第24話 三者三様着物三昧

「あら」

「おや」

「まあ」

 商店街の中央に店を構える着物屋『いしいや』に、3人の女性が偶然顔を合わせた。同じ商店街にある和雑貨屋『九十九や』店主の真緒、商店街の大元、参道を開いた山寺の住職の妻である真紀、真緒の夫、レオンの会社の部下である田代の妻の美代。

 それぞれがいしいやを利用していることは知っていたが、お互いが同じ時間に店にいるのは初めてだった。

「まぁまぁ、今日は華やかですこと」

 真緒の担当の室戸が笑顔で3人を迎える。

「もうすぐ雪が降りますからね。新年のお着物は今からでないとギリギリになってしまいますからね」

 店長もにこやかにそれぞれの客のスペースを作る。

「それにしても誰か気づきません? これで他のお客さんが来たらいっぱいいっぱいですよ?」

 室戸の次にベテランの堀が呆れ顔で店長を見る。いしいやは商店街の中では広い店構えだが、それでも限界はある。

「だってさぁ、せっかく知り合いなのにスペースが無いからって御三方を同じ時間にできないの寂しいでしょ?」

 店長は真紀の担当らしく、彼女の前でくるくると反物を持って回った。

「店長わざとこの予定組みましたね?」

 室戸が店長に突っ込みつつ真緒の側で鏡を用意する。

「てへ」

「先代が聞いたら叱られますよ?」

 堀が美代の首に、白半衿をかける。

「そういえばお婆ちゃまは今日いないんですか?」

 真紀が店長に尋ねた。この店長の浮かれっぷりが既に先代の不在を証明しているが、確認はとりたい。3人ともあの婆さまは少々苦手である。

「今日は県営ホールで川岸先生のお弟子さんの大会があるんで、そっちについてってますねぇ」

 川岸とは日本舞踊の先生の名である。自宅を改装し、古典舞踊と民謡を教えて数十年のご婦人であり、珍しく先代と仲の良い御方なのだ。

「県営ホールまで行ってるんですか? ここからだとけっこう距離ありますよね?」

 美代があらまぁと手を口に当てて驚いている。この街から県中心部にある県営ホールに行くには、電車を乗り継ぐか、県道沿いに車を走らせるかで、どちらも相当時間がかかる。

「弟が有給取って運転手してるので大丈夫ですよぅ」

 まあまあ居ない人は置いておいてお仕事お仕事、と店長は真紀にいくつかの反物を見せた。

「真紀さん、今日はどんなお着物を?」

 美代が興味深げに真紀の前に置かれた反物を見る。淡い色合いの春らしい反物が並んでいた。真緒も真紀の着物が気になったので、美代の言葉にそちらを見た。

「来年の初釜の着物を見に来たんです。顕さんが新しく誂えてもいいよって言ってくれて」

 真紀が嬉しそうに話す。一回り以上年上の夫だが、真紀を大切にしているのは彼女の顔を見ればわかる。店長もにこにこと話を聞いていて、こちらはいかがですか? と反物のひとつを手に取った。綺麗な鴇色の反物だ。

「地に扇の柄が織り込まれている一品です。真紀さんはまだお若いし、このくらい華やかなお色でもいいと思いますよぅ」

 店長が真紀に反物を合わせていく。肌艶の良い真紀の顔が、ますます若々しく見えた。

「へへ。いいですね、これ」

 真紀も笑顔で鏡を見る。こちらも微笑みたくなるような笑みだった。八掛は鳥の子色くらいがいいかな、と店長は見本帳を持って反物と合わせてみる。


「お美代さんは訪問着ですか?」

 真緒は豪奢な柄の反物が並ぶ美代の方に顔を向けた。

「そうなんです。和彦が来年小学校に上がるでしょう? そのあとも3人続くから作っておけばって主人が言ってくれて」

 でも訪問着って色々柄があって迷いますね〜、と美代は口元に手を当てて悩んでいる。

「どれもおめでたい柄が描かれてますからね。あとは美代さんの好みですよ」

 堀が美代の前に柄の部分を広げて見せる。松竹梅や菊、雲取り、藤を描いた反物たち。ふくよかな美代が訪問着を着たら、御山のようにどっしりと構えた大人の風格が表れるだろう。

「そうですねぇ。好みとしては松竹梅か菊なんですけど、藤も少々ご縁がありますし」

「ではこの3点をあててみましょうか」

 堀がぱぱっと美代に反物を合わせていく。松竹梅は安定、菊は華やかな印象だ。

「あら、藤もいいですね」

 蜂蜜色の地の藤を合わせたとき、美代の目がきらきらと輝いた。堀も満足そうに頷き、

「じゃあ藤で袋帯を合わせてみましょうか」

と、見事な袋帯を数点用意して様子を見た。金糸の桜が刺繍された帯を合わせると、美代の顔に上品な雰囲気が現れた。普段男の子を育てるのに夢中で、つい忘れがちな本来のおしとやかさが垣間見える。

「美代さん、それいいよ」

「うん、すごく素敵です」

 真紀と真緒も手を叩いて褒めちぎる。美代はちょっと恥ずかしそうに微笑んで、この組み合わせでお願いします、と堀に言った。


「真緒さんのそれ、紬ですか?」

 真紀が真緒の足元にある着物と室戸の手にしている反物を交互に見やる。

「そうです。私が着物を着始めた頃から活躍していた子で、ここ5年でだいぶ擦り切れちゃって、繰り回ししようかなって相談と、この子の代わりを探しに来ました」

 真緒がこの紬を手にしたのは20代前半だ。以来十数年、最初は年に一度袖を通せたら良い方だったが、着物を日常着にしてからぐんと着る機会が増えた。この紬は、この5年間スタメンで大活躍してくれた一枚だった。

「繰り回し?」

 美代が不思議そうに首を傾げた。

「着物はその後、羽織や帯に作り替えたり、その次は草履の鼻緒や座布団、最後にハタキの布として使われてきたんです。それを繰り回しと言います。まぁ平たく言えばリサイクルですね。真緒さんはこの子を次の段階に作り替えたいんですよ」

 室戸が繰り回しについて説明をした。美代はなるほど、と手元の反物を見る。この訪問着も繰り回しできるのだろうか。後で堀に聞いてみよう。

「真緒さんはどうなさりたいですか? 型通りにいくなら羽織と帯ですが」

 室戸は真緒がほとんど黒羽織しか羽織らないことを知っている。他の羽織も着るが、その場合は大正ロマンのような華やかな羽織を着るのだ。この紬のような地味めな羽織は好みではないだろう。

「んー、羽織はいらないかなぁって思ってまして。作り替えるなら半幅帯と鼻緒かなって」

「生地がけっこう余ると思いますが、ハギレとして取っておきます? ウチに繰り回しの上手なお針子さんがいて、その人にお任せっていう手もありますけど」

 萩原さん、今手が空いてますよね? と室戸は店長に確認した。店長も手帳を見て、うん、今なら空いてるはず〜、と答える。

「お任せって、たとえばどんなものになるんですか?」

「そうですねぇ、トートバッグとか化粧ポーチとか、結構今風な感じで作ってくれますよ。ペットがいるお客さんには首輪とか作ってましたね」

「トートバッグかぁ……。タブレットとかノートパソコンを入れるバッグが欲しいとか、リクエストできます?」

「お任せするときだいたいの方向性は私たちで決めるので、多少のリクエストはできますよ。持ち主が和雑貨屋の店主となれば気合い入れて作ってくださると思いますよ」

 室戸はじゃあ半幅と鼻緒以外はお任せでいきますね、と紬を預かった。

「さぁて、真緒さんのお好みの反物はどれでしょうか」

 室戸が腕まくりをするような勢いで3点ほど反物を真緒に差し出す。どれも紬で、赤紫から紺の間の色だ。

「この子の二代目みたいな感じでいきたいんですけど……。となるとこれかな」

 真緒は茄子紺から京紫のグラデーションが入った紬を手にした。室戸も選ぶと思った、という顔で手早く真緒に反物を纏わせる。いつもの真緒のイメージだ。

「真緒さんは緑系とか着ないのですか?」

 深緑に百合の柄など合いそうな気もする、と美代は言った。真緒は百合や芍薬、牡丹と言った存在感ある花が似合いそうだった。そういえば黒羽織以外の羽織は、芍薬など華やかな柄だったか。

「着物の面積に緑系を持ってくると、顔色が悪く見えちゃうんです。帯くらいならいいと思うんですけど」

「青も赤みのある紺寄りじゃないとお顔映りが悪くなりますしね。着物は色の面積が大きくなるので、お洋服とはちょっと違った選び方をするんですよ」

 真緒と室戸がそれぞれ理由を述べた。ついでに室戸は緑系の反物を真緒の襟元に乗せてみる。なるほど、真緒の肌が少し浮いて見える。

「真緒さんはご自身の似合う色を知っているんですね」

 真紀がしみじみと真緒を見た。当の真緒は八掛をどれにするかで室戸とああだこうだと言い合っている。

「真緒さんは着物を日常に着ていらっしゃいますからねぇ。それだけ経験が蓄積されているんですよ」

 ここまでくるのに失敗もたくさんなさっているはずですよ、と店長が真紀と美代に言った。

 失敗ばかりだったけど、今は自分を知っているから。それは真緒から聞いた今までの人生と重なっているように美代は思えた。

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