第18話 ある書店員の1日

 俺、島崎卓也。34歳、書店員。在宅でwebデザイナーやってる同い年の妻あり。地方の郊外にあるショッピングモール内にある本屋に勤務している。

 俺は本社から派遣される形で地元に就職したが、他の連中は地方ダセーとか言いながら単身赴任している奴らが多い。いいじゃん、地方。飯も空気も美味いし。滅多に渋滞起こらないし。いや鹿とか狸とかテンとか轢かないように気をつけることはあるけど。街中じゃなければ人は滅多に飛び出してこない。都心の渋滞と人の飛び出しに何度寿命を縮めたことか。それを考えると地方はいい。人を轢かず安心して車を運転できる。人コワイ。


 で。俺の勤務しているショッピングモールは、近くの街から車で50分ほど。俺の住むマンションからこれまた車で30分かかる。しかしショップとフードコートの多さから県外からの集客もあって、バカでかいショッピングモールのバカでかい駐車場は週末になるとほぼ満車だ。街中にあった唯一の本屋が建物の老朽化で閉店してから10年。そこから流れてきた常連客や、店長の書籍チョイスの絶妙さででウチの本屋の客足は順調に伸びている。


 さて、今日は平日である。俺は従業員入り口で警備員に従業員証明証を見せながら機械にタッチし、早番のシフトに入る。

 流通センターから来る本日発売の書籍のチェックと整列。少し遅れてきた地元主婦のパートさんたちと昨日の売り上げ報告と注意事項の確認ミーディング。万引きは漫画と希少本を狙う奴が多いから、そのコーナーは担当者以外でも足を向けること。育休に入っていたメンバーが来月1日から復帰できること。週一の街への配達のお土産の饅頭があるので、ひとり一個まで食べていいこと。そんなことをつらつらと述べて、開店時間を迎える。


 開店早々、月イチ程度でやってくる家族連れが来た。夫婦とその子ども、男4人。一番下の子はようやく歩けるようになったらしく、嬉しそうに店内を歩き回る。一番上の子が、その子の手を繋いでいたり、離れすぎると抱き上げて回収する。えらいなお兄ちゃん。だいたい漫画や絵本のコーナーでわいわい騒いで、それぞれが好きな本を抱えてレジにやって来る。

「これください」

「ください」

「くだちゃい」

「ちゃい!」

 いっぺんに出したらお店の人も困るだろう? と毎回父親が子どもたちを順番に並べて、順番にお会計をする。下の子2人はまだレジ台に手が届かないので、父親と母親が抱き上げてお会計だ。ありがとうございました! と元気のいい声で、嬉しそうに図鑑や絵本を抱えて帰っていく。子育てって大変って聞くけど、こういった風景を見ていると、ちょっと欲しいな、と思わなくもない。まぁ俺たち夫婦は子どもはいらない、2匹の猫がうちの子、というスタンスなのでどっちがいいとかよくないとか、そういうふうには思わない。


「シマさん、『教授』と『奥様』がいらっしゃいましたよ」

 パートさんの1人がバックヤードにいた俺を呼ぶ。俺はいそいそと店に戻り、定期購読の取置きを用意して待ち構える。

 店員たちの間で、常連客をあだ名で呼ぶことは多々ある。先の親子4兄弟は狸に似ているので『タヌさん一家』と呼んでいる。

 で、『教授』と『奥様』だが。3年前くらいにやってきて、3ヶ月に一度くらいの頻度で当店をご利用なのだが、とにかく目立つ。

 『教授』は銀髪青目の外人で、『奥様』はいつも着物を着ている。『教授』の方はメンズファッション誌の一冊を、特集によって買ったり買わなかったりしており、あとは科学雑誌や医療雑誌(遺伝子や血液に関する特集を組んでいるときに購入)、英語やドイツ語の洋書を買うことが多い。

 『奥様』の方は、その日の気分で見回るコーナーを変え、ちょこまかと店内を一周する。そして女性ファッションのコーナーで、着物の本や帯結びの本が新しく出ているとそれを手にし、たまに茶道の指南書やお菓子の本にも手を伸ばす。

 ここまではいい。

 その『奥様』、宗教や精神世界に興味があるのか、世界の神と悪魔、呪術、呪い、墓跡、世界の妖怪や日本の妖怪の本などをお買い求めになるのだ。初めて来店された日には、「この本はお取り寄せできますか?」とスマホで呪が書かれた木簡がででーんと表紙を飾っている本の画像を見せられて、コヤツ何者? と若干引いた記憶はまだ新しい。店長に伝えると嬉々として真っ当な出版社から出ているその手の本を注文し始め、『奥様』は毎回何かしらその手の本をお買い上げになる。win-winの関係なんだが、搬入される本を手に取るのは遅番の店長ではなく、早番の俺の確率が高い。この手の本を取り扱っていつか呪われるんじゃないかと心配している。


 そんな感慨に更けていたら、先に『教授』がやってきた。今回は科学雑誌と洋書のみだ。

「あれ、いつもの雑誌、買わないんですか? 今回スーツ特集でしたよ?」

 俺は思わず言ってしまった。『教授』は、お、といった顔をして、雑誌が見当たらなかったんだよ、と子どものようにむくれて首を傾げて言った。見た目によらず、性格はお茶目というか、かわいい系の人なのだ。

「今号から表紙のデザインがリニューアルされたんですよ。だから分からなかったのかも。いつもの場所に置いてありますよ」

 俺は愛想笑いを浮かべながら、妻からの情報を伝えた。『教授』がお気に入りの雑誌は編集長が変わったらしく、心機一転、デザインが大々的に変更されたのだという。

「そうか。もう一回見てくる。ありがとな」

『教授』はにっと笑うと長い足で颯爽と店の入り口付近へ戻った。


「ねぇ、シマさん。『奥様』が料理コーナーから動かないんだけど……。お声かけた方がいいのかしら?」

 手芸・料理コーナー担当のパートの白石さんが、そっと俺に尋ねてきた。見るとおかっぱ頭が料理コーナーの本を睨んで動かない。何を買えばいいのか悩んでいる様子だった。

「白石さん、『奥様』と話したことありましたっけ?」

「ありますよ。いつもお着物素敵ですねって言ったら、ありがとうございますってすごく嬉しそうな顔されて。それ以来目が合うと会釈してくれるんです。警戒はされてないと思いますよう」

 じゃ、大丈夫だろう。俺は行ってきてくださいと白石さんに頷いた。入れ替わるように『教授』が雑誌を持ってやってきたので、俺はその対応をした。


 10分後、ほのかに頬を上気させた『奥様』と白石さんが一緒にレジへやってきた。あとはお願いしますねぇ、と白石さんはにこにこしながら休憩に入っていった。俺は『奥様』が定期購読している着物の雑誌を棚から取り出して、いつもありがとうございます、と一言添えて会計に入った。今日は店長がチョイスした呪術の本と、和雑貨の本、日本の伝統芸能雑誌、スープのレシピ本に焼き菓子のレシピ本だった。

「決まったか?」

 いつの間にか『教授』がレジ側に近づいていた。『奥様』はうん、と笑顔で答える。彼女の本の会計はいつも『教授』がしていた。個人情報なので詳しくは言わないが、地方のショッピングモールで出すカードじゃねぇだろうってツッコミたくなる外資系クレジットカードでいつもお支払いしていただいている。ほんと何者だこの夫婦。

「あとね、お向かいのお店にも行きたいの」

 『奥様』が嬉しそうな顔と声で『教授』に話しかけた。向かいは製菓材料とその道具を取り扱っている店である。いいぞ、と『教授』はご機嫌な妻のお願いを聞きながら、俺からクレジットカードと本の入った紙袋を受け取った。


 2人が向かいの店に入ったのを見計らって、俺はレジをもう1人のパートさんに任せて、水分補給にバックヤードに入った。中では白石さんが饅頭を食べていたのか、包み紙を綺麗に結んでゴミ箱に入れるところだった。

「『奥様』何悩んでたんすか?」

 俺は冷蔵庫から店長が自腹で買ってくれているペットボトルのお茶を出した。ツテがあるのか、安く買えてるから好きに飲んでいいよと言われているので、好意に甘えて週一くらいのペースで飲んでいる。

 白石さんは嬉しそうに微笑んで、

「しばらくお料理から離れていたんだけど、旦那さまにやっぱり何か作ってあげたいから、簡単に作れるレシピ本をお探しだったんですって。旦那さまはスープ系がお好きって言われたので、あの本をおすすめしたんです」

と言った。あの本はスープから汁物まで数十種類のレシピが載っていたはずだ。次に来店するであろう3ヶ月後までには、いくつかマスターできるだろう。次は初心者向けの料理本を店長に発注かけてもらうか。

「あれ、じゃあ焼き菓子の本は?」

「あっちはあっちで、お世話になってるご近所さんや子どもたちに食べさせたいからって。スコーンやマフィンは作っていらっしゃるみたいだったから、フィナンシェとマドレーヌとパウンドケーキが載っている本をご紹介しました」

 中身を確認する『奥様』の目がキラキラ輝いていて、お声がけしてよかったわ〜と満面の笑顔である。


 そんな常連客を迎えながら、俺の1日は過ぎていく。

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