第25話 工藤のお見合い

 九十九やでホームページ用の今月のコラムを書いていると、傍に置いていたスマートフォンが鳴った。表示を見ると工藤の個人のスマートフォンからだ。

 真緒はまず、珍しいなと思った。工藤が真緒に連絡する際は会社の回線を基本的に使う。となると外出中か、個人的な相談なのだろう。後者はあまりなさそうだが。

「はい、市村です」

『工藤です。お仕事中に連絡を入れてしまい大変申し訳ございません』

 恐縮した声音で工藤が応えた。空気が流れる音がする。外からかけているようだ。

「大丈夫ですよ、今お客さんもいないですし。どうかしましたか?」

 上司である夫のレオンが無理難題でも言ってきたのだろうか。となると役員として妻としてレオンを正さねばならない。真緒は居住まいを正して、工藤の言葉を待った。

『その、個人的なことなのですが、次の休みに見合いをすることになりまして』

 見合い。お見合い。

 工藤とお見合いがうまく繋がらずに真緒はしばし沈黙した。真緒さま? と戸惑う工藤が電話越しに真緒に呼びかける。

「すみません、ちょっと意外な言葉が工藤さんから出てきたのでびっくりしてました」

『まぁ、少々急とは自分でも思っておりますので。それでその際、真緒さまのお店を相手に紹介したいのですが、宜しいでしょうか』

 見合い相手と一緒に真緒の店に来てもいいかと訊ねている。それはつまり見合い相手を見てくれと、見極めてくれと言われているのではないか? 真緒の頭がぐるぐると回り始める。

「ええと、お店に来ることは問題ないですけど、私ではたいしたアドバイスはできないかと思いますが」

『いえ、単純に会話のつなぎにお店を紹介したいだけですので、助言は必要ございません』

「あ、なんだ。良かった。お相手を見極めてくれとかそういうことかと思ってたので」

『見合いは形式的なもので、娶ることはほぼ確定でございますので。年若い娘ですので、真緒さまのお店なら話題ができると思いまして』

 ん? 見合い結婚確定? 真緒は少し引っかかった。

「先方は工藤さんのこと、気に入っているのですか?」

『私たち人狼の結婚は血の繋がりを重視するのです。相手がどう思っていようと、血筋が良ければ婚姻する。そういう決まりごとで成り立っております』

 工藤は淡々と語る。

「でもそれは」

『旧時代的な風習だとは重々承知しております。ですが今は子を産めば、相性が悪いからと離婚もできますし、新たに恋愛をして婚姻するものもおります。ただ、私の血は白狼様に近しい血。一族は確実に子孫を残して欲しいと

言うことで今回の件になりまして』

「工藤さんは、それでいいのですか? 相手の気持ちとか、関係なくていいんですか? 子どもだって可愛いと思ったことはないって言ってたじゃないですか」

 真緒は急に工藤が異なる存在に感じられた。これは真緒が家に残っていたらあり得た未来だ。金で家柄で結婚する。本人たちの意思とは無関係に。そして修復不可能な傷を抱えたまま、ずるずるとどちらからも別れを告げられず何十年も爛れた関係に終止符を打てず縛り付けられる。真緒は工藤にそんな結婚はして欲しくなかったし、何よりまだ見ぬ相手も可哀想だ。真緒はつかえながらもそう語った。

『真緒さま、ヒトとあやかしはそもそもの成り立ちが異なります。私たち人狼は獣に近い存在。婚姻は子孫を残すという本能を基準に考えるいきものなのです。私はその本能を疎いて100年人の近くで自由に過ごさせてもらいました。人で言うならそろそろ年貢の納めどきなのです。私は本能に従い結婚しますが、相手には人のように愛情を込めて接するつもりでいます。社長と真緒さまのように、睦まじくできればと、話し合っていきたいと思っています』

 工藤の声は優しかった。真緒は工藤がこんなに自身のことについて語るとは思っていなかったし、こんなに優しい声も出せるのだなと初めて知った。

「うん、それなら。相手とよく話し合うのは大事だから。工藤さん今みたいに優しい感じで声かけてあげてくださいね」

『はい。では明後日11時ごろお邪魔いたします』

「レオンには内緒にした方がいいですか?」

『新居を探す段階でばれてしまうと思うので、真緒さまのお好きなように』

「はい。じゃあしばらく黙っています」

 真緒は笑ってそれではと電話を切った。電話の向こうで工藤が微かに笑ったような気がした。


 2日後、真緒はそわそわとしながら、開店準備をした。今日は紺に雪輪の綸子、白半幅で冬景色を意識した装いだ。普段より丁寧に店内を掃き清め、暖簾をぴんと引っ張ってシワを伸ばす。お香でも焚こうかと思ったが、人狼は鼻が効くのだと思い出してやめた。籠バッグやポーチの位置を綺麗に直す。なんだか自分がお見合いをするような心地だ。しかし工藤の見合い相手には、良い印象を持って欲しい。良い気持ちで工藤と接して、良い関係のきっかけになってくれればいい。

「ごめんください」

 からりと引き戸が引かれ、若い娘の声がした。見ると朱の地に御所車が描かれた見事な振袖姿の娘が店を覗き込んでいた。美人だ。真緒の第一印象はそれだった。若いが、女優のような品の良い華やかさがある。

「いらっしゃいませ」

 真緒は笑顔で娘を迎えた。娘はキラキラと瞳を輝かせて店内へ入る。と、後ろから工藤が続いて入ってきた。とするとこの娘が見合い相手か。ずいぶんと歳が離れている気がするが、大丈夫だろうか。

琴音ことね。まずは店主の真緒さまにご挨拶しなさい」

「はぁい。はじめまして真緒さま。琴音と申します」

 琴音は綺麗なお辞儀をした。行儀作法を叩き込まれているのだろう。隙がない。

「真緒と申します。狭い店ですがどうぞご自由にご覧ください」

「見ていいですか? このお化粧ポーチの生地が素敵で早く手にしてみたかったんです!」

 何かのスイッチが入ったかのように琴音はきゃっきゃと商品を物色しはじめた。山葡萄の籠バッグも渋くていいし、トートバッグの生地もお洒落だし、簪も良いものが並んでて素敵! これは珊瑚ですか?

 年相応のはしゃぎっぷりに工藤はため息をついたが、真緒はこちらが琴音の素なのだろうと判断し、ありがとうございます、一品工藤さんに買ってもらったらいかがですか、と応えた。堅苦しい行儀作法を身につけてはいるが、のびのびと育ったようだ。琴音からは一族存続の責を背負った悲壮感などは感じられなく、屈託のない笑顔は実に可愛らしかった。


「あの、真緒さま」

 工藤に簪をひとつ買ってもらうことになった琴音が改めて切り出した。

「はい、なんでしょうか」

「真緒さまご夫婦はそれはそれは仲睦まじいのだと、総一郎さまから聞き及んでおります。その、夫婦円満の秘訣はございますか?」

「琴音」

 ストレートな質問を、工藤が諫める。だって聞きたかったんですもの、と着物の袖に触れながら琴音は言った。

「お相手が100歳のおじさんだって聞かされて、私、その人のこと好きになれるにかなって心配だったんです。でもお会いしてみたらこんな素敵なナイスミドルで、総一郎さまにも私のこと好きになって欲しいなって思って。真緒さまご夫婦もお歳が離れていらっしゃるんでしょう? 歳の差とか、どう解消していらっしゃるのかなって」

 真緒はふむ、と思案した。琴音は工藤のことを気に入っているようだ。工藤も琴音のことを若干苦手とは感じているようだが嫌ってはいない様子である。この苦手意識は琴音のような明るい性格の若い娘に慣れていないからだと思われる。なにかこの縁の手伝いができれば。真緒はレオンとのやりとりを思い返していた。

「まず、相手は生まれた場所も育った環境も受けた教育も全く違う存在であることを意識すること。自分の常識は相手の非常識かもしれないと心に留めておいてください。手探りでいいので、時間をかけて共通の話題を見つけること。ここはちょっと気まずい期間ですが、一緒に食べた朝ご飯とか、今日あった出来事とか、そういったことを話題にするといいと思います」

 あとですね、と真緒は琴音を手招きした。近づいた琴音の耳元でこそこそと話し出す。琴音はふむふむ、へぇ、まぁ、はぁ、と工藤を見上げながら相槌を打った。聞いてるうちにだんだんと面白そうだという表情になっていってるのが工藤は気になった。が、女子の内緒話を聞くわけにもいかない。工藤は内緒話が終わるまで、外の景色を眺めることに集中した。

「わかりました。試してみます」

「観察が大事ですからね。反応をよく見てくださいね」

 話が終わったのか、はい、と琴音は元気よく返事をした。

「そろそろ戻る時間ですので」

 工藤が時計を見て2人に言った。はぁい、と2人の娘は明るく応える。

「真緒さま、今日はありがとうございました。お会いできて本当によかったです」

「また遊びに来てくださいね。お待ちしておりますので」

 真緒が深々と頭を下げる。工藤と琴音は連れ立って店を出た。


「何を話していたのだ?」

 駄目元で工藤は琴音に聞いてみた。

「内緒話ですよ? 秘密に決まってるじゃないですか」

「そうだな」

「でも総一郎さまに悪いお話じゃないですから、ご安心ください」

 社長のレオンより数段思考のまともな真緒だ。だがこの一抹の不安はなんだろう。今度田代に婦人の機嫌の取り方を聞いてみようか。

 上機嫌で隣を歩く琴音を、工藤は複雑な気持ちで見た。悪い結婚にはならないだろうという根拠のない確信を抱きながら。

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