第33話 佐伯の仕事

 冬季休業を終え、新年を迎え、新しい生活に向けて動き出す初春。レオンの営む不動産屋も繁忙期を迎えていた。大学に合格し一人暮らしを始める者、就職して実家を出る者、結婚を機に新居を探す者、異動で引っ越しを余儀なくされている者、彼らが一気に動き出すのがこの時期だ。

 午後5時半。佐伯は来客の予定を終えて、ようやく自分のデスクに戻った。今日は朝から接客続きで、その接客の事務作業をこれからやらねばならない。

 家が欲しいと思う側も、売ろうとする側も、かなりの熱量と意気込みを持って挑むので、来客の予定が立て込んでいる日は、普段よりもエネルギーを費やしていると感じる。

 気晴らしに店と自分宛に来たメールを、コーヒー片手にチェックする。と、内覧希望のメールが店に一件届いていた。

 クリックして内容を確認する。差出人は東京の高校3年生の女子で、この地域の大学に合格したらしく、賃貸の部屋を探しているようだ。希望は大学に近く、陽当たりが良い物件。内覧を希望してきた物件は、代々この大学の学生に貸し出されているアパートで、他のアパートより幾分安く家賃が設定されている。

 とはいえ、繁華街も近く、一人暮らしの女性には少々治安がよろしくないところだ。佐伯は大学が出しているスクールバスでの通学も念頭に置いてもらって、バス停近くのマンションやアパートを数件ピックアップした。

 そして備考欄を読む。だいたいは安いところがいいとか、バイクの置ける駐車場があるところがいいとか本当に自由気ままに書かれるのだが、彼女は全く異なることを書いていた。

「工藤部長」

 佐伯は事務処理をしている上司に声をかけた。工藤はなんだと言った表情で佐伯のデスクに向かう。

「これ、甥御さんにお願いできますかね?」

 工藤が見ると、そこには『母子家庭の母を東京に残して大学に進学することになりました。内覧には母もついてきます。その際、ちょっといい旅館に母を泊めてあげて、親孝行をしたいのです。アルバイトで貯めたお金が少しあります。敷金とか引っ越し費用に充てるのもいいとは思うのですが、離れる寂しさを、お互い少しでもいい思い出にできればと思っています。どこかいい旅館を教えていただけますでしょうか』と書かれていた。

「なるほど」

「いい子じゃないですか」

広嗣ひろつぐに一報入れよう。弊社も料金を負担すると」

 工藤の甥の広嗣は、駅前で小さなホテルの支配人をやっている。大正時代から代々続く老舗で、外観こそ古めかしいが、「この地域に他県の人を泊めるならここ」と必ず言われるほど評判のいいホテルである。そこなら母娘のいい思い出が作れるだろう。

「よし。じゃあ返事しますね」

 佐伯は腕まくりをして受話器を手にした。こういうのは直接相手に伝えて、詳細をメールにした方が確実である。

「入れ込みすぎるなよ」

「わかってますって」

 電話をかける佐伯の声は弾んでいた。


 内覧の日。佐伯は営業車をホテルの駐車場に停めさせてもらって、徒歩で駅前に向かった。まずはホテルにチェックインしてもらい、荷物を預け、そこから内覧に向かった方がいいと判断したからだ。女性は総じて荷物が多い。営業車のトランクに詰めてもいいのだが、内覧行脚の後に重たい荷物を抱えてホテルに向かうのは疲れるだろう。佐伯は好きな物を先に食べるタイプである。「今日はここに泊まるのね!」という楽しいことが先にあった方がいいと思っている。


 駅前のロータリーで荷物を抱えた母娘を見つけた。佐伯は目印に、黄色のネクタイに犬の顔が散らばっている派手なネクタイをつけていると相手に伝えていたので、向こうから「あ」と声をかけられた。

「担当の佐伯と申します。本日はよろしくお願いいたします」

 互いによろしくお願いしますと頭を下げた後、まずはホテルに荷物を預けましょう、と佐伯は母親の荷物を受け取り、先に歩き出した。

「佐伯さん、今回はありがとうございます。私のわがままを聞いてくださって」

 娘が佐伯の横に並んで頭を下げた。ホテルに予約する際、不動産屋の工藤と佐伯の名前を出すと割り引いてくれますよ、と伝えたところ、ホテル側が破格の値段を提示したらしい。本当にこの値段で泊まれるんですか、お化けでも出るんですか、と母親が会社に電話をかけ直してきたくらいだ。

 まぁお化けは出ない。ただ、支配人と数名のスタッフが人ではないだけで。

 佐伯も工藤も、この地の霊山出身の人狼である。佐伯の一族は早くに山を降りた。工藤とは一応親戚筋に当たるのだが、本家と分家の分家くらい血の濃さが違う。工藤は本来、狗堂と書く。それでは人狼だと察しのいい者はわかるので、明治に入って名を改めたのだ。

 佐伯の一族は地元の神社と縁を結んだ。一族から数名、神社関係者の伴侶を輩出している。人狼の佐伯一族の血を引いている証として、神主は代々「伯」の字が名に使われる。


 ホテルに着くと、母娘は早速部屋へ案内してもらい、荷物を置きに行った。佐伯の元に戻ってきた時には感嘆の息を何度も吐いて、夢みたい、と呟いた。予想以上に部屋が良かったらしい。

「では参りましょうか」

 佐伯は大通り沿いに車を運転し、内覧希望のアパートのほか、講義の時間に合わせて数本出るスクールバスで30分、15分、8分のところにあるマンションとアパートを巡った。大学から遠ければ遠いほど部屋は広く安く、陽当たりも良いのは、都心と変わらぬ環境だ。

「ちなみに陽当たりと治安以外で重要視していることってありますか?」

「ううん、一人暮らしが初めてだから、頼りになる年の近いご近所さんとかいると嬉しいなって……」

 佐伯はそれを聞いて視線を宙に向けた。ひとり、心当たりがある。去年から絶賛電撃同棲中だが、式は吉日選びと親戚をどこまで呼ぶか本人たち以外の一族が揉めていて当分先だと聞いた。男の方は新居を探すのを諦めたのか面倒くさがっているのか、最近物件を見ていない。子どもができるのもまだ先の話のはずだ。佐伯の勘だが依頼人が大学とこの街に慣れてくる頃までは引っ越さない気がする。確かあの夫婦(予定)の2人の住処の隣のマンションに賃貸用の空き部屋があったはずだ。

 佐伯は車を停め、ノートパソコンを開いた。自社が持っている賃貸物件の情報を入力していく。あった。

「管理費で2000円ほどオーバーしますが、こちらはいかがでしょう。スクールバスの通りから一本入った場所ですが、バス停から徒歩5分、エレベーター付きオートロックで陽当たりもまぁまぁ。6階建ての3階です」

「あら、良さそうじゃない」

 母親が身を乗り出して画像を見ている。築20年、2DKのゆとりのあるマンションだ。大学にもバスで10分ほどの位置である。

「ここなら、ご近所さんと仲良くなれるんですか?」

「わりとご近所付き合いが多いって聞いてます。両隣のマンションでハロウィンのお菓子交換とか交流会なんかやってるみたいですよ」

 鍵を取りに一旦事務所に戻りますが、行ってみます? との佐伯の言葉に、母娘ははい、と返事をした。

 一旦事務所に戻り、再度車を動かして目的の近くに着いた。佐伯はコインパーキングに車を停めて、母娘をマンションへと案内する。タイル張りの白いマンションは、初春の陽射しを受けて淡く輝いていた。

「まわりも落ち着いてる感じだし、街灯も多いし、いいんじゃない?」

「でも中を見ないと。水回りとかカビ臭いと嫌だもん」

「写真で見たじゃない。築年数の割には綺麗よ。ここ、リフォームしたんですか?」

「5年前に水回りはリフォームされてますね。バストイレ別ですし、洗濯機も室内に置けます。中も見ましょうか?」

「お願いできますか?」

 乗り気の母に対して娘は慎重だ。これから4年間、いや、生物学部だったら研究生としてさらに数年、大学と往復する生活が待っている。少しでも快適な方がいいに決まってる。

「あら、佐伯さん?」

 涼やかな声が聞こえた。3人が振り返ると、女優のような華やぎを持った若い女性が隣のマンションから出てきたところだった。黒のコートに白いタートルネックのゆったりしたセーター、黒のデニムという姿が様になっていた。

「ども、あけましておめでとうございますですね。今年もよろしくお願いします」

 佐伯がニコッと笑いお辞儀をする。母娘は突然の美人の登場に呆気に取られていた。

「こちらのマンションの見学ですか? 私も最近越してきてみなさんのお世話になっているんです。うちのマンション、1階が集会所になってて、そこでお茶会とかおしゃべりとかしているのです。ご近所さんやお友達になれたら嬉しいですわ」

 琴音はにこやかに母娘にそう言うと、では失礼しますね、と軽やかに大通りへ歩いて行った。これから商店街にでも向かうのだろう。

「……あんな性格良さそうな美人さんがご近所さん……」

 母娘のうっとりした眼差しを見て、決まったかな、と佐伯は踏んだ。さ、中も見ましょう、と母娘を促す。


 その日の夕方、ホテルに泊まっている母娘から、最後に案内されたマンションを借りたいと連絡があった。佐伯はよっしゃとガッツポーズをし、工藤はものすごく面倒くさそうな顔をした。まぁ世話をするのは琴音だからどっちでもいいか、と工藤は業務を再開した。

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