第17話 夢食む獏
ごうごう。おんおん。
このばけものめ。
もののけめ。
槍が脇腹に刺しこまれる。
肺腑を貫き、血を吐くが、自分はまだ生きている。
しんのぞうをさせ。
民衆の一人が、槍を持って胸を狙い─
やめて。
真緒はそこで目が覚めた。はっはっと浅い息を吐く。己の身に何もないことを確認すると、慌てて隣に寝ている男を見やる。
「レオン」
男は眠っていた。だがその顔は苦痛に歪み、小さなうめき声を上げている。
「レオン」
真緒はもう一度、夫の名を呼ぶ。
しかし夢に囚われた夫は、なかなか目を覚まさない。いやだいやだと首を振り、夢を見続ける。
悪夢にうなされているレオンはちょっと体を揺するくらいでは起きない。おもいきり引っ叩くとか、氷を額に乗せるとか、とにかく乱暴な起こし方をしないと起きないのだ。真緒はいろいろ試したが、強制的に起こせる手段はこれと、寝ている彼の血を吸って、感覚を現実に寄らせることくらいだった。
「……仕方ない」
真緒はそっとレオンに抱きつくように覆いかぶさった。普段は顔が近すぎて恥ずかしくてできないが、今は緊急事態だ。
夫の首筋をそっと撫で、小さな唇を寄せる。開いた口から、鋭い牙が見えた。
「ん……」
こくこくと、少しずつ血を吸う。
飢えるほど渇いていないが、悪夢にうなされているときの彼の血を吸うと、鉄錆の味がいくらか薄らぐ。闇医者から買い取る輸血パックの味と中身はどれも錆臭くどす黒い記憶ばかりで、真緒はもっぱらレオンの血を吸っていた。彼の血なら、我慢できる。彼の記憶なら、共有したい。
胸を刺され血を吐き、なお生きている彼を人々は恐れて谷へ投げ捨てた。谷底に落とされた彼は、暗闇の中、ゆっくりと再生する。
「う……」
記憶はそこで途絶えた。彼の呼吸が穏やかになっていく。
真緒はレオンの首筋からそっと唇を離し、彼の頬を撫でた。青い目が震えながら開かれる。
「真緒?」
「うなされてたよ。大丈夫?」
真緒は腕を伸ばし、彼の銀の髪を撫でつけた。レオンはほう、と安堵の息を吐く。
「夢を見ていたんだ。昔起きた出来事を」
「うん」
「そこに小さな獏が出てきてな? 夢を端からもぐもぐ食っていったんだ。気づけば周りは真っ白で、獏は腹一杯って顔して─いや、そんなふうに見えただけだと思うんだが─すうって消えていったんだ。そしたらお前さんが目の前にいるだろ?」
不思議だなぁ、とレオンは大きな手で真緒の頭を撫でた。
「その獏がお前さんに見えてな?」
「こけしの次は獏?」
「いや、雰囲気っつーか気配がそんな感じだったんだ」
嫌な夢のはずだったんだが、獏を見てたら忘れちまった。
真緒はぽふ、とレオンの胸に頭を乗せ、よかったと目を閉じた。
「珍しいな」
恥ずかしがり屋の真緒からレオンに触れてくるのは、片手で数えるほどしかない。
「たまには甘えてあげてもいいかなぁって」
「いつでも甘えていいんだぜ? お前さんはずっと独りで頑張ってきたんだからな」
「それはレオンも同じでしょ」
合間にパートナーがいたとしても、彼の孤独の時間の方がずっとずっと長いはずだ。
「俺はお前さんを幸せにする義務があるんだ。パートナーだけど、一応は主だからな」
「義務なの? もっとこう、ゆるく考えていいよ?」
「ん〜、義務というか使命というか……。まぁお前さんが幸せなら、それでいいんだ」
青い目が深みのある笑みを作る。目元の笑い皺を、やっぱり可愛いと思ってしまう。初めて会った時から、いい笑い方をするひとだと思っていた。
「幸せだよ、前よりずっと」
ありがとう。
真緒は小さくつぶやいた。
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