第21話 和彦の恋

 おいらは、るみちゃんがすきだ。

 まおねーちゃもすきだけど、まおねーちゃはレオンおじさんのおよめさんだから、おいらのおよめさんにはなれないよっていわれたから、るみちゃんをおよめさんにするんだ。


 田代和彦の仲良しの女の子であった北村るみが登園しなくなって1週間が過ぎた。担任の先生と保護者と警察で捜索したところ、貴重品もそこそこに、慌てて出ていった形跡と情報があり、どうも夜逃げらしい、という結論に至った。

「るみちゃんは、遠くへお引越しされました。急なことで、みなさんにもお別れを言えなかったのが残念です、とのことです」

 大人たちは幼稚園児にそう告げた。

 和彦は納得できなかった。あのるみちゃんが、おいらにばいばいいわないでどこかにいくもんか。

 台風の雨がぽつりぽつりと降る中、和彦は幼稚園から戻ってくると、いつもお出かけのときに使うリュックを背負った。後ろでにーちゃ、どこいくの? と弟たちの声が聞こえる。

「るみちゃんをさがしてくる」

 そう言って、和彦は家を出た。


「和彦くんがいなくなった?」

 雨はだんだんと強まり、風も窓を容赦なく叩き始めた夕方。真緒は店を早仕舞いにして、すみよしやで早めの夕飯をとっていた。

 茜はこの台風の影響で早めに閉園した保育園に通う息子たちと家にいるはずだ。

 真緒の言葉に、店主も常連客も固まった。

『息子たちの話だと、どうも夜逃げした子を探しに行くって言ってたらしくて……。私が気づいていればこんな嵐の中、家から出さなかったのに……』

「お美代さん、落ち着いて。警察に届けましたか? 内線666の亀井刑事なら私たちの事情をご存じですので全部お話しして大丈夫のはずです」

 亀井は人外課の一員で、市村夫婦は青山で世話になった刑事から紹介されて知り合っていた。

「消防団も探すぞ。それはこっちに任せとけ」

 消防団員の茜の夫が掛け声をかけると、おう、と常連客の一部も動き出した。お釣りはいらねぇよ! と食事代をテーブルに置いて一斉に詰所へと向かう。扉を開けると、想像以上の雨脚だった。ばしゃばしゃと雨脚と足音が重なる。


「真緒」

 しばらくしてずぶ濡れのレオンがすみよしやにやってきた。レオンさんタオル、と茜の母が差し出したタオルをレオンは素直に受け取った。

「レオン、田代さんは?」

 真緒は近寄り、屈んできた夫の濡れた頭を拭いてやった。

「車で山の方を探してる。お前さんは一旦家に帰って、地図で和彦の居所の見当をつけてくれ」

 レオンは真緒に苻術で居所を占えと言っていた。

「わかった。やってみる」

「タオルありがとさんでした。行くぞ真緒」

「気をつけてねぇ」

 真緒は家までレオンに抱えられた。傘は役に立たず、着物姿では歩幅が小さいので文句は言わなかった。それよりも和彦の行方が大事だ。

 マンションにたどり着いて、2人は急いで準備に取りかかった。レオンがこの地一帯の地図を広げる。真緒は形代に『田代和彦』と震える手で名を書き、ふうっと息を吹き込み地図の上に落とした。

 形代はふらふらと空中を漂い、すうっと最寄りの駅に落ちた。

「駅か……! そういやみんな山と川を探してたな!」

 レオンと真緒は車に乗り、駅へと向かった。フロントガラスを雨粒が叩きつけ、冠水しかけた道路の雨水が波のように押し寄せてくる。

 お願い、無事でいて。

 真緒は助手席で祈りを捧げた。


 宮本健二は不機嫌だった。台風の日に出勤なのは仕方ない。しかし「あいつ」と一緒なのが気に食わない。しかも先ほど警察から「6歳の男児が行方不明である。それらしき児童を見かけたら保護すること」と通達があった。そこまではいい。続いて「仔狸を見かけたらそれも保護すること」ときたもんだ。

 宮本は他県からやってきた、いわゆる余所者である。この地に長く伝わる人とそれ以外のモノの婚姻や共同生活を聞いて、なんて時代遅れの風習を信じているんだ馬鹿らしいと思っていた。

 そこに去年入ってきた今田恒春こんだつねはるである。こいつも他県からの就職組だが、実は狐だと言う。宮本は最初ふざけているのかと思ったが、駅長以下地元の駅員たちはわー、珍しい、とさして驚かずに受け入れている。宮本はそこが気に食わない。

 今田は駅長室に詰めている。宮本は今田と顔を合わせないように、やってくる人に運転見合わせの説明をするため、改札前に立っていた。洗濯機の中のような台風だ。誰も来ないだろう。そう思って運転見合わせのアナウンスの流れる電光掲示板を眺めていた。


ぴちゃん。


 ふと、水音がした。

 視界の端に、黄色いTシャツ姿の子どもが見えたような気がして、エントランスの方へと振り返った。

 そこには子どもはいなかった。

 代わりに、ずぶ濡れの狸が、よろよろと入ってきた。小さい。仔狸か。宮本は心臓が跳ね上がるのを感じた。6歳の男児。仔狸。

 宮本が硬直していると、ぼろぼろと涙をこぼしながら仔狸がひとこと、

「るみちゃん」

と言ってその場に倒れた。宮本は上着を脱いで駆け寄った。


 今田は落ち着かなかった。警察からの通達。6歳の男児。仔狸。心当たりがあって仕方なかった。しかしその子との連絡先は交換していたが、父親の連絡先は知らなかった。

 駅長に「まだお前の知り合いとは限らないだろう?」と諭され、缶コーヒーを奢ってもらった。たっぷり砂糖の入ったラテだった。

 今田が駅長に見回りに行ってもいいか尋ねようとしたところ。

「今田あああああ! お前、狸の知り合いいたか?!」

 駅長室の扉を壊さん勢いで、宮本が駆け込んできた。今田は宮本が抱きかかえているモノに気づくと椅子を倒して宮本に駆け寄った。

「和彦? 和彦やな?」

 仔狸はぶるぶる震えながら枯れた声でつねにい、と答えた。

「知り合いです、警察の言ってた子どもです。あかん、震えとる。怪我ないか? どっか痛くしてへんか?」

 駅員たちは和彦の震えに命の危機を感じていた。

「宮本、今田、急病人用の毛布でまず体を拭け、それから仮眠室から布団持ってこい! 西尾、備品室から電気ストーブと湯たんぽだ! 梶、これで子どもが飲めそうなホット買ってこい!」

 駅長が指示を飛ばす。ハイ、と駅員たちは動き出した。

「この場合、人外課の方が話が早いよな? 今田、誰か知ってるか?」

「亀井さん言うヒトがおります。内線666で出てくれるはずです」

 和彦を毛布で拭き包みながら今田が答えた。駅長が警察に連絡をとっている間に、宮本が仔狸のリュックに気づいた。

「今田、この中にケータイとか入ってないか?」

「ああ、……ありますね。でも暗証番号知らんと……」

 今田が和彦のキッズ携帯を手にした途端、着信音が鳴った。


 真緒は助手席で、和彦のキッズ携帯に電話をかけていた。きっと両親もかけているだろう。それに気づかないのか、気づけないのか、充電が切れているのかわからないが、とにかく一度はかけておこうと思い立ったのだ。

 数コールで相手が出た。心臓がひょっと鳴る。

『もしもし?』

 和彦ではない、若い男の声だった。

「あの、」

『まおねぇちゃんさんですか? 私は駅員の今田と申します』

 画面に表示された名を読んでいるのだろう。今田。最近聞いた名前だ。

「今田……つねにいさんですか? じゃあ和彦くんは駅に?」

 真緒は思わず身を乗り出す。隣で信号待ちをしているレオンがこちらを見た。

『はい、駅で保護しています。警察には亀さんに直接連絡したのですが、和彦の親御さんの連絡先がわからなくて難儀しとったところに貴女から電話がかかってきて』

「亀井さんからも連絡がいくと思いますが、私からもご両親に電話します。和彦くんは無事なのですね?」

『低体温症の症状が出とります。今全力で暖めていますが、医者に診せたほうがええかと思います。けど和彦が獣の姿のままなので普通の病院は難しいかと』

「では田中診療所に連絡してみます。田中先生なら人外も診てくださいますから」

『田中先生? 街なかのあの爺さん診療所か?』

『息子さんが獣医師の資格持っとるんですよ』

 電話の向こうで会話が続いている。

「では和彦くんのご両親と田中先生に連絡しますので、一旦切りますね」

 はい、よろしゅう、と今田は電話を切った。

「生きてたか」

「うん、でも低体温になってるみたいで、お医者に診せた方がいいって」

「それで田中の爺さんの話が出たのか」

 駅まであと5分。その間真緒は田代と美代に電話をかけ、診療所に連絡を入れ、茜と茜の夫にメールで和彦の生存を伝えた。


 駅に着くと、駅員のひとりが迎えてくれた。すぐに若先生が来る手筈になっており、田代たちも診療所に向かうよう伝えてある。

 その前に、ひと目でも会いたい。

 真緒たちが駅長室に入ると、和彦は狸の姿で布団に包まりながらお皿から甘酒を舐めていた。痛ましい姿だが、怪我はないようだ。

「和彦くん……。良かった……」

「まおねーちゃ。ごめんなさい」

「いいのよ。どこか痛いところはない?」

「おむねがいたい。るみちゃんにあえなくておむねがいたい」

 この台風の中、捜し続けた子だ。よほど好きだったのだろう。真緒は泣きそうになるのをぐっと堪えた。

「今は、元気になることを考えてね。元気にならないと、るみちゃんも悲しむでしょ?」

「うん」

 仔狸の頭を、真緒はそっと撫でた。程なくバタバタと足音が近づいてきた。田中診療所の若先生だ。手早く和彦を診て、抱きかかえ、一晩入院させます、とみなに言った。

「ご家族が診療所に向かっているはずです」

「はい、父に伝えてありますのでご安心ください」

 それでは、急ぎ手当てをしますので、と若先生は和彦をそっと車に乗せて去っていった。

「みなさん、ありがとうございました。和彦の両親に代わって御礼申し上げます」

 レオンが和彦の父の上司と名乗り、駅員たちに深々と頭を下げた。駅員たちもいいんだよ、あんたらもお疲れさん、と真緒たちの肩を叩く。


 雨は小降りになっていた。

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