第27話 冬支度

 真緒は向かいに座っている夫の、心底幸せそうな顔を眺めながらパンをちぎった。

 付き合うと同時に結婚して6年。真緒の人生の中でも短い期間だが、夫レオンの感情の機微と愛情は、その短い期間でもすぐに分かるような明快なものが多かった。

 レオンは真緒の作るポトフが大好物だった。真緒が作り方を教えると言っても、彼は頑なに習わなかった。真緒が作るから美味いのだ、と言う。料理の腕はたいして変わらない気がするというか、この6年のブランクがある分、レオンの方が料理上手な気がするのだが、真緒が作った方が絶対美味いと言い続けている。今夜はそのポトフが夕飯だ。そして明日は2人揃っての休日である。レオンがご機嫌でないわけがない。

「どした?」

 真緒の視線に気づいたレオンが笑いながら尋ねてきた。

「んー。美味しそうに食べるなぁって」

「美味しそうじゃなくて実際美味いんだよ。お前さんのポトフは最後の晩餐のメニューだ」

「ありがと」

 真顔で言い返されて、真緒はちょっとむず痒くなった。本心からの言葉なのだろうが、どうしても表現が大袈裟な気がする。美味いのはコンソメとお肉屋の手作りソーセージの味だと思うのだが。


 夕飯を終え、夫婦別々に風呂に入る。6年経ってもレオンに裸を見られるのが恥ずかしくて、一緒に入るのはよほどいい雰囲気になったときくらいだ。レオンはそこは残念そうな顔をするが、基本真緒が嫌がることをしないので、その厚意に甘えている。

 真緒が先に風呂に入り、ベッドの中で夫を待つ。レオンは早風呂なのでそう長くは待たない。もそもそと枕に顔を埋めながら、早く出てこないかな、と待つ。レオンは真緒にぞっこんだと公言して憚らないが、真緒の方も、レオンに愛情がないわけではない。待っている間、むぎゅっと枕を抱きしめていた。


「そういえば今日初雪だったんだろ? そろそろ商店街の冬休み決まるんじゃなかったか?」

 レオンが風呂場から絹の寝巻きに着替えて出てきた。ずっと店にこもってたからな、外回りの田代に言われるまで気付かなかった、と言いながらベッドに潜り込んでくる。湯上がりの温かい体に、真緒はこつんと額を押しつけた。その頭をレオンが優しく撫でる。

 この地域は冬になるといくばくか雪が積もる。安全性と客足を考慮して、観光客目当ての表商店街は全体で冬季休業に入るのだ。ちなみに地元民の生活の要である裏の商店街にはしっかりとしたアーケードが付いているので、真冬の買い物も楽々である。

「うん、今年は暖冬だから2カ月くらいかな」

「2カ月か。商店街の雪かき当番は4、5回くらい来るとしても、5日くらいは旅行できるな」

「また東京のホテルに泊まる?」

 レオンは東京の建築物の視察ついでに、高級ホテルに泊まるのを楽しみにしている。毎年この時期になると、今年はここがいいなとか、来年はもうちょっとレトロなホテルに泊まるかとか、ホームページを見ながら宿泊先を決めるのだ。

「今年は横浜にしてみようかと思ってな。ベイサイドのホテルなんか見晴らしいいだろう」

「泳げないのによく海沿いに行く気になるね」

「別に泳ぎに行くわけじゃないからな。眺める分には問題ない。穏やかな海はけっこう好きだぞ俺」

 ここにしようと思ってるんだ、とレオンはスマートフォンでホテルのサイトを真緒に見せた。真緒でも名前を知っている老舗の高級ホテルだ。

「またお高いホテルにしたね」

「老舗は良いところが多くあるから今でも残ってるんだ。その辺学ばせてもらうんだ、授業料にしちゃ安いと思うけどな」

「なるほど、そう考えるとお手頃価格なのかもね」

 自分では思いつかない視点で物事を見るレオンに、真緒は素直に感心した。確かにいいホテルは外観や内装の良さもあるが、それ以外の『見えないサービス・形のないサービス』が至る所で発揮されている。その一部でも自分の会社で応用できないかと目を光らせているのは、さすが経営者というところか。

 自分もちょっとは見習わないとな、と反省する和雑貨店店主の真緒であった。


「明日はどうする?」

「茜ちゃんとお美代さんのプレゼントを探そうかなって。2人とも働き盛りだからハンドクリームとか、癒し系のアイテムにしようと思って」

 レオンの宗教上の理由でクリスマスはやらないと言っているが、クリスマスが近づくと、この1年のお礼、と茜と美代から何かしら贈り物をされる。そのお返しを考えているのである。

「じゃあショッピングモールに行くか?」

「そうしてくれると嬉しいな」

「まかせろ」

 真緒は自動車免許を持っていない。家に残る娘には必要ないと、両親が反対したのだ。まぁ取れたところで運転のたびに交通安全のお札を作りそうな反射神経である。

 できる人ができることをやる。

 これが市村家の家訓である。

「レオンもそろそろ冬のコート新調する時期じゃない?」

「今からじゃあ年が明けちまうから、来年にするよ。出張ついでに青山まで足を伸ばすさ」

 4年前まで東京の青山に2人は住んでおり、レオンは行きつけの紳士洋品店があった。身長のあるレオンのスーツやコートはほとんどがそこのオーダーメイドだ。

「じゃあレオンのプレゼントはネクタイにしようかな」

「別にその日に贈り物しなくてもいいだろう? 贈りたいときに贈ればいい」

「せっかくの行事なんだから、楽しもうよ」

「吸血鬼にの誕生日を祝う習慣はないって言ったろ」

「もー、神様を目の敵にしすぎ。日本は宗教観緩いんだから、イベントだと思えばいいって言ってるじゃない」

「いーやーだ」

 レオンはぷいと真緒に背を向けた。こうなると頑固な意地っ張りはなかなか収まらない。このやりとりも毎年恒例になりつつある。

「もう意地っ張りなんだから」

 真緒はため息を吐いてその背中に頭を寄せる。ぽんぽん、と子どもをあやすようにその広い背中を軽く叩いた。

「私がこの時期にレオンに贈り物をしたいの。日頃の感謝を伝えたいの」

「この間の結婚記念日に日頃の感謝はもらってる」

「じゃあ今年1年の感謝。いつまでも私を好きでいてねって気持ちを込めて」

「……それなら、まぁ、いいけどよ。当日は遠慮してくれな?」

「うん、ちょっと早めにあげるから」

 レオンはよいしょと真緒の方に体を反転させた。何か言いたげな顔をして真緒を見つめる。真緒はそっとその頬を撫でた。レオンも真緒の頬を撫で返す。どうやら機嫌は直ったようだ。


 翌朝、普段通りに起きて身支度をしてショッピングモールへと向かった。今日の真緒の着物は抹茶色の化繊の袷にクリームのような甘さを感じさせる生成色の白バラの半幅帯だ。同じような生成色に赤い椿が乱れ咲く羽織を羽織り、肩から練色のストールを掛けている。

 はたから見たら抹茶にクリームと苺が乗ったような印象を受けるが、真緒にしては精いっぱいのクリスマスカラーなのである。

 コスメや美容雑貨を扱うショップで真緒とレオンは2人のプレゼントを探していた。

「香り系は食品扱うから控えるだろうし、やっぱり寝る前のハンドクリームがいいかなぁ。あ、このパックもいいな。美肌になるって」

「両方買えばいいんじゃないか?」

「そうね、値段もお手頃だし。無香料のセットにしてあげてもいいなぁ」

 食事を作る人、小さな子どものいる人にプレゼントをあげるのはなかなか難しい。しょっちゅう手を洗うし、食品を扱うから香りはNGだ。子どもとのスキンシップも多いから、安全性も大事である。

 結果、あまり色気のない見栄えになってしまったが、まぁいいだろう。こういうのは気持ちが大事だ。


 次に紳士用品店でレオンのネクタイを見繕う。彼の瞳に合う青系の色を、と店員に伝えていくつか出してもらい、どれにしようかと合わせていく。

「別に目の色に合わせなくても良くねぇか? 俺、赤も好きだぞ?」

「せっかく綺麗な色なんだから、合わせていった方がいいよ。それに私、青好きだし」

「そうかぁ?」

 疑問形で答えたが、口元がにやけてしまうレオンだった。

 真緒は紺碧に若芽色のピンドットが入ったネクタイを選び、普通のプレゼント用にラッピングしてもらった。


 書店に寄って帰ろうか、というところで、ぽん、と真緒のお尻に何かがぶつかった。あいて、と小さな子どもの声が聞こえる。

 振り返ると、藁頭巾に藁靴姿の子どもが何人かかたまっていた。人の気配ではない。

「雪ん子?」

「えへへ、ごめんしてな。こげな広いどっご初めてで、思わず走っちゃった」

「ねさまはおれだちが見えるだか」

「さっきの子も、見えてだど」

 ふふふ、と雪ん子たちは真緒たちを取り囲んだ。人と話すのが嬉しいらしく、くすくすと笑顔をこぼしていた。

「今年は暖冬と聞いたが、お前さん方がいるということはけっこう降るのか?」

 雪ん子がいるということは、その年は雪が多く降るということだ。レオンは人の予報と違うな、と思い思わず尋ねてみた。

「いんや。こごは御山のヌシさまに久々のご挨拶に通りがかっただけだ。しだらおっぎなお屋敷が見えたんべ、中を見に来ただ。面白いな、こごは」

「店もひどもおおぐて楽しいな」

「天気は明日ちょびっと寒くなるくらいだ」

 そういえば天気予報も明日は冷えこむと言っていたか。

「夫婦仲良くくっつく言い訳ができたんべ」

「仲良くな」

「冬はみんなくっつけばいいんだ」

 ふふふ、と雪ん子たちは笑いながら、じゃあな、とぽこぽこ走り去ってしまった。

 後に残った真緒とレオンは、お互いを見やり、少しだけ顔を赤らめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る