第19話 異種族お茶会

ピンポーン。

『はぁい、今開けますね〜。そのまま5階の508号室まで来てください〜』

 モニター越しに2人の姿を確認した真緒は、エントランスのロックを解除した。静かにガラス張りのドアが開く。

「いよいよですね、茜さん」

「うん。行こう美代さん」

 招かれた2人の客は、緊張した面持ちでエレベーターに乗り込んだ。


「いらっしゃいませ、茜ちゃん、お美代さん。どうぞ」

 玄関で笑顔の真緒が出迎えてくれた。今日は鴇色の地に萱草色の水玉が散った袷に、紫紺に白い秋桜が咲いている半幅帯を締めている。

「手ぶらで来いっていうからホント何も持ってこなかったけどいいの?」

 茜はスリッパを履きながら真緒に尋ねた。

「うん、お菓子いっぱい作ったから、それで足りるかなって」

「あら本当、いい匂いがするわ」

 そういえばほのかに甘い香りがする。美代は鼻がいいんだな、と茜は思った。

「しっかし初めてこのマンション入ったわー。入り口からさすが違うわね」

「セキュリティは都心並みだって主人が言ってましたよ。防犯意識が高い人たちが住むんだって」

「まぁ防犯というか、防音がしっかりしてるからここにしようって決めただけなんだけどね」

「決めて買えるだけの資産があったってことでしょ?」

「ほぼレオンの資産です」

「ローンは?」

「まだまだありますよ〜」

「でしょうねぇ」

 茜と美代は笑いながらリビングダイニングに案内された。廊下にトイレとバスルーム、並んで部屋がふたつ。夫婦それぞれの個室だそうだ。

「リビング広っ、冷蔵庫でかっ」

「まぁ、三口コンロ! 素敵!」

 主婦の2人の視線は、やはり台所に集中した。白と濃茶を基調とした、シンプルモダンな住まいだった。

「IHじゃないんだね」

「うん、火のほうが調整しやすいからって」

「これ、オーブンレンジですか?」

「そうです。どっちも大活躍ですよ。あ、今お茶とお菓子を出すので、どうぞ座ってくださいな」

 真緒は2人をダイニングに誘い、ベンチタイプの椅子に座らせた。

「珍しい〜。ベンチタイプだ」

「レオンがあの体格でしょ? 合う椅子がなくて、じゃあいっそベンチタイプにしようってなって」

「レオンさん、普通の椅子じゃ高さが足らないんですって。会社の椅子も特注だって聞きましたよ」

「そうなんですよ。変なところでお金がかる人で」

 真緒が紅茶を淹れ、クッキーとパウンドケーキとスコーンが乗った大皿を2人の前に出した。クッキーはプレーンとココア、両方の混ざった市松模様のもの、プレーンのスコーンにチョコチップスコーン、オレンジピールの入ったパウンドケーキが、溢れんばかりに乗せられていた。

「うわぁ、美味しそう! これ全部真緒さんが作ったんですか?」

「はい、頑張りました。あ、お土産もあるのでどうぞ。こちらは何にも入ってないのでおちびちゃんたちも食べられるかと」

 真緒がビニール袋に入ったパウンドケーキを2人に差し出す。

「あら、お土産まで? ありがとうございます」

「ちょっと待った。写真撮る」

 茜がスマートフォンで大皿のお菓子を撮影する。じゃあ私も、と美代もカメラを向ける。

「2日もお店を休んで何してるのかと思ったら、これ作ってたのねー。そりゃ1日がかりだわ」

「真緒さん、そのためにお店休んだんですか?」

「だっておふたりをお迎えするのに、市販のお菓子じゃ寂しいなって思って……」

 真緒は上目遣いに2人を見た。こういう仕草をするときの真緒は、年齢以上に幼く見える。この仕草に旦那はやられたんだろうなぁと茜はしょうもないことを考えた。


「ところでさ、聞きたいことがあったんだけど」

 大皿の菓子を一通り食べた茜が口を開いた。隣で美代が緊張した表情で茜を見た。

「うん、なぁに?」

 パウンドケーキを頬張りながら真緒が答える。

「真緒たち夫婦、駆け落ちしたって話だけど、本当のところはどうなの?」

「本当だよ?」

「今どきある? 借金背負って夜逃げとかじゃないよね?」

「そんな噂があるの?」

「ないですないです。ただ、駆け落ちって話も今のご時世、現実味がないというか……。どうなんでしょうね? って話が出るだけで」

 真緒はうーん、と天井を見た。茜と美代は真緒を見ている。

「駆け落ちは本当。うちの両親がレオンを認めてくれなくって」

「あんなに稼いでるのに?」

「父が古風なタイプでね。レオンを外見で判断しちゃって。職業聞く前から頭ごなしに反対されて、挙句にホストか? って聞いちゃったの」

「あらー」

「じゃあ、お母さんは何て?」

「母は私に家事をしてもらいたかったから、レオンにマスオさんならいいよって」

「あららー」

「ん? お母さん、家事やらないの?」

「うん、やらない」

「え、じゃあ掃除洗濯料理買い物、全部真緒さんが? お一人で?」

「うん。実の母が10歳で亡くなってからずっとそんな感じだったよ? まぁ会社勤めてからはネットスーパーの配達任せだったけど」

「はぁ? 兄弟は?」

「兄と弟がいたけど、兄は引きこもりだったし、弟は歳が離れて小さかったから」

「いやおかしいでしょ? 普通子どもに家事やらせる? 真緒1人で?」

「ずっと水商売して生活してたみたいだから、家事は苦手だったみたい」

「苦手だからってやらないってのはおかしいでしょ? 子ども1人に押し付けて。他の大人は何も言わなかったの?」

「先生や保健師さんたちも事情を知って色々言ってくれたんだけど、2人ともその場ではハイハイって言うけど、結局やらなくて。私がやらなきゃ、家中脱いだ服とかビール缶とかで溢れちゃってたから」

「それを知ってレオンさん、真緒さんを連れ出したんですね……」

 美代がそっと目頭を押さえる。

「そりゃ連れ出すわ。あたしでもブチ切れて駆け落ちするわ」

 茜は見たことのない真緒の両親たちに憤慨する。

「まぁ、昔のことだし、今はすごく幸せだし、あんまり実家のことは考えないようにしてるの」

「そうだったんですね……。すみません、軽率にこんなこと聞いてしまって……」

「美代さんが謝ることないよ。聞きたいって言ったのはあたしだし。ごめんね、真緒」

「ううん、大丈夫」

「酒が欲しいくらいの話だわこれ。素面じゃ聞けないっつーの」

「あんまり気持ちのいい話じゃないから、曖昧にしてたの。だから2人にだけ話したの」

 そう言って笑う真緒の顔は、どこか悲しげだった。

「わかってます。詳細は誰に聞かれても言いません」

「あたしも。駆け落ちは事実だったって言うだけにする」

 真面目な顔で2人は頷いた。ありがとう、と真緒は微笑む。


「で。その旦那とはどこでどう出会ったの?」

「茜さん」

「いや、美代さん今日は聞きにくいこと、とことん聞こうって決めてたでしょ? 滅多にないチャンスよ!」

「茜ちゃん逞しいね……」

 真緒は少々呆れ顔で友人を見た。

「こっちは後ろめたいことないでしょ? さあさあどこで知り合ったのよ?」

 ずいっと茜が身を乗り出した。隣で美代があわわと手をばたつかせている。

「んー、私の地元で知り合ったの。仕事が休みで久しぶりに羽根が伸ばせる日で、着物を着て出かけてたところに、レオンが道を尋ねてきたのよ」

「道? スマホ忘れたの?」

「バッテリー切れたみたいで充電器がささってて。海外にいる売主さんに書類を送りたかったみたいで、郵便局はどこですかって」

「それで教えてあげたの?」

「近くだったからご案内しますって連れて行ってあげて、そうしたらお礼にお茶でもって誘われて」

「あらあら、レオンさん昔から積極的だったんですねぇ」

「そこで色々話をして……。いいなって思って連絡先を交換したの。それがはじまり」

 この辺りは若干嘘なので真緒は少々後ろめたかった。まさか座って5分で求婚されたとはさすがに言えない。

「へぇ、じゃあ真緒も悪い気はしなかったんだ。あたしは旦那が一目惚れして押しに押してくっついたと思ってたけど」

「リードはレオンだったけど……。あのね、笑ったときのね、目元の笑い皺がいいなって思って」

 真緒はえへへ、と笑いながら話し始めた。

「まぁ」

「うわ、ごちそうさま」


 土産のパウンドケーキを持って、茜と美代はエレベーターに乗った。

「どうでしたか? 真緒さんとの『壁』は取れました?」

 美代は茜から、「真緒とは仲良しのつもりだが、何か壁を作られてる気がする」と言った相談を受けていたのだ。

「んー、だいたいは取れたと思うけど。まぁ言いづらいこと言わせちゃったから、次に会うときちょっと気まずいかなぁって」

「真緒さんなら気になさらないと思いますよ?」

「そうかな。……なんかさ、美代さんとも真緒と似たような『壁』があるなぁって思うときがあるんだよね」

「それは多分、夫が同じ職場という共通点ではないかしら。私と真緒さんしか知らない共通の話題とかありますしね」

「そうかなぁ。なんか、根本的な違いみたいな、うまく言えないんだけどさ」

「思い過ごしですよぅ」

 美代はころころと笑った。茜は人間だが美代は狸のあやかし、真緒は半人前だが吸血鬼だ。きっとそのあたりを敏感に感じとっているのだろう。

 真緒さんにもご報告しませんとね。

 美代は茜と別れたあと、お礼と共に茜の違和感をメールで知らせた。

 今日集まったお茶会で、自分以外が人外であることを、茜は知らない。

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