第3話 第202号駆潜特務艇/掃海船MS14号

第202号駆潜特務艇

 第202号駆潜特務艇は,日本海軍が急遽作成した防備兵力の強化のため,太平洋戦争開戦の寸前に予算が成立し,戦時中に建造された駆潜特務艇の一つである。

 排水量130トン,木造,全長29.5メートル,最大幅5.65メートル,13mm機銃1,爆雷22個を搭載した。

 日本海軍は決戦兵力を重視し,防備兵力は,開戦直前に機雷学校を設置した程度だった。ただ,防備所要戦力として,フィリピン方面から輸送船団護衛のため2個水雷戦隊程度,日本海航路保護のため小型艦艇50隻程度を要するとしていた。そこで、整備された。

 

 昭和20年4月,門司に「第七艦隊司令部」が置かれた。その任務は,日本海の食糧輸送航路の死守および関門海峡の掃海だった。

 通常,艦隊司令部は,ラバウルやサイパン等戦場に近い前線基地に置かれる。鎮守府はおろか海軍関係の施設のない場所に置かれることは,他に例がない。

 門司港と関門海峡は,最前線だった。

 

 門司港は,大陸からの食糧搬入の主要受入港であった(戦前建設の農水省門司食糧倉庫が田ノ浦地区に一部現存)。実は,日本は,大正時代から食料の自給率低下に悩んでおり,慢性的な食糧不足であった。

 一方,北九州から搬出される石炭は,主に阪神工業地帯の操業に用いられた。

 米海軍は,これを看破し糧道と工業を遮断することを企図した。関釜航路を潜水艦と空母機動部隊の航空機により攻撃,崑崙丸,天山丸等大型船舶をほとんど沈めた。

 そして,仕上げに関門海峡を機雷で封鎖した。

 第七艦隊の兵力は,少数の海防艦および特務駆潜艇等である。米海軍に比べ,無力だった。


 昭和20年(1945年)8月15日,玉音放送により,日本国民に対しポツダム宣言の受諾が宣された。ポツダム宣言は陸海軍の解体を求めた。そこで,日本政府および陸海軍は,各部隊に対し連合国軍に対する戦闘行為の中止および武装解除を命じ,各部隊はこれに従った。


 ここで,重大な問題が生じた。

 日本海軍は設立以来,海難救助および海上での警察活動を担った。また,掃海を含む機雷戦は戦闘行為であり,海軍の任務である。

 その海軍が,消滅した。

 日本,そしてポツダム宣言を執行する連合国総司令部にとって,主要港湾が機雷封鎖されていることは看過できない。そこで,昭和20年9月,専ら復員と組織解体の事務を行っていた海軍省軍務局内(海軍省の廃止は昭和20年11月30日)に,「掃海部」が新設された。機材と人員は,旧海軍のそれを引き継ぎ,門司と下関に,掃海部隊が置かれた。

 掃海部は,第二復員省,運輸省を経て海上保安庁の所属となる。

 第202号駆潜特務艇は,掃海を任務とする「掃海船MS14号」となった。


 ところで,航路啓開に参加した人,特に幹部(士官)は,何を支えに過酷な掃海業務を行ったのだろうか。

 筆者は,海上自衛隊OBが記した準公式の記録を見て驚愕したことがある。

 昭和20年11月,元海防艦が,連合軍の指揮下,朝鮮海域で掃海作業を実施していた。その艦長が,任務に不服を唱えた乗組員に同調し反乱を扇動,一触即発となった旨の記録である。

 艦長は,任務と乗組員の生命に対し責任を負う。また,日本海軍は,悲惨で理不尽の限りを尽くした戦時中でも,指揮官が不満から部下に反乱を唆す類の不祥事は起こさなかった。

 ここまで極端な例は他にないものの,秩序上の問題は頻発したようである。

 

 今日では「終戦時の混乱」と片付けることもできる。

 しかし,筆者はそれだけで割り切れないと思っている。

 海軍士官は,そのスマートさ故日本中の少年が憧れた。また国防という崇高な任務を担うエリートとして,国民と社会から限りない敬意を受けた。

 敗戦は,それを燃やし尽くした。そして,航路啓開の必要性だけ残った。

 航路啓開は,死の危険を伴う。そして死の意味は,終戦前と異なる。

 国家の顕彰も,社会の賞揚も極めて薄い。生命と財産を奪い尽した戦争の記憶から「今更お国のためか」という冷めた感情もあったろう。

 長い戦争が終わった後に,命を賭して航路啓開に従事する彼らの内心はどうだっただろうか。

 敗戦国の旧軍人として,国民に対する責任感か。

 それとも,敗れてもなおネイビーとして密かな誇りを胸に抱き,それを矜持とした のか。

 もしくは,もっと単純に,海で,自分の意思で選んだ仕事をすることの喜びと誇りだろうか。

 航路啓開は,昭和27年まで78名が殉職した。220名余の負傷者が出た。


 掃海船MS14号と乗組員は,危険な航路啓開を黙々とこなした。

 この間,昭和20年から24年までの関門海峡と門司港の詳細は不明である。例えば門司税関は「終戦の混乱と機雷封鎖で入出港はほとんどなし,ただし詳細不明」と記録する。北前船が盛んに航海していた江戸時代より後退していたといえる。

 それでも昭和24年10月,関門海峡は航路啓開が終了し,安全宣言が出された。

 

 昭和25年(1950年)6月,朝鮮戦争が発生した。

 北朝鮮軍は,機雷を朝鮮沿岸に敷設した。

 米海軍は,1947年に太平洋艦隊の機雷戦部隊を解隊していた。また,新設早々の韓国海軍は,掃海艇を有してはいたものの掃海経験は皆無であった。

 そこで米海軍は,海上保安庁掃海部隊の投入を決した。


 掃海部隊は,連合軍の企図を告げられず「門司に集結せよ」と命令を受た。

 繰り返しだが,掃海部隊の幹部は旧海軍軍人である。「軍人」に企図を告げられず命令がされることがある。例えば真珠湾攻撃のため単冠湾に集結した艦隊は,機密保持のため企図を告げられなかった。

 ただ,「国家の命運を自分たちが担う」という高揚はあったという。

 彼らは,門司へ集結命令を受けたとき,そのときのことを考えたかもしれない。


 朝鮮海域で掃海にあたる掃海部隊は,「特別掃海隊」と称され,4隊に分かれ朝鮮半島海域に投入された。

 このとき,参加艇は海上保安庁のマークを消去した。日章旗掲揚も許されず,公船であるにもかかわらず,日本商船管理局旗を掲げた。

 掃海船MS14号を含む掃海隊は,門司から出港し,10月10日より朝鮮半島・元山沖で掃海を開始した。


 10月17日,MS14号は,触雷,瞬時に沈没した。

 このとき,まだ21歳の,中谷坂太郎保安官が犠牲となった。

 中谷保安官の死は,国家機密扱いだった。

 命懸けで職務に従事する者が,その職務で命を落としたとき,死に意義を求めるのは自然な感情である。

 だが、中谷保安官が落命したとき,日本は占領中であった。そして,既に新憲法(現行憲法)が2年前から施行されていた。第9条も含まれる。だから,戦闘行為と解しうる行為で死者が出たことは政治的に許容できないとされたからである。

 中谷保安官の死は,占領下とはいえ,日本人が戦後,西側諸国として初めて国際貢献を実施し,犠牲を出した点において尊い意義がある。

 しかし中谷保安官の死は,極秘扱いにより,長い間,その意義が曖昧となった。


 この直後,日本側掃海部隊指揮官は,慎重な作業をしたい旨,米海軍指揮官に要請した。しかし,米海軍指揮官は言下に拒絶し「直ちに掃海作業をせよ」と厳命した。

 日本側指揮官は,隊員に再び死者が生じる可能性が高く続行不可と判断し,離脱した(ただし,事後後退を追認する命令が出された)。

 ステレオタイプにみれば「軍事組織で最も重罪とされる抗命事件」であり「旧海軍ならありえない」等と表現しうる。

 だが,派遣指揮官は苦しんだだろう。

 母国は占領下にあり,命令は理不尽であり,国旗すら掲げられぬ船で部下に死を賭した行動をさせなければならない。

  

 離脱命令を下した日本側指揮官は,責任を問われ職を追われた。

 他の指揮官,掃海部隊の隊員は,黙々と,朝鮮海域での掃海任務に従事した。


 公刊資料は,この掃海任務を「講和・自衛隊の創設、ひいては日本の安全保障上,大きな貢献をした」と評価する。

 筆者は,それを否定しない。半面,後世の,結果的な側面からの評価であることも頭の片隅に置きたい。

 筆者は,掃海部隊隊員の心情を思いたい。


 昭和29年,海上自衛隊が発足した。

 戦争の記憶と政治的事情から,海上自衛隊の規模,そして海上自衛官の地位は,旧海軍のそれに比肩すべくもない。

 ただ,有形無形の財産,自衛艦旗,何より人材を引き継いだ。掃海部隊の隊員も,多くは自衛官となった。

 彼らに,日章旗,そして自衛艦旗の下で,明確に,自国民のために防衛を担うときが巡ってきた。

 そして,下関の吉見には,旧海軍の防備隊を引きついだ「下関基地隊」がある。

 

 関門海峡は,途切れることなく船が通る。和布刈神社から田ノ浦までの海岸は,潮流が間近く,轟轟と音を立て流れる海の姿がある。

 海峡は狭く,大型客船や自動車運搬船が関門橋の下を通るとき,岸から見ると,舷側が高く,しかし船体には手を伸ばせば届きそうな近くを進んでいくように見える。

 関門海峡は,今日も船が行き交い,人の思いを飲み込むように,強い潮が流れている。

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関門・船の話 @honngou_bukio

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