第23話 温泉旅館の座敷童子

「おんおおんおんおんせん〜」

「「「おんせん〜」」」

「ぽかぽかひろびろおんせん〜」

「「「おんせん〜」」」

「お前たちどこでそんな歌覚えたんだ?」

 和彦たちの父である柚彦は、困惑した表情で合唱している4人の息子たちをそれぞれ見ている。

「おんせんのうた。おいらがかんがえたんだ!」

 和彦はえっへんと得意げに真緒の方を見る。電車の中で比較的大人しくしていた反動だろうか、駅に迎えに来たマイクロバスのチャイルドシートの中で、4兄弟は浮かれていた。

「和彦くん、温泉楽しみ?」

「うん! ひろいおふろたのしみ!」

 隣に座っている和彦は心底楽しそうに笑った。台風の日の悲しみは少しは癒えたようで、真緒はほっとした。

「お隣だけど、御山の雰囲気がだいぶ変わりますねぇ」

 頼彦をあやしながら美代が車窓の景色を眺めて言った。地元は静かだがどこかざわざわとした生命のさざめきが聞こえるのだが、こちらの山はしんと静まりかえっている。ヌシのいない山とはこのようなものなのだろうか。

「他の山はこんなもんじゃないか? ヌシに見張られてる感じがしなくてホッとするぜ」

 レオンが信彦の隣で大きく息を吐く。信彦も、ふはぁと真似て息を吐いたので、大人たちはくすくすと笑った。

「もうすぐ着きますよ〜!」

 雅彦の隣に座った田代が小鼻を膨らませて言った。楽しみなのは子どもだけではないようだ。


 駅から迎えのマイクロバスで40分。山奥と言ってもいいほどの場所に、本日泊まる温泉旅館があった。


 出発前の市村家にて。

「お願いがあります」

「ハイ」

 リビングのカーペットの上に正座をして、真剣なまなざしで真緒はレオンに言った。レオンは巨躯を小さく縮こませて話を聞く。

「おそらく、旅行中和彦くんと頼彦くんは私にべったりくっついてくるかと思います。和彦くんは失恋の悲しみがまだ癒えていません。頼彦くんは誰かの奥さんだとか大切な人だとか関係性をまだ理解できる年頃ではありません」

「ハイ」

「2人がべったりくっついてきても、怒らないこと、イライラしないこと。約束できますか?」

「それは……難しいな。特に和彦はお前さんをお嫁にするって言ってたくらいだからな」

 むう、と唇を尖らせてレオンは反論した。目の前で恋女房が、幼いとはいえ他のヒトとひっついてるのを見るのは腹に据えかねる。

「もし我慢できたら、おはようのキスをおでこからほっぺに切り替えま」

「我慢します」

 こういうときのレオンの返事は早い。こんな取り引きはあまりしたくないのが、和彦の傷心旅行を兼ねているのだ。和彦を少しでも癒せるのなら、レオンにちょっと我慢してもらいたい。


「市村さまご夫婦に田代さまご家族ですね。いらっしゃいませ。ようこそ、月曇館へ」

 旅館の入り口で女将が出迎えてくれた。白菫色の着物に鳩羽色の帯を締めて、すっきりとした佇まいだ。よろしくお願いします、とそろって頭を下げる。

「お部屋は市村さまご夫婦が桜の間、田代さまご家族が藤の間でございます。隣のお部屋ですので、行き来は容易かと」

 女将が部屋を説明しながら案内する。と、廊下の先に子どもがいた。曲がり角のところで顔だけにゅっと出している。どうやら着物を着ているようで、赤に華やかな花柄の袖がちらりと見えた。10歳くらいの女の子だ。

「おももたち!」

「おっ!」

「あそぼ!」

「あそぼう!」

 三男の雅彦がぴゅっと駆け寄った。つられて他の兄弟もぱたぱたと女の子に駆け寄る。女の子は突撃してきた兄弟たちに驚いて逃げてしまった。

「ああ、待ちなさい!」

結局、美代も真緒も子どもたちを追いかけて、藤の間へ戻しにかかる。曲がり角の先には、部屋への扉がひとつあるだけだった。

「こら! びっくりしちゃうだろ。お友達になるにも順番があるんだぞ」

 田代が父親らしく兄弟を叱る。ごめんなさい、と並んで立たされた兄弟たちは、小さな声で謝った。

「真緒さん、この先って、あのお部屋ひとつだけですよね」

「そうですね。となると今の子は……」

 一連の騒動をにこやかに見守っていた女将が笑って答える。

「はい、鶴の間の座敷童子でございます。みなさま、見える方なのですね」

 また様子を見に来ると思いますから、そのときまた遊んでくださいね、と何事もなかったかのように二家族を部屋へと導いた。


「害のない妖怪だから、彦たちもすっ飛んでいったんだろうな」

「それにしたってびっくりした。彦くんたちは小さい頃から積極的なのね」

 真緒とレオンは桜の間の座卓でひと息ついていた。お茶請けのお菓子が美味しそうだったので、真緒はいそいそとお茶を淹れる。

「あの座敷童子、お前さんに似てたからなぁ」

「そう?」

「着物着てるところとか髪型とか」

「それ似てるって言う?」

「言う言う。ほら茶請け食って落ち着けって」

 レオンに言われ、お菓子とお茶を飲んで気持ちを落ち着かせる。真緒が妖怪を見るとちょっと心がさざめくことに、レオンは気づいているようだった。

 トントン、と扉をノックする音がする。はぁい、と覗き窓から見ると、和彦と頼彦が立っていた。手には防水のバッグが提げられている。

「まおねーちゃ、おふろいこう!」

「いこ!」

 真緒はちらりとレオンを見る。レオンは諦めた顔で行ってこいと手を振った。

「ちょっと待ってね、用意するから」

「うん!」

「あい!」

 2人を部屋に入れて、真緒は露天風呂の準備をする。脱衣所で濡れることを考えて、今日は化繊の小紋に見える着物と、綿のリバーシブルの帯を締めていた。浅蘇芳の着物に伽羅色の帯の、こっくりとした色合わせである。

「じゃあ、先に行ってるね」

「おう、1時間くらいでいいか?」

「うん、多分それくらいかな?」

 仔狸2人にむぎゅっとくっつかれたまま、真緒は露天風呂へと向かった。レオンは長湯が苦手で、すぐのぼせるので後から行くことになっている。廊下で美代たちと合流したのか、賑やかな声が聞こえた。


「まおねーちゃは、すべすべで、ふわふわだった」

「ふあふあー!」

 湯上がりで頬まで赤くなっている和彦と頼彦の報告を聞いて、レオンは膝から崩れ落ちた。一体何処に触れての感想なのか。レオンは怖くて、ご機嫌で駆け回る2人に聞けなかった。

 真緒は2人を藤の間に連れて行こうとして、視界の端に赤い着物が見えたのに気づいた。座敷童子がこちらを見つめている。

 夕食までまだ時間があったはずだ。真緒はおいで、と手招きしてみた。座敷童子は、びくっと一瞬固まったが、和彦と頼彦がわくわくしながら大人しく待っているのを見て、そろそろと近づいてきた。

「他のお部屋にも入れますか?」

 真緒は近づいてきた座敷童子に尋ねた。うん、と彼女は頷いた。

「じゃあ一緒に遊びましょうか」

 甘えてきた頼彦を抱っこして、和彦の手を引いて、真緒は藤の間に向かった。どうしようかと躊躇う座敷童子に、

「遊びたかったんだろ? 来いよ」

と、レオンが彼女の背中を押し、みんなで藤の間に集まった。


 田代が持ってきた家庭用ゲーム機2台は、座敷童子にも好評だった。テレビに繋げてテニスやサッカーやカーレースをする。最初はルールがわからず、適当にコントローラーを振り回していた座敷童子だったが、ルールがわかると田代やレオンと互角に戦った。

「やるなぁ」

「んふふ。次は負けませんよぅ」

「次、真緒さんの番ですよ」

「私はもういい……」

「まおねーちゃ、へただな」

「うん」

「へたー」

「うぐぅ」

 真緒は頼彦を膝に乗せ、見学の態勢に入る。右隣を和彦が、左隣を座敷童子が陣取って、両サイドできゃあきゃあ言うのを大人しく聞いていた。子どもが元気なのはいいことだ。まぁ座敷童子は結構な歳だろうが、年寄りが元気なのもいいことだ。


全戦連敗の真緒は頼彦の頬を撫でながらそう思った。


 お夕食をお持ち致しました、と女将が何度か声をかけて、ようやくゲーム大会はお開きとなった。

 みんなと一緒に食べたいと言う和彦の要望に、旅館は予備の座卓を出して、市村夫婦の食事を藤の間に運んだ。座敷童子の分も運び込まれた。鮎の塩焼き、牛肉のしゃぶしゃぶに揚げ豆腐のあんかけ、山菜の天ぷらに茶碗蒸し。デザートに山葡萄のアイスクリームがついて、白米と五目ご飯の2種類が選べた。

「みんなで食べるのもいいな」

 座敷童子がほっぺたにご飯粒をくっつけたまま言った。

「いつもはおひとりで召し上がるのですか?」

 真緒は座敷童子の頬のご飯粒をとってやりながら、普段の様子を聞いてみた。

「ん。厨にわたしの席があって、料理人といっしょのものを食べる。鶴の間の客は、わたしが見えたり見えなかったりするから、厨の見えるヒトと食べてる。ときどきおかみも来て、おかしをくれるんだ」

 座敷童子は真緒が気に入ったようで、真緒の隣で食事をしている。その反対側は和彦が陣取っており、レオンはその隣で信彦の食事の世話をしながら真緒を気にしていた。

「れおんはまおが気になるか」

「そりゃ女房だ。気にかけて悪いかよ」

 座敷童子がレオンに話しかける。レオンはむぅと唇を尖らせて答える。

「子がゆうせんなのは当然だろう。ふうふは夜にむつみあえばいい」


 しれっと爆弾発言をした座敷童子の言葉に大人たちはお茶を噴いた。子どもたちはきょとんとしてその様子を眺めていた。




 

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