第11話 母と幼馴染み

 士官学院選抜試験が終わり、学院を出た俺は寄り道せずに真っすぐ家に帰ってきた。


「ただいま」


 家の鍵を開けて中に入るが、返事がない。


「母さん?」


 もう一度声をかけてみるが、やはり返事がない。


「あれ? 出かけてるのか?」


 マジかよ。


 もうお昼過ぎだからメッチャ腹減ってるのに。


「しょうがないな」


 一刻も早く昼ご飯を食べたいところだったのだが、いないのなら仕方がない。


 今日の剣術科の試験で大分汗を掻いたので、先に風呂に入ることにした。


 鞄から、今日の試験の際に着た運動着を取り出し洗濯籠に入れる。


 洗濯籠の横にある洗濯機が動いている。


 この洗濯機は最近買い替えたばかりの最新式で、最先端の魔道工学を用いて作られている。


 神族が人族への教育を熱心に推し進めたことで、こういう魔道工学が大いに発展した。


 街にはこの魔道工学で動く魔道車や魔道バスが走り、夜は魔道灯が明るく照らす。


 各家庭には映像受信機……テレビがあり、遠くの人と話ができる通信機があり、大人たちは更にそれの携帯版を持っている。


 他にも生活を便利に、豊かにする魔道工学製品が家や町中に溢れている。


 魔道工学士を育成する魔動工学院は、士官学院や政経学院、商科学院に比べてはるかに広く門戸を開いているため、今後も魔道工学は発展していくと思う。


 最早、魔道工学製品なしには生活なんてできない。


 それほどに魔道工学製品は世に溢れており、生活に密着している。


 今後もどんどん便利に発展していくことは間違いないと思われるが、ただ一つだけ『空を飛ぶ乗り物を作ってはいけない』という禁忌がある。


 空は神族のテリトリーであって、如何に庇護している人族であっても侵してはならないらしい。


 正直勿体ないと思う。


 空が飛べれば妖魔に煩わされることなく街から街へと移動できるのになと、そんなことを考えながら洗濯機を見ると、洗濯終了までの残り時間が見えた。


 まだ終了まで大分時間がある。


 つまり、母さんが家を出てそんなに時間が経っていないということだ。


「うえぇ。風呂入ってる間に帰ってきたりしないかな……」


 できればそうあって欲しいと願いながら服を脱ぎシャワーを浴びる。


 とりあえず、汗を流すだけだからシャワーだけでいいだろう。


 湯舟に入るのは夜でいいや。


 頭と身体を洗い、ザっと流して風呂から出る。


 当然、洗濯はまだ終わっていない。


 俺はキッチンに移動し、冷蔵庫からジュースを取り出しコップに入れ、リビングのソファーに座り、テレビのスイッチを入れる。


 休日のこの時間は特に面白い番組をやってないんだよな。


 いくつかあるチャンネルを変えながらジュースを飲んでいると、玄関が開く音が聞こえた。


「フェリックス、帰ってるの?」


 そう言いながらやけに多い買い物袋を持って入ってきたのは、母である、サーシャ=カインド。


 艶のある黒髪と黒い瞳を持ち、年より大分若く見える外見と、若いころから変わらない体形が自慢なのだそうだ。


「おかえり。試験は昼までなんだから帰ってるよ」


 試験のことは母さんにも言ってあったはずなのに、なんでそんなこと聞くんだろ?


「あら、そう。いえ、さっき買い物に行ったらね、剣術クラブと魔法クラブの子たちが一緒にご飯をテイクアウトしてたから、てっきりフェリックスもそこにいるんだと思っちゃったわ」


 ……そうか。


 結局、合同で打ち上げをしてるのか。


 それでも呼ばれないってことは……はは、これは相当嫌われてるな。


 まあ、分かってたことだけど。


「母さん、お腹空いた。なんか作って」


 これ以上この話題に触れて欲しくなくて、なにも気にしていない風を装って話題を変えた。


 お腹が空いているのは事実なので。


「はいはい。あ、でも、今日の夜御馳走にするつもりだから、お昼は簡単なのでいい?」

「いいよ。ってか、なんで夜御馳走なの?」

「なんでって、今日は士官学院の選抜試験でしょ。中等学院の三年間、今日のために頑張ってきたんだから、無事に終わったことをお祝いしなくちゃ……無事に終わったのよね?」


 言いながら不安になったのか、母さんは試験がちゃんとできたのか聞いてきた。


「ああ、うん。多分大丈夫」

「多分てなによ?」

「なんかさ、今回の試験、魔法と剣術の両方やるって言ったでしょ?」

「言ってたわね」

「一応、両方それなりにできたと思うけど、結局どれだけできればいいのか、なにが目的なのか分からなくてさ」

「そう。まあ、ちゃんとできたのならいいわ。お疲れ様フェリックス」

「ああ、うん」


 幼馴染みや同級生たちには嫌われている俺だけど、こうして両親からは大事にされているのが分かる。


 照れ臭いから言わないけど、そのことは非常に感謝している。


 ほどなくして昼食ができ、それを食べ終わって食休みをしていると段々眠くなってきた。


 試験で運動して、シャワーを浴びて、ご飯を食べたからかな。眠くてしょうがない。


「ふあぁ……母さん、俺、ちょっと寝るわ」

「珍しいわね。試験が終わって気が抜けちゃった?」

「そうかも……晩御飯の前に起こして……」

「はいはい」


 俺は母さんにご飯の前に起こしてもらうように言って自分の部屋に行き、そのままベッドにダイブした。


 母さんの言った通り、選抜試験が終わって気が抜けたんだろう。


 俺は、すぐに深い眠りに落ちた。






******************************************************





 部屋に寝に行ったフェリックスを見送ったサーシャは、フェリックスが部屋に入ったのを確認したあと、フッと息を吐いた。


 さっき街中で剣術クラブと魔法クラブの合同打ち上げに遭遇したのは偶然だ。


 商店街を集団で移動する学生の集団がいることに気付き、その中にフェリックスの幼馴染みであるケイン、エマ、ステラを見つけたことで、彼らが今日士官学院の選抜試験を受けた剣術クラブと魔法クラブの人間であることに気付いた。


 ケインたち三人がいるから、当然フェリックスもいるだろうと思ってその存在を探すのは母親として当然だろう。


 声をかけると嫌がられるかもしれないので姿だけ確認しておこう。


 そう思ったのだが……。


(あれ? フェリックスがいない)


 どこを探しても、フェリックスの姿がない。


 ケインたち三人の側にも、離れた場所にもいない。


(まさか……)


 嫌な予感がした。


 サーシャは、息子が同級生たちからなんと言われているか、実は知っている。


 中途半端、器用貧乏。


 保護者会で学院に行ったとき、学生たちがそう陰口を叩いているのを偶然聞いてしまったのだ。


 そのときのサーシャの胸に浮かんだたのは怒りではなく、後悔。


 幼いころからフェリックスは優秀で、なんでもできた。


 剣も、魔法も、治癒魔法も、勉強だってできた。


 この子は天才だと、親の贔屓目無しにそう思ったし、周りの人間もそう言った。


 だから、つい期待してしまった。


 あれもこれもと習わせてきた。


 フェリックスは、そのどれも卒なくこなした。


 こなしてしまった。


 これは将来とんでもない大物になるに違いない。


 そう期待したサーシャを含めた大人たちは、増々フェリックスへの指導に熱が入っていった。


 その結果……全てにおいて鍛錬の時間が足りず、それを専門に鍛錬している子に次々に抜かれて行き、器用貧乏だの中途半端だのなんだのと言われるようになってしまった。


 陰口を叩かれているのは知っていた。


 しかし、見た限りほぼクラブの全員が参加し、部外者であるステラまでいるこの打ち上げに誘われていないなんて……。


 見落としたかもしれない。ケインたちがいるのだ、誘われていないなんてありえないと思い、もう一度フェリックスの姿を探した。


 だが、やはりフェリックスの姿はなかった。


 サーシャはショックだった。


 フェリックスがこの集団の中にいないのに、幼馴染みたち三人がその中にいるのが。


 急いで買い物を済ませて家に帰ると、そこにはフェリックスがいた。


 自分の見落としであって欲しかったのに……そう思ったが、家にいたフェリックスは、普段となにも変わらない様子だった。


 あまりにも普段と変わらない姿に思わず気が抜けて、さっき街中でクラブの人間が打ち上げしていたことを言ってしまった。


 一瞬眉を顰めたフェリックスだったが、すぐになんでもない風を装ってお腹が空いたと訴えてきた。


 ……気にしていない風を装っているのはすぐに分かった。


 だから、サーシャはその話題に触れることは避け、いつも通りに接した。


 多分……いつも通りに出来ていたと思う。


 フェリックスがいなくなったダイニングで、サーシャはポロリと涙を溢した。


「ごめん……ごめんねフェリックス……私たちのせいで……ごめんね……」


 今のフェリックスの境遇を思い、サーシャに後悔の念が押し寄せる。


 でも、今更嘆いてもしょうがない。


 フェリックスなら、きっと試験に合格しているだろう。


 士官学院で、今度こそ真に仲間と言える存在ができることを、サーシャは心から望んだ。


「……さて! とびっきりの御馳走を作らなくちゃ!」


 サーシャは気持ちを切り替え、試験を終えたフェリックスを労うための御馳走作りを始めた。




 料理も出来上がり、そろそろフェリックスを起こしに行こうかと思っていたとき、玄関のインターフォンが鳴った。


「はーい」


 室内にあるインターフォンは、訪問した客が誰だか分かるように映像が出る。


 そこにいたのは……。


『あ、すみません。ケインです』


 ケインたち、幼馴染み三人だった。


 その姿を見た瞬間、サーシャの内心がモヤっとした。


 幼いころ……それこそ赤ん坊のときから知っている子たちだ。


 だから今までは自分の子のように接してきた。


 しかし、今日見た三人は、明らかにフェリックスを除け者にしていた。


 しかも、この時間に訊ねてきたということは、自分たちはしっかり打ち上げを楽しんできたのだろう。


 今更なにをしに来たのか?


『あの……フェリックス、いますか?』


 その言葉に、サーシャはモヤとしたものが怒りに変わるのを感じた。


 フェリックスを除け者にして、自分たちだけ楽しんで、一体なんの用があるのか?


 サーシャは、三人を招き入れるつもりはなかった。


「ごめんなさいね。今日の試験で疲れちゃったみたいで、今寝てるの」

『あ……そう、ですか』

「ええ、打ち上げが終わったあとにわざわざ来てくれたのに、ごめんね皆」

『えっ!? なんで……』


 子供相手に大人げないと思いつつも、つい溢してしまった嫌味。


 それに対してショックを受ける三人。


 なぜ除け者にした側がそんな表情をするのか?


 サーシャは増々イライラした。


「皆が来てくれたことは伝えておくから、また学院でね。もう日が暮れるから、皆も早く帰りなさいね」

『あ……はい……』

「じゃあ、気を付けてね」


 そう言って、サーシャはインターフォンを切った。


 深呼吸をして怒りを鎮めたサーシャは、パンと自分の顔を叩いた。


 フェリックスにこんな顔を見せちゃいけない。


 そう自分に言い聞かせたサーシャは、フェリックスを起こしにいくのだった。



 一方、玄関の外では……。


 顔を蒼くした三人が、呆然と玄関の前で立ち尽くしていた。


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