第十一話 茶山 貴志(42)の場合

「俺はドテマの……魔法使いの取材に来ただけなのに……」


「遅くなりましたー! スーツ着るのに手間取っちゃって……って、何!?」


 食堂の両開きのドアを勢いよく開けた黄倉くんは、床に体育座りしている俺を見つけるなりぎょっとして飛び退いた。


「災害現場の報道に来たわけじゃないのに……て、いうかM.F.エムエフはファッション誌なのに……」


「壁に向かって何ブツブツつぶやいてるんすか、佐藤さん」


「……なんでこんなことになったのか考えてるんです」


 パワーアシストスーツを着た黄倉くんを見上げて、俺はヘラヘラ~と力なく微笑んだ。


「俺と赤間のミスだ」


「茶山さんを怒らせちゃって……」


 パワーアシストスーツに着替えた緑川さんと赤間さんが困り顔で俺の代わりに答えてくれた。


「えぇ~! 茶山さん、怒らせちゃったんすか!? 俺、いつも以上にミスできないじゃないっすか!」


 妖精災害の現場でミスするのは命取りなのでは? とも思ったけど、黄倉くんにツッコミを入れてる余裕もない。緊張と不安で吐きそうだ。

 それに――。


「あの……茶山さんって魔法使いなんですか?」


 もっと聞くべきことがある。

 パワーアシストスーツに着替えた黒木くんが食堂に駆け込んできたのは白瀧さんが妖精の出現と出動を告げた直後のこと。エプロンを外した茶山さんが黒木くんの肩をつかんだ瞬間、二人の姿が消えたのだ。

 消える直前、茶山さんが――黒木くんではなく茶山さんが、こうつぶやいていた……気がした。


 転移、と――。


「でも、魔法使いって三十才まで童貞だった人がなれるもので……茶山さんには娘さんがいて……娘さんがいるってことは童貞なわけなくて……」


「俺は魔法使い。以前は銀研究事務所に、今は警察庁妖精災害対策課魔法室に所属するれっきとした魔法使いだよ」


 ほとんど独り言になりかけていた俺の言葉に冷ややかな声が返ってきた。振り返って声の主の表情を確認するよりも早く――。


「転移」


「……!」


 まわりの風景が変わった。白を基調とした妖精災害対策課魔法室内の食堂から、薄い青色の空が広がってて風がビュービュー吹く屋外に……ってのはわかったけれども!


「どこ、ここ!?」


「西区にあるビルの屋上だ。向こうのタワーマンションに黒木くんがいる。黒木くんから死角になるのがあのあたりと……あのあたり。黄倉くんはそこを重点的に監視して」


「はい、監視しまっす!」


 俺といっしょに黄倉くんも〝転移〟していたらしい。背筋を伸ばして大真面目な顔でうなずく隣の黄倉くんをチラ見したあと、俺は白いシャツにチノパン姿の茶山さんに目を向けた。


「正真正銘、俺は魔法使いだ。あの子は姉貴の娘。妖精に殺された俺の姉貴と義兄にいさんの娘なんだよ」


 話しながら茶山さんの目は眼下にいる何かを追いかけていた。多分、妖精がいるのだろう。


「あの頃、俺は親父とお袋から継いだ小さな洋食店をやってた。昼時に姉貴から電話がかかってきて、このクソ忙しいときにって舌打ちしながら出たら……」


 眼下をにらみつけたまま、茶山さんはキッチリと一つ結びにしていた髪をほどいた。さらりと薄茶色の髪が風になびいた。

 舌打ちしながら出たら……なんだったのだろう。茶山さんははっきりと言葉にはしなかった。


 でも――。


「姉貴の家まで車で三十分。スマホのスピーカーをオンにして、助手席に放り投げて……人生最悪のドライブだったよ」


 その言葉だけで容易に想像ができた。


「俺が姉貴の家についたときには全部終わってた。紅野さんと白瀧さん、あの子を抱いた紫村さん……それと握りつぶされたゼリーみたいにグチャグチャになった妖精。紫色の体の中に肌色と赤色が混じった妖精だけがいた」


 肌色と赤色の正体を想像して――吐きそうになった。


「姉貴の最後の言葉は〝あの子のことをお願い〟。いまだにあのときの姉貴の声が耳にこびりついてる。姉貴たちのところに一瞬で行けたらって気持ちが残ってる」


 だから茶山さんは〝あの子〟のお父さんになった。

 だから茶山さんは魔法使いに――〝転移〟という魔法を使える魔法使いになった。


「白瀧さんのことだし取材始める前に佐藤くんに箝口令かんこうれいをかけてるんでしょ? なら言うまでもないだろうけど……このことは絶対に記事にしないでね」


 一番上までキッチリとめていたシャツのボタンを一つ、二つと外しながら茶山さんは俺に向き直った。

 シャツの下にパワーアシストスーツの黒色が見えた。いつでも出動できるように、誰よりも早く出動できるように、いつもシャツとエプロンの下に着ているのだろう。


「あの子は俺のことを本当の父親で、魔法使いなんかじゃなくて、ちょっと料理が上手い普通の人だって思ってる。俺もあの子にはそう思われてたい。ドロドロの感情に飲み込まれて妖精をグチャグチャにしてる姿なんて知られたくないから」


 茶山さんに言われるまでもなく記事になんてするつもりなんてない。


「……はい」


 俺の返事に薄く微笑んで、茶山さんは〝転移〟とつぶやくと姿を消した。


 M.F.うちの読者や編集長が求めているのはそんな重苦しい話題じゃない。

 それに俺が書きたい記事も――。


「あれ……?」


 そこまで考えて俺はふと薄い青色の空を見上げた。


 俺が書きたい記事は……どんな記事だっただろうか。

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