第2話 涼月

 涼月は,旧海軍の防空駆逐艦である。今は若松港にあり,高塔山に慰霊碑がある。

 2700t・全長134mにたいして全幅11.6m という。現在の護衛艦や,和布刈に基地を置く海上保安庁の巡視船より,スマートな船体をもつ。それに,当時最新鋭である長10センチ高角砲を前後に2基4門,合計8門と最新の光学式高射装置(射撃指揮装置)を備えた。また,艦橋その他の構造物は,工期短縮のために角型・直線化された。この点は,近年ステルス性を意識した現代護衛艦につうじる。

 涼月の任務は,強力な長10センチ高角砲を用いて,敵航空機から戦艦・航空母艦を守ることにあった。


 涼月は,幸運とはいい難い艦だった。

 昭和18年(1943年)に竣工し,直後,魚雷2本を受け艦首と艦尾を喪失し,艦長以下艦の幹部が全員戦死するという大損害を受けた。ただし,沈没は免れた。このこと(修理)がもとで,大きな作戦に参加できなかった。

 涼月が参加した大きな作戦は,昭和20年(1945年)4月,沖縄を攻撃中の米艦隊に対する戦艦大和の突入作戦,いわゆる海上特攻作戦である。

 

 この作戦は,圧倒的な軍事力により沖縄の占領を意図する米軍に対し,大和に死に場所を与えることを意図した作戦行動である,とされていた。つまり,軍事的合理性は二の次,精神主義を優先した作戦だといわれ,筆者もそう思っていた。

 ところが,それは違うという見解を目にした。当事者(戦艦大和の作戦行動を決める連合艦隊司令部の参謀と司令長官)は,「わが方の特攻隊が,沖縄に来寇した米艦隊に対し」「大損害を与えた」と認識していたというものである。この認識から,いまこそ戦果拡大の好機と考えた,というものである。

 確かに特攻作戦は実施され,米海軍に損失が生じていた。しかし,それは軽微なものであり,現実に米海軍は,九州各地に対し強力な航空攻撃を継続実施していた。

こんにち「大損害を与えた」という認識が事実に照らして誤りであることは明白である。むしろ当時でも,事実を理性的,合理的に分析し判断すれば,誤りと判断するのが自然と思う。特に軍事専門家ならば,誤りを認識すべきと思われる。

 同種の誤りは繰り返された。例えば昭和19年(1944年)10月,フィリピンの戦いにおいて,連合艦隊司令部のスタッフは,戦果の検討を怠り「大損害を与えた」という誤った認識で作戦指導を行った。

 結果,米海軍の猛攻を受け,海上戦力は壊滅した。

 陸軍はその認識に立って海上機動を強行し,一度に2万の兵員が犠牲になったことをはじめ,今なお正確な数が判らない大損害を受けた。


 筆者は単純に,過去の,事実認識の欠如や精神主義を問題視しているわけではない。そのことを伝えたいため,日本海軍の組織運営や人材教育について触れる。

 海軍は軍事力かつ航海という,高度の技術力の運用を要する。このため,科学的思考と合理性を重んじた。日本海軍が採用した事柄(例えば人事考課や面接等)は,広く現代社会に引き継がれている。

 つまり,組織として先進的で優れた面があった。

 また,大和の沖縄突入作戦を立案・推進した神重徳大佐は,昭和17年8月,よく似た作戦を立案・実行し,世界の戦史に残る大成功を収めた。

 

 大和の最期に関する事情を「科学的思考と合理性を欠いた」と非難する意見は多い。筆者もそれは否定しない。

 ただ,このことは,人が,社会的地位・知能・実績に関らず,理性・合理性に基づいて意思決定を行い,行動することは著しく困難であることの(時代を超えた,やりきれなさの残る)証左と思う。


 涼月が護衛する戦艦大和は,昭和20年(1945年)3月下旬,沖縄上陸のために現れた米艦隊に対し,出撃の構えを見せて牽制する意図で,関門海峡を通峡し佐世保へ向かうはずだった。

 関門海峡の浚渫は,明治以来国家事業として継続していた。その中で,昭和16年(1941年),緊急工事として実施された関門海峡浚渫は,以前の業務と比べ物にならない程の膨大な予算・物資が,短期間に投入され実施された。

 一説には,呉で建造中だった戦艦大和の完成を見越し,大和型戦艦が呉と佐世保の間を容易に移動できるようにするためだったという。通常の浚渫工事と異なり,浚渫した深度が軍事機密として公開されなかったことも異例だった。

 だが,関門海峡は,昭和20年(1945年)3月27日から実施された米軍による機雷攻撃で封鎖された。もし大和が予定通り関門海峡を通峡すれば唯一の例となったはずだが,機雷により艦船通行不可となり,大和と涼月の佐世保移動は中止された。


 昭和20年(1945年)4月1日,米軍が沖縄に上陸した。

 沖縄に上陸し攻撃中の米艦隊を攻撃するため,戦艦大和は沖縄に行くことが決まり,涼月も,同年4月6日,山口県徳山(現周南市)沖から大和に従って出港した。

 翌7日,大和は,航空機により2時間余りで撃沈された。


 ところで,戦艦大和には,「無用の長物」「時代遅れ」という意見もある。筆者は,歴史に対する態度として浅薄と思う。筆者は,大和が示すのは,時代が,想像を絶する速さで流れることであると思う。

 そもそも1940年頃まで「戦艦は航空機の攻撃力で撃沈できない」というのが常識であった。「戦艦は厚い装甲と強力な対空火器を備え,回避のため海上を自由に機動できる」という合理性をもった根拠があった。

 それは,1941年12月,開戦初日と翌日,日本海軍は,戦艦を撃沈するという事実でその誤りを示した。

 そして,1944年10月,米海軍は,大和の同型艦である戦艦武蔵を,12時間の航空攻撃で撃沈した。

 さらに,1945年4月,大和を2時間,つまり武蔵の時と比べ6分の1の時間で撃沈した。

 そして,同年8月,大和の撃沈から丁度4か月後,広島は,1発の原子爆弾で壊滅した。同年末までに,20万人が亡くなった。

 

 涼月は,大和同様,米海軍機から多数の攻撃を受けた。特に艦首の被弾による破口は大きく,艦内に大浸水が生じ,沈没のおそれがあった。加えて,航海機器(コンパスや海図)・通信機器が全損した。敵の攻撃以前に,海難事故による沈没が生じかねない事態だった。涼月艦長の平山敏夫中佐が生存したことは わずかな幸運だった。


 軍の艦艇が大破した場合,味方が撃沈することがある。艦艇そのものが軍事機密であるためである。現に,大和に従った駆逐艦磯風(真珠湾攻撃・ガダルカナルの戦い等,太平洋戦争の開戦から多くの激戦に参加した艦)は,大破し航行不能となり、駆逐艦雪風がこれを沈めた。

 涼月は,大和沈没後も続く米海軍機の攻撃と混乱,そして日没のため,味方からはぐれた。ただ,致命傷を負ったことは僚艦にわかっていた。だから,涼月には生き残った現地司令から「撃沈処分してよい」という命令が出た。

 

涼月の平山艦長は,通常航行では涼月が沈むと判断した。そこで,機関後進での帰投を命じた。

 異様な判断である。

 通常,艦艇は後進で外洋航行することを想定しない。そして後進では,敵の攻撃を事実上回避できない。涼月の武装はほぼ全滅し,敵からの攻撃になすすべがない。


 この前後,3名の乗組員が,懸命の防護処置を施していた。艦首から浸水する涼月の浮力を少しでも保つため,艦首弾薬庫を内部から密閉したのである。措置を施した乗組員は、脱出できない。涼月は敵,そして味方の手でも撃沈されかねない状況であった。一方,涼月は九州の近海にいた。このことから,乗組員の救助を期待して,無理をしない選択を取ることに合理性はあったと思われる。しかし,3人の乗組員は,涼月とその乗組員を救うための選択をした。

 

 涼月は,原始的な天測や生き残った水兵の島影の記憶に頼るという方法で,佐世保を目指し航海した。そして大和が沈められてから丸1日後,大和とともに出撃した艦の最後の生き残りとして,佐世保港に帰ってきた。

 佐世保中の艦船は,よろめくように入港してきた涼月をみて,汽笛を鳴らした。曳船が船渠へ曳航した。だが,涼月は,最後に崩れ落ちるようにして沈んでしまう。ただ,修理用の船渠に入った瞬間のことだった。


 やがて,船渠が排水され,涼月の全容が明らかになった。

 前部弾薬庫の中で絶命した3人の兵員,角材で防水措置を取った姿勢のまま戦死した乗組員,配置の座席に座ったままの姿で戦死した乗組員が収容された。

 生き残った乗組員が,船渠の底で涼月の艦腹をさすっていた。


 涼月は,その傷の重さ,また戦況のひっ迫から,海面に浮かべるだけの修理を受けた後,浮き砲台として,佐世保港外に係留され,航海する機能を失ったまま,終戦を迎えた。


 太平洋戦争は昭和20年(1945年)8月に終わる。生き残った国民は,食糧とエネルギーを要した。

 若松港は,漁港であり,かつ石炭積出港であった。国民生活を安定させるため,若松港の早急な戦災の復旧と改修,具体的には防波堤の構築が必要だった。

 日本は,敗戦国である。防波堤に使う資材すら十分入手できなかった。戦後を生き抜く国民を支える必要がある。

昭和23年(1948年),涼月は,ほかの艦艇とともに,若松港の防波堤となることとなった。共に沖縄に向かった僚艦の駆逐艦冬月,そして,駆逐艦柳も同じく若松港外に固定された。

 だから,涼月は,響灘の若松港外の防波堤の基礎になり,今も眠っている。

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