世界

 俺は河川敷をまた上る。だがどこに行っても「青空カフェ」が見つからない。

 途方に暮れていると、顔見知りの近所の爺さんが俺の前を通り掛かった。彼なら何か知っているかもしれない。

「おーい! きよし爺ちゃん!」

「んー? お前は誰だ?」

 これだから爺さんは困るんだ。近所の子どもの顔まで忘れるだなんて。

「春樹! 相崎春樹! は! る! き!」

 怒鳴り声にも近いような声を上げて爺さんに説明する。彼はやっと老眼鏡を上げて、「ああ」と納得したかのような声を出した。

「なんだ春樹か。どうしたんだ?」

「佐藤マリアという女性を知らないか?」

 佐藤マリア、という名前を出した途端、爺さんの顔が強ばった。

「もしかして……『青空カフェ』のオーナーか?」

 俺の心臓が玉響、ドクリと跳ねる。何故彼はその事を知っているんだ? 

「ああ。何故爺さんは知ってるんだ? 」

「青空カフェは、ここら辺に伝わる伝説のようなものだ。色々なものに行き詰まった人の前にその建物は現れる。俺も四十年前、仕事で行き詰まった時に行ったことがある。そして俺は分かったんだ」

 早口でまくしたてた爺さんの肩をガシッと掴む。まさか彼が青空カフェを訪れたことがあるだなんて。

 彼は財布から、一枚の写真を取り出す。

「この写真の人物は佐藤マリアだ。千九百三十五年撮影。彼女は確かに、この世界に生きていたんだ」

 俺は衝撃を受けた。彼女が百年ほど昔の人だったとは。だとしたら彼女の、あの大学生のような容姿は一体何なのだろうか。爺さんの「生きていたんだ」と、彼女の「君には」もとても気になる。

「彼女はポルトガル人の父が開いたカフェのオーナーとなったが、空襲によりカフェも、そして佐藤マリア自身も焼けてしまった。彼女は今も空から世界を見ているんだと思う」

 爺さんは遠い目をして空を見上げる。

 青くて澄んだ空。俺はこっそりと泣いた。そしてもう死にたいと思わなくなったことにも驚いた。

「きっと、お前さんも彼女に助けられたんだよ」

 そう言って爺さんは去っていった。

 俺は息を吸い込む。生きてることを改めて実感する。そして精一杯叫んだ。


「俺は、死にたくない! 世界の味を、まだ知り尽くしていない!」


 その声は木霊する。俺はそれが何故か嬉しくて小っ恥ずかしくて、思いっきり笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青空カフェ れしおはる @Haru0706

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ