第32話 取材と稲荷

 石黒裕之いしぐろひろゆきの疑念は深まるばかりであった。

 フリーのライター兼カメラマンを生業とし、東京の出版社を中心に取材依頼を受けて地方に出向き、現地の記事と写真を提供する、いわゆる旅系ライターだ。今回、数年前から依頼を受けていた旅行系雑誌の、20回目の取材依頼が舞い込んで来た時、石黒はこの回を記念すべき回にするという意気込みで依頼を受けた。

 表裏一体の商店街。人々の信仰の篤い山寺と神社。山神様がおわすという霊山。現代にも続いているヒトならざるものの存在の噂話と恋愛譚。

 東京の都心から数時間で辿り着くこの地は、未だ神秘の残る、人を惹きつける地域であった。

 この地の取材を山寺と神社に申し込んで、表の商店街の老舗呉服屋に、他に掲載しても良いようなおすすめの店を聞いてそちらにも取材を申し込み、現地に乗り込んだ。

 山寺も神社も、歴史ある佇まいで見開きを飾るに相応しかったし、呉服屋も温厚な店主の元、従業員が生き生きと働いていて良かった。紹介された食堂も、家族経営で暖かみがあっていい絵が撮れた。ただ、呉服屋でも食堂でも、「和雑貨屋の店主の顔写真は掲載するな」と言われ、何故かと聞いても言葉を濁されたまま、件の和雑貨屋での取材に至る。


 和雑貨屋「九十九や」は、4年前に開店したばかりの若い店で、石黒と同年代の女性が切り盛りしている。潔く切った前髪とショートヘア、黒羽織に着物を纏ったその姿は、美人系ではないが愛嬌があり、石黒に対する言葉遣いや所作には誠実さが滲み出て、この特集にさぞ華を添えるだろうと思っていた。が、店主撮影お断りである。石黒はそれが悔しくて仕方なかった。

 店内の写真を撮っている間にも客や近所の老人たちがやってきては安くはない商品を買ったり、ほら取材だよカメラだよおめかししなきゃだわ、という雑談をして帰っていく。


「──あああ、駄目だ」

 石黒はぶんぶんと頭を振った。和雑貨屋の主はきょとんとした顔を向け、どうかしましたか? と首を傾げる。手には石黒が切ったラフ、「こんな紙面にしますよ」という設計図があった。見開きで表裏商店街と山寺と神社の写真、その歴史に2ページ、呉服屋に2ページ、食堂と和雑貨屋で各1ページ。計8ページの特集だ。

「何か、当店に問題でもありましたか?」

 市村と名乗った和雑貨屋の主は、取材続きでお疲れでしょう、少し休みませんか、と座布団をすすめてくれた。石黒は仕切り直しをしようと、すすめられた座布団に腰を下ろした。

「ありがとうございます。その、こちらを取材する前に、呉服屋さんと食堂を取材してきたんですけどね。取材自体はすごくいい感じで終わったんですが、最後にどちらもあなたの顔写真は掲載するなとおっしゃって。どうしてと聞いても言葉を濁して説明してくれなかったんですよ。それが気になって取材に集中できなくて。申し訳ありません」

 市村はそれを聞いて、ああ、と恥ずかしげに顔を覆った。すみません、どちらも私に気を遣ってくださったんです、と覆った手の隙間から声を出す。

 市村が余所者であるのは、呉服屋でも食堂でも聞いている。方言のない綺麗な発音は、東京で育っただろうことが推測されたし、名刺の受け渡し方から、会社勤めを経験していることも分かっていた。

 そんな市村が顔写真を拒む理由─東京で何かあったのだ─までは辿り着くが、その理由は分からない。分からないから気になって取材に集中できない。

 そんなことを「失礼を承知して」と前置きして訥々と石黒が言うと、市村はですよねぇ、と諦めの表情で言った。

「ええと、この話はオフレコにして頂きたいのですが」

「はい」

「実は私、駆け落ちをしていまして」

「駆け落ち」

「はい。それで連絡を絶った親戚一同と勤めていた会社の方に居場所が知れると、多分おおごとになるので、顔写真は掲載しないでほしいのです。駆け落ちの話は街中知っていることなので、いしいやさんもすみよしやさんも、それで気を遣ってそうおっしゃったのかと」

「駆け落ち」

「はい」

「いまどき」

「はい」

「親が結婚を反対した」

「はい」

 市村は苦笑して石黒を見た。その表情からは詳細は話してくれそうにないことが垣間見れた。お人好しそうな顔に似合わず意外と壁が厚いな。

「編集長に何か言われたら、正直に答えていいですか?」

「まあ編集長は仕方ないですね」

 あまり広めてほしくない話なのは石黒も分かっているので、うまく丸めていけるといいのだが、と思った。まあ取材する職人の中にも、顔掲載を嫌がる手合いがいるので、大丈夫だと思いますけどね、と優しく言った。

「じゃあ、顔写真の代わりになる小物とかありますかね? この店の売れ筋とか守り神とか」

「ええと、じゃあこちらを」

 市村は階段箪笥の中段に飾っていた犬張子のようなものを、そっと袖に包んで帳場に置いた。白い狛犬のような張子に、朱と墨で紋様が描かれている。

「これは?」

「神社で作っている山神さまの張子です。商売繁盛の紋を描いていただきました」

 紋を描いたのは真緒である。まあ神主の伯英も実際似たようなものが描けるのでよしとしておこう。

「おお、これは珍しい。ちょっと撮らせていただきますね」

 石黒はカメラを構えて、様々な角度から張子を撮っていく。カメラをノートパソコンに繋げて、良さそうなものを選び、これどうですかね、と市村に撮った一枚を見せてみる。

「ああ、いいお顔。これなら山神さまも満足していただけますよ」


 市村も満面の笑みを浮かべる。と、石黒の膝の上を見て、しばし思案顔になった。

「どうかしましたか?」

「……石黒さん、この街の不思議なお話などは聞いていますか? 狸や狼が人の社会に紛れて暮らしてるとか」

「ええ、聞いていますよ。こんなにしっかり伝承が残っている地域は珍しいなと思っていましたが、それが何か?」

 市村は腕組みをして考え─悩んでいるのか─ひとつ息を吐いて真っ直ぐに石黒を見た。

「実は私、人じゃないモノが視えるんです。石黒さん。最近お稲荷さまに関わったり、お参りしたりしましたか?」

 石黒は市村の突然の告白にぽかんと口を開けた。幽霊が視えるとか言う人物はごくたまに出会う。特にこういった山里には神社以外にも巫女の血筋や守り神の子孫だという家があったりして、その家系は高確率で視えるという。石黒はこの手の話は話半分で聞いていたが、実際に告白されるのは初めてだ。しかも石黒には心当たりがあった。

「ええと、宿を出るときに近所の人がお稲荷さんの社の雪かきをしていて。子どもがひとりと御老体ばっかりだったんでちょっと手伝いましたが」

「その子どもに、何かあげたりしましたか?」

「素手で雪をよけていたんで、使い捨てのカイロとお手伝い偉いな、ってビスケットをあげました」

「その子がお稲荷さまの子どもです。今、石黒さんの膝の上に座ってます」

「え」

 石黒は思わず腰を浮かしそうになった。狐はまずい、一度祈ったらずっとお礼をしないと祟られると昔祖母にしつこく言われていたのを思い出した。

「僕、祟られるんすか?」

 怯える石黒を尻目に、市村は石黒の膝上を眺めて、ふむ、と何かにひとり納得した。

「地縁のない他所の方が雪かきを手伝ってくれて、その上暖とお菓子をくれた事に感謝しているそうです。何かお礼がしたいと」

 市村は柔らかく微笑んだ。

「祟らないんですか?」

「それは身の丈に合わない願いだけして努力しない怠け者や、きちんとお礼をしない人に向けてするもので、善行をした人には普通にお礼をしますよ、と言っています」

 あやかしは縁と恩を大事にする生き物なんです、と市村は言った。

 石黒は混乱していた。自分の膝にあやかしが乗っていて、礼がしたいと言っているという。普通の感覚なら市村の頭の中身が危ないと思うところだが、石黒には身に覚えがあったし、礼にちょっと頼みたいことがあった。


 言うべきか言わぬべきか。


 大きく息を吐いて、石黒は口を開いた。

「実は今、ルームシェアをしているパートナーがいるんですが」

 市村は石黒の言い方に、ぱちりと瞬きして頷いた。いろいろ察したようだが、相手に関して追求しないつもりらしく、石黒にはありがたかった。

「この取材の前に喧嘩して、そのまま出てきちゃったんです。その、できれば仲直りしたいと思っていて……。そういうお願いってありですかね?」

 市村は膝上にいるというあやかしを見ているようだ。その目は焦茶色だが、うっすら赤くも見えるのは、光の反射だろうか。

 と、コーン! と小さく狐の鳴き声が聞こえた気がした。膝上も軽くなった気がする。

「その願い、聞き入れられたみたいですよ」

 入り口に視線をやった市村が、にこりと笑うと、石黒のポケットに入れいていたスマートフォンが振動した。取材中は無視するのだが、市村が出てもいいですよ、と言ってくれたのでポケットから取り出す。

 パートナーからの着信だ。

 石黒はすぐに出た。

「はい。うん、うん、いや僕も悪かった。うん、え? いいのか? ほんとに? いや、こういうのはタイミングだし、いいと思う。うん、ありがとう。うん、うん、うん。わかった。ほんとにありがとな、じゃあまだ仕事だから。うん。じゃあ」

 だんだんとトーンの上がる石黒の声を、市村は嬉しそうに微笑んで聞いていた。通話を切った石黒の頬が紅潮している。

「あの……プロポーズされました」

 石黒は落ち着かない様子で、照れながら市村に通話の内容を伝えた。

「おめでとうございます」

「お稲荷さんってやっぱりおいなりさんが好きですかね? 帰る前にお礼と報告がしたいんですけど」

「『稲』荷と書きますから、お米系はなんでも喜びますよ。裏の商店街のお米屋さんなら、炊きたてのご飯も売っていますから、そちらをお供えしてもいいと思います」

「赤飯って売ってますか?」

「売ってますよ。白米とお赤飯の紅白を供えれば、祝い事のお礼だとすぐに分かるかと」

「ああ、そうですね、じゃあもっと気合い入れて取材しますんで、よろしくお願いします」

 石黒は市村に頭を下げて、店内の写真を撮り直した。


 ひと月後、雑誌の献本と共に、石黒から結婚の報告とお礼の手紙が届いた。雑誌は近年一番の売り上げ数を記録したという。

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