第5話 相方は生活能力がない

「お疲れ様でしたー」


 兎にも角にも初日が終わった。二人は並んでロッカーで着替え、帰途につく。


「お前、家はどこなんだ?」


「ん? 郊外の職員用アパート借りてる」


 住所を聞けば、住んでいる階は違えど家の場所は一緒だった。


「同じアパートに住んでいたのか? 一度も姿を見たことがないぞ」


「俺あんま家帰んないから」


「帰らない? 普段どこにいるんだ」


「適当な……宿?」


 なんだそれは、と突っ込みたくなったが、あまり深く聞かないほうがいい気がした。多分聞いたら後悔する。


「せっかく家一緒なんだからどっちかの家で飲もうぜ」


 そして家の場所を聞いてしまったがために、こんな面倒な提案をされてしまった。ルドルフとしてはもう帰ってゆっくりしたかったが、デルイはその整った顔立ちに屈託のない笑みを浮かべてこちらを見ている。


「あんまり長居するなよ」


 仕方なくこう言った。飛行船に乗り王都へ降り、郊外のアパートまで徒歩で帰る。


「お邪魔しまーす」と言いながらズカズカ家へ入って行った。


「わ、家めっちゃ綺麗じゃん、スゲー、床が見える」


 入るなりそんなことを言い出す。


「水回りがピカピカだ。洗濯物もないし……使用人でも入れてんの?」


「いや……普通に自分でやってるだけだ。お前の家どうなってんだ?」


「見にくる?」


 興味本位で見に行って、見た直後にルドルフは後悔した。

  

 めっっっっちゃくちゃ汚かった。


 その部屋はルドルフの部屋と同じ間取りなはずなのに全くの別物に見えた。床に脱ぎ散らかした服が散乱してるし、ゴミと埃が溜まっている。


「どうしてこんなに家が汚れてる!?」


「いやだって、実家だと使用人がやってくれるじゃん。やり方がわからない」


 ルドルフは玄関で叫んだ。ここから一歩も先へ進みたくない。と言うか進めない。足の踏み場がない。対するデルイは腕を組み、壁にもたれかかって笑っていた。


「洗濯はいつしてるんだ」


「休みの日にまとめて」


「今すぐ洗え!」


 ルドルフは落ちている服を回収し、デルイへと投げつけながら部屋の奥へと進んでいく。豪速で飛んでくる自分の衣服を器用にキャッチしながら、デルイが不満げな声を出した。

 

「今から洗ったら乾かねえよ」


「一般魔法の乾燥で乾かせばいいだろうが」


「ああ、その手があった」


 デルイはのんきに手を打った。


「洗濯している間に俺は床を掃くぞ。箒貸せ」


「ないよ」


「はあ!?」


 ここに住んで一年は経っているはずだ。一年掃除してないってことなのか?ルドルフは絶句した。仕方がないので自分の部屋に戻って掃除道具一式を持ってくる。デルイは髪を一つに束ねて洗い場で洗濯しようとしていたが、洗い場からして汚かったので止めた。


「水回りの掃除から始めるぞ」


 ルドルフはたわしで床を磨き出す。デルイは浴槽の掃除を始めた。ワッシャワッシャと磨く音が響き渡る。ルドルフはふと疑問に思った。

 

なんで仕事終わりに、組んだばっかの相方の家の水回りを掃除する羽目になっている?


 全く意味がわからなかった。

 意味がわからないが、生真面目なルドルフはこの家の惨状を前にみすみす帰るわけにいかなかった。見た以上は綺麗にしなければ。変なところで律儀なルドルフは、ひたすらに掃除を進める。

 水回りが綺麗になったところでデルイに洗濯をするよう言いつけ、自分は床を箒で掃く。窓を開けて換気をしつつ埃をベランダへ掃きだす。ゴミはちりとりで回収した。埃がなくなったらモップで床を磨く。

 机の上にはいつのだかわからない皿やコップが置いてあったので下げてキッチンで洗おうとしたら、キッチンが埃にまみれていたのでここから綺麗にした。


「デルイ、洗剤どこだ。食器洗う用のやつ」


「シンクの下」

 

 ぱかっと開けるとそこには洗剤一つしか入っていない。本当にこの家で生活している気配がなかった。


「このスポンジいつのだ? 俺の家にある新しいやつとってくる」


 へたったスポンジをゴミ箱に突っ込んで、ルドルフは家へと再び帰った。階が違うので地味に面倒臭い。

 

 このアパートの部屋は十畳くらいのリビングと寝室のふた部屋で構成されており、たいして広い訳ではない。デルイがものを溜め込むタイプの人間でなかったことも幸いして、なんとか二時間が経過する頃には部屋が綺麗になった。


「おー、すげえ。見違えるようだ。あんがと」


「のんきだな……」


 リビングのソファに座り込み、ルドルフは天を仰いだ。デルイは綺麗になった部屋を見て、「じゃー早速飲もうか」と言ってワインとグラスを持ってきた。


「そういうもんは蓄えてあるのか」


「まーね。ツマミないけど」


「飲んだらちゃんと洗っとけよ」


「はいはい」

 

 グラスを傾け赤ワインをひと口飲むと、仕事と掃除で疲れた体に染みわたった。


「てかなんでルドはこんな掃除できんの? モンテルニっていったら侯爵家だろ。大貴族の息子がどうして生活能力を備えてるんだ」


 もはやデルイはルドルフを先輩だと敬う気は無いようだったが、そんな事を今更突っ込む気にはなれなかった。そんな小さい事を言い出すならその前に部屋の掃除など手伝わない。だが終えてから気づいたが、別にデルイは掃除をして欲しいとは一言も言っていなかった。あまりの部屋の惨状にルドルフの方からやり出した事だ。これが、ミルド部門長が言っていた「相手のパーソナルスペースに入るのがうまい」というやつだろうか。だとすれば自分もすでにデルイのペースにはまっていることになる。恐ろしいやつだな、とルドルフは戦慄した。

 ともあれ質問に答える。


「家を出るとき一通りのことを教え込まれた。一人で暮らすなら基本的なことはできないと困るだろうと言われてな」


「ずりぃ。俺んとこなんか剣と魔法と社交界のことしか教えてくれなかった」


「大体の貴族の家なんてそんなもんだろう」


 むしろルドルフの家が変わっている。おかげでこうして生活に困ることなく好きな職場で働けている訳なので有り難い限りだ。


「デルイはどうして空港で働こうと思った?」


 ふと疑問に思いルドルフが尋ねる。


「あんまり深い理由はない。騎士団はクソ親父たちがいるから嫌だし、冒険者になる気は無かったし、他に剣の腕で食っていける職業が無かったから。ルドは?」


「俺は空港が好きだから」


「好き?」


 そう、ルドルフは空港が好きだった。幼い時に連れられて行った旅行で初めてエア・グランドゥール空港へと足を踏み入れた。旅立つ時の高揚感とわずかな寂寥、漠然とした期待と不安。様々な感情がない交ぜになる空港という場所が好きで、働きたいと思っていた。こうして勤務している今もその気持ちは変わらない。


「変わってんね」


 デルイがグラスにお代わりを注ぎながら言う。


「お前こそ。あんだけの腕があれば騎士団で上を目指せるだろうに」


「いやそれは本当勘弁」


 デルイが顔をしかめた。そんなに家の者と顔を合わせるのが嫌なのか。


「ところでルド、料理もできる?」


 デルイがそんなことを言い出した。


「簡単なものなら」


「あ、本当に? なんか作ってくんないかな。腹減った……」


 机にコテンと頭を乗せて力なく言った。眉尻が下がっている。そういえば帰ってくるなり掃除を始めたから何も食べていない。


「食材は……ないよな」


「調理器具もないよ」


「なんか作ってやるから俺ん家こい」


「お、やりぃ」


 ルドルフは仕方なく立ち上がりそう言った。デルイが嬉々としてついてこようとするので、これだけは言わねば、と思ってバシッと言った。


「俺は先に戻るから、グラス洗ってから来い!」

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