全然納得できなかった。デルイは職員には手を出さないが、利用客にはどうだろうか……信頼がおけない。

 ジロリとひと睨みしてからルドルフはデルイを連れ立って哨戒任務へと戻った。

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