第7話 夢と幸せ

ぼく、山形道夫。誰にも負けない運動音痴。

だって、小学校の時、近所の16人の子供が集まって、公園のグラウンドで野球の試合をする前、グランド2周のランニングを終えて、一息つくと「おい!山形っ!お前まだ1周目だろ」っと誰かが叫ぶと、一斉に冷たい視線・・「あれ〜そうだった?」と誤魔化しながら、「バレたか!」と心の中で小さく叫ぶ。皆んなが休んでいる間、僕は一生懸命2周目を走っている。終えるとすぐ、キャッチボールを二人一組で始める。「え〜休ませてよ〜」と言うと、「もう、休んだ!」と声を揃えて大合唱。しぶしぶ、誰かと始める。3球に1球はナイスキャッチ出来るようになってきた。「おう、山形上手くなったんじゃん」僕は、褒められるのが大好きだ!で、胸を張って見せると、皆んな何故か爆笑。

小5のぼくの将来の夢は、理科の先生。理科と言っても、生物・・でも、動物は嫌い。特に、肉食獣は大嫌い。この世から消えろっ!って念じている。

だって、食われる夢を何回見たことか。恐ろしくて・・・。

だから、染色体とか遺伝子とかが大好き。昔から家にあった遺伝子の本を漢字辞典を見ながら読んでいた。意味は全く分からないが挿絵や写真だけでも楽しかった。

自慢は、女の子とすぐ仲良くなれること。特に小3までは、男の子より女の子の中にいる方が時間は長かった。・・女の子はみんな、ぼくをチヤホヤしてくれるので、心地よい。

しかし、中学生くらいになると、自意識に目覚めて女の子と話せなくなる。好きな子にも告白出来ない。夢の中で告白し、OKもらって付き合った・・手を繋ごうとすると決まって目が覚める。

大学にはストレートで入った。勿論、夢にまでみた生物学専攻だ。・・ところが、入ってみると、植物学、動物学、細菌学しかなくて、教授に「教授!遺伝子とか、染色体とかはどこへ行けばいいんですか?」と聞いてみた。

「ばか、うちの学部にはそれは無い。入試の学部説明に書いてあったしょ!・・何見てんだ!・・それなら、同じ北央大学でも東京の理学部生物学科を受ければあったのに」と嗜められた。西暦2000年、巷が西暦2000年問題で大騒ぎをしている中、希望に溢れ現役18歳で入学したのに、わずか数週間で、ぼくは、絶望した。家と大学が近いから盛岡市内の生物学部を受けてしまった。・・・悔やんだが、親に一杯お金出させたし、・・贅沢できる家では無かったので、卒業することだけを目標に頑張ることにした。家では酒を飲むことが多くなった。飲んで寝ると、ぼくは遺伝子の研究をし、老化を促進する遺伝子を発見して、その機能を低下させ老化を遅らせることに成功。国内の学会で発表すると、世界中が注目し、なんと、ぼくはノーベル賞をもらうことになる。・・・という夢を見る。1回、2回じゃない。だから、ぼくはやれば出来る人間なんだと思い込むことにしている。

何とか、動物生態学ゼミという忌まわしい4年もの刑期を終え22歳で卒業したが、時は、世紀の就職難、仕方なく市内の農業系の金融機関で働くことにした。

他の社員は、上を目指して、「夢は社長!」とか「俺は重役止まりでもいいや」とか、勝手に夢見ているが、ぼくは、バカらしくって好きな本を毎日遅くまで読むようになった。

特に、毎年の直木賞とか乱歩賞とか・・・凄い表現、言葉、物事の捉え方、流れ、どうしてこんなに引き込まれてしまうのだろう?・・分かろうとして10回以上読んだ本もある。・・しかし、分からない・・自分の能力を思い知らされた。

24歳になった5月9日、ぼくは突然本を書き出した。タイトル「謎の謎」という推理小説。書き上がったのは翌年1月。急いで出版社のコンクールに応募。

そして、発表は2月14日。前日は興奮して眠れない・・・。

当日は午後3時の発表だから半くらいには電話くるかなあ〜と、期待に薄っぺらな胸でも膨らむ・・ぱらぱらぱらりら・・と電話のベル音・・おー来たあっ!と「はい、山形です」答えると「こちら、東京の出版社です。あな・・」まで喋った所で電話が切れる。

・・・充電切れっ!「わ〜っ!」と叫んだ自分の声で目が覚めた。

がっかり顔で出社すると、「どうしたの?顔色悪いわよ?」と同じ店で働く菊田しほさんから声を掛けられた。

「いや〜夢で・・・」と手短に話す、大笑いされると思いきや「そう、残念!ね、・・でも、山形さん才能あるから本当に小説書いてコンテストに応募してみたら?」予想外の反応。ぼくは「え〜まさかあ〜出来ないよ〜」と答えると、彼女は「出来る!・・絶対!・・コンテストに応募したら、きっと入賞するから!・・そしたら、何でも好きなものご馳走してあげるわよっ!・・」って、そんな嬉しい事を言ってくれる。

彼女は決して、美人とか可愛いとかじゃ無いけど・・どっちかというと面白い顔立ちなんだが、・・気付かなかったが、ひょっとして、ぼくのこと好きなんじゃないかなあ〜と思い始めたら、急にぼくも好きになりだした。

好きな娘に言われたら、やるっきゃない!と決めた。

ぼくは、本気で小説を書き始めた。酒もやめた。タバコもやめた。1年掛けて必死に書いた。賞をもらったら告白しようとまで決心して。

翌年の3月14日が発表の日。前日は眠れない。当日は午後3時発表だから半にはくるなと思い。ドキドキ。薄っぺらな胸も破裂しそうに膨らんでいる。

リラリラりりり〜。「来たあ、ベルの音だあ・・」仕事中にも関わらず叫んでしまい、口を手で押さえる。社員も顧客もこっちをガン見・・。

「もしもし、山形です・・」小声で答える。

「こちら、コンテスト主催の出版社です。おめでとうございます。あなたの小説が入賞しました・・追って担当者がご自宅を訪問し、今後の・・・」あとは、耳に入ってこない。

まさかの、夢が実現!彼女もこっちをみている。直ぐ、報告しよう。

急く気持ちを抑え、彼女を手招きする。

「どうしたの?叫び声上げちゃって・・」

「ごめん。あの〜、小説のコンテスト入賞したんだ!」彼女が大喜びすると思って、ぼくはもう有頂天・・これで、彼女とお付き合いが始まる・・・

「良かったねえ〜山形さん・・おめでたいついでに、私も報告あるの!」

ぼくは「来たあ〜お食事のお誘いだあ・・」と心の叫び声をあげる。が、平静を装い「なに?言って」と言うと、彼女「あの〜まだ、ほかの男性社員には言って無いんだけど、外回りの上山くんと結婚することになったの!今まで、色々ありがとうございました・・で、今月一杯で退職するので・・・」その後何を言ったか全く記憶がない。

「山形さん!」と言われ、我に帰る。

「そう、おめでとう・・良かったねえ〜」とだけ、やっと言えた。

絶望の日本海溝からは浮かび上がれそうになかった。24歳の夢は撃沈した。

夢を叶えるための努力は実を結んでも夢は叶わないんだ。やっぱり、昔からそうだったように・・・「うわ〜っ!」と大声で叫びたかった。


で、ぼくは、その年一杯で退職した。

小説一本で行くことにした。出版社の大岩さんも支援すると言ってくれた。

毎年、長編1本、短編5本を目標に書きまくった。

3年目、出版社の担当が錨岡(いかりがおか)という変わった奴になった。ぼくは29歳になった。

「おしいなあ・・あと一歩なんだが・・」とか「残念、チョット違うなあ・・」とかばかり言う。

収入の無くなったぼくは、アルバイトで生計を立てるようになった。書く時間は減ったが書く量は変えないように頑張った。


35歳を迎えた6年目、錨岡さんが、喫茶店にぼくを「打ち合わせをしたい」と言って呼び出した。

ぼくが行くと、女性も一緒にいる。また担当代わるのかなと思ってたら、彼が「紹介します。三流(みる)咲子(さきこ)さんと言う山形さんと同じ作家です。なかなかヒット作がでず。他の作家さんとも意見交換したいと言うので、山形さんに来てもらいました。別に、お見合いとかでは無いので、作家としての意見交換をして頂いて、切磋琢磨ということで、良い作品を作って、私共に利益をもたらして頂きたいと・・・ははっ・・最後のは冗談ですが、お互いメリットがあるのかなあって思うのですが、山形さんどうでしょうか?」

「・・ん〜ぼくなんかより良い作家の方沢山いるんじゃないですか?」

三流さんが「いえ、相手を選ぶなんて・・私は名前のとおり三流(さんりゅう)で、咲子(さっこ)・・さっか・・つまり、名前からして、『さんりゅうさっか』な訳です」

「ははははははっ・・おもしろーい・・」

「山形さん!笑いすぎっ!」錨岡に嗜められた。

「ごめんなさい、あまりに上手いので・・つい。・・わかりました。意見交換しましょう・・なんか、楽しそうだ」

「ふふふ、山形さんも面白そうな感じですね・・」


初めは月に一度1日10時にこのレストランで食事しながら意見を交換することにした。

いつからか、それが毎週の行事になり、週に2、3回会うようになると、お金が掛かるということで、お互いの自宅で話すことにした。訪問する方が昼ごはんを買って行くことにした。

気が合って、次第に惹かれてゆくが、過去の思い出がそれ以上前進させない。夢の中だけで夢見ようと思っていた。

小説を書く気力が当初より落ちて、一流作家になるのは、夢の中に仕舞い込んで、目が醒めている時はアルバイトと彼女との話のネタ探しに一生懸命になって行った。


2年位して、お酒も出るようになって、ある日、お喋りし過ぎで夜になってしまい、酔った勢いもあって、一線を越え・・・行き着いてしまった。


半年も経ったある日、「私、子供出来ちゃった・・ごめん」と言う。ぼくが37歳、彼女は30歳のときの事件だ。

ぼくはどう返事をしたら良いのか分からなかった「そう、どうするの?」

言ってから、最悪の男!と思った。

「ごめん、産もう!ぼく、小説辞めて全ての時間働いて生活できるように頑張るから!」

しかし、彼女は、「いいの、私、帰る。北海道の実家・・あなたは、夢を追いかけて!、子供は私が育てます!」と言い切る。

・・・

言い返せないまま、1週間が経ってしまった。「ダメだ、このままではダメだ。彼女一人に押しつけちゃダメだ!ぼくの子供!」頭の中のもう一人のぼくが、起きていても寝ていても、叫び続ける。

連絡がつかなくなった。彼女の家へ行くと、もう、引っ越した後でぼくは呆然とした。なんて事したんだぼくは・・・。

実家の住所も電話も知らなかった。彼女は電話に出ない。


錨岡さんに彼女の実家を聞いてみた。が、知らなかった。

覚悟して錨岡さんを呼び出してお金を借りた。返せる目処はなかったが、小説を辞めて彼女の所で働く決心をしたと伝えると「じゃあ、これ、長く一緒に仕事したから、自分からの餞別です」そう言って20万円の入った封筒を届けてくれた。「ありがとう・・」自然に涙が溢れ出して彼の手をギュッと握りしめて、「いつかわかんないけど、きっと返しに来るから・・」そう言って別れた。

最後に「ず〜と気になって・・・」と言うと「何でも言ってください」って、だから、「どうして、錨(いかり)が岡(おか)にあるんですかね?」いらない質問をした。錨岡さんは、暫く考えて「そうだね・・・変だね・・じゃ、お元気で」と言って後ろを向いて歩いて行った。「知るか!ばかっ!・・」と聞こえたような気がした。


先ず、電話帳や電話案内から彼女の名前を探そうとしたが、見当たらない。農業の組合などでは、個人の事は教えてくれなかった。

もう、北海道へ渡るしかない。と決心をして、アパートも引き払い、本は全部売った。数万円にしかならなかったが、電車代にはなった。

北海道に入ったのは11月。

寒かったが、お金が無いから野宿、コンビニや道の駅でご飯を買う、ヒッチハイクで移動、たまあに、風呂屋・・・函館から、適当に牧場に行っては話を聞いて回った。胆振地方に入るまで三ヶ月、年明け2月の厳冬期に着いた。手はひび割れ、髭は伸び放題、でもこの頃風呂は週一では入れた。この地域は牧場だらけだが変わった名前なのに知る人はいない。日高で牛の売買をしている会社がある事を聞きつけ、そこへ向かう。1週間歩き回ってようやくその会社を見つけた。玄関を開けて受付の女性に

「あの〜三流(みる)という牧場を探しているのですが?」女性は不思議な顔をして、後ろのおじさんに聞いている。

そのおじさんが「みる?なんて牧場は北海道じゃ聞いたことないぞっ!」って言う。「いや〜実家北海道って言ってたので・・売れない女性の作家がそう言う名前で・・・」

ぼくは、もう、ダメかと思い始めていた。

「もしかしてよっ!牛でねくて、馬じゃねえの?」っておじさん。ぼくは、牧場と言ったら牛しか思い浮かばなかった・・・返事ができないほどの衝撃・・・一から探し直しか・・・

そしたらおじさんが、「そうだ!名前、違うんじゃないか?・・・みるって、みっつのながれって書くんだべ?」

「はい、そうです、さんりゅうって書くんです」

そしたらおじさん「合ってるかどうかわかんねえが、ながれって牧場あるぞ・・そこんとこの娘・・さくこ?、、だか、さき?だかって言って親と喧嘩して東京だかどこだかへ、家出同然に出て行ったよ〜・・そこじゃないか?行ってみれ・・」

「はあ〜どこにあるんですか?」

「日高の山ん中だ・・あんた歩きか?」

「はい、そうです・・でも、何日かかっても行ってみます」

「ん〜しょうがねえ、あんた、頭から足先までボロボロで苦労して探してるようだから、俺連れて行ってやる!そこのトラックさ乗れっ!」

ぼくは、違うような気もしたが、じっとしていてもどうにもならないので「すみません!どうしても行かなくちゃいけないもんで・・お願いします」と頭を下げた。

「まあ、なんか事情はあるんだろうけど・・まあ、頑張ってな・・じゃあ行くぞ」

・・・

3時間程で、入口に『流牧場』と書いた看板を見つけた。奥へ入ると、玄関に男の人の仕事をしてる姿が見える。

「お〜流のおっちゃん!」

「お〜どした?熊さん」

「いや〜この人、みるさきこって女の人探してるって言うもんだから、ここのさっちゃんじゃ無いかとおもってよお〜」

ぼくも挨拶「こんにちわ・・山形っていいます。こちらに、みるさきこってペンネームで小説書いてた女流の作家さんいませんか?」

この家のおじさんの顔色が変わる。

「お前かっ!咲子孕ましたの!」

いきなり殴られる。

鼻血が垂れるが、「いるんですね・・・合わせてください!」

「ばかやろっ!」ってまた殴られる。騒ぎを聞きつけ中から、母親らしき女性と、咲子が出てくる。

「咲子っ!」叫んで、駆け寄ろうとすると

「くんなっ!」っとまた殴られる。

それでも「ごめん!咲子!ぼく、小説やめてここに来たんだ!ここで働くっ!」ぼくは力一杯叫ぶ。

「おめえになんか咲子はやらんっ!」ってまた殴られる。

そこで連れてきてくれたおじさんが「おい、あんた、ここは一旦家へ来い・・少し冷静になってもらおう・・なっ!」

ぼくも殴られるのは嫌だし、取り敢えず居所は分かったから、お父さんに一礼して「すみません、何の関係も無いのに・・」とおじさんに言って、逃げるようにその場を離れた。

「これも、何かの縁だ・・はははっ」


そこから、3軒隣の熊木牧場という所へ連れて行かれた。「ここ、俺の実家だから・・」そう言って泊めてくれた。


歩いても1時間もあれば行けそうな距離なので、お礼を言って休ませてもらった。

翌日、朝ご飯まで頂いて出ていこうとしたら、「おい、今日も殴られたら、ここへ来いっ!・・泊めてやる」言われ、親切に涙が滲む。

「すみません、何から何まで・・」

咲子の家に着いたのは10時過ぎた。

玄関前には誰もいない。

「ごめん下さい!山形と言います・・咲子さん居ますか?」

お母さんが顔を出してくれた。

「いらっしゃい・・こっちへ」

そう言って、家の裏へ案内される。

裏にも、住宅がある。玄関を開けて。

「どうぞ」

進められるままに中へ。茶の間で咲子がお腹を大きくして暖をとっていた。お母さんは母屋へ戻って行った。

「咲子・・ゴメン・・ぼく、言われて直ぐ何も言えなくって・・ゴメン」

咲子は微笑んでいる。

「よく辿り着けたわねえ・・私、ペンネームだって言った事無かったのに・・」

「あの、熊木さんっておじさんが、三流(みる)じゃなくって流(ながれ)じゃないかって言ってくれた。」

「あ〜そっか・・・でも、良いのよ、私の子は私育てるから・・」そう言いながらも顔は暗い。

「ぼく、全部辞めてきた。アパートも引き払ってきた。もう、いる場所はここしか無い。牧場の手伝いしてお前の面倒はぼくがみる!もう、どこへも行かない。決めたんだ!」

咲子はしゃくり上げて泣いている。「いいの?・・そんなに甘く無いわよ、牧場って〜」

「どんなに大変でも、ぼくは咲子と子供のために働くっ!」

そこへ、お父さんが乱入して来た。

「おめえ、誰が入って良いって言った!・・出て行けっ!」と叫ぶが、それより殴られる方が早かった気がする。

そして、襟を掴まれ外へ引きずり出され、「くんなっ!って言っただろうがっ!」と殴られた。お父さんに蹴られながら牧場を後にした。

次の日、「こんにちわ〜」と玄関を入ろうとした所で無言で殴られ、敷地の外へ蹴飛ばされた。

次の日も、その次の日も、・・・

ひと月近く殴られに通った。毎日2時間往復歩き続けた。

38歳を過ぎた5月29日お昼過ぎ、「こんにちわ〜」と言いながら身構えたが、出て来たのは、お母さんと引き摺られてお父さん。そして、いきなりお母さんがお父さんを殴った。

「ひゃ〜・・分かったから〜もう、殴らないから・・」お父さんがお母さんに平謝り・・・。

そして、お母さんが、ぼくの方を向いて

「山形さんっ!あなた、遊びに来たの?それとも、咲子と子供を連れにきたの?、それとも、ここで、咲子と子供を育てるの?どうなのっ!」

お母さんの眼力は凄い・・ぼくは、たじたじとしつつも「は、はいっ!ここで一緒に暮らします!」と死ぬ覚悟で言った。

お母さんは、少し微笑み「そお、じゃ、明日から朝は4時起きよ良いわねっ!・・お父さん!良いわねっ!もう、殴ったらただじゃおかないからねっ!」そう言って、2人を睨みつけ、咲子には「咲子!良かったね・・裏の家に連れて行きなさい」と、それだけ言って出て家の中へ戻って行った。

お父さんは「そう言う事だから、明日からバンバン仕事するからな!覚悟しとけっ!」

そう強がりを言って戻った。

ぼくは咲子を抱きしめて泣いた。言葉が出なかった。咲子は「ありがとう・・」だけ言って啜り泣いていた。

ぼくの顔は、あざだらけ、身体中痛い。


それから、地獄の日々が続いた。1年365日休み無しだ。お母さんの言う通り、生半可な覚悟ではできない仕事だと思った。

が、ぼくは生まれて初めて根性で働き続けた。

6月、出産予定日の1週間前から苫小牧の病院に入院した。車でも2時間以上もかかるから万一にそなえてだ。

予定日を過ぎた次の日いよいよ陣痛が始まったらしく家に電話が入った。お母さんが、行きなさいって言うが、牛がいるからというと、お父さんが走ってきて「こらあ〜行けーっ!殴られたいのかあ」って脅され「じゃあ、牛の世話お願いします・・」そう言って、トラックを運転して駆けつけた。まだ、生まれていなかった。もう5時間もたっている。出産について何も知らないぼくは、看護師にどうして生まれないの?何か問題あるの?って聞いたら、笑われた。「10時間や20時間なんて当たり前よっ・・そんな事も知らないなんて、じゃ、旦那さんどれだけ大変な事が起きてるのか、旦那さん!立ち会いなさい!」って、半分強制的に分娩室へ。入ると、咲子は「痛〜い!・・わ〜あなた〜助けて〜」とか、「死ぬ〜」とか「殺せ〜」とか叫び続けている。ぼくはどうして良いのか分からない。「咲子!頑張れっ!」って言ったら、「あなた!代わって〜」って。そう言われても・・・看護師さんたちは笑ってる。

その状態が17時間も続いてから、「オギャー」っと雄叫び。出てくる瞬間も咲子が手をがっちり握って離さないので一部始終を目撃することに・・・思わず咲子に「よ〜く頑張ったな〜お疲れだな〜ゴメンな〜ぼくのせいで・・・」何故か涙がこれまでに経験したことないくらい溢れ続ける。

はあはあ息しながら「ふふふ、なに馬鹿なこと言ってんのよ!逆立ちしたって、あなたに子供は産めないのよっ!」って咲子。

・・・立ち会って良かった。知らなかった。産むのがこんなに大変だと言う事、大事にしなきゃ・・そういう思いが以前とは全く違う・・・

子供は、沙耶香と名付けられた。


毎日、重労働に疲れ切っていた。そんなぼくの夢の中では遺伝子学の生物生理学賞なるものを貰っている。そして、咲子に「やったあ〜生物生理学賞もらったあ〜」と大喜びで伝えると。

「起きなさ〜い!」って朝の4時半に起こされる。

「は〜い」って身体に鞭打ち牛の乳搾りに励む。

そんな時、ふと思う。色んな夢を見てきたけど夢の中でしか叶った事はない。限りなく繰り返した挫折も・・この、大好きな嫁さんに、可愛い子供、〜すごく幸せ感じる〜 此処へ辿り着くための道すがら、ぼくに必要な経験だったんじゃないかなあ・・・


な〜んちゃってな・・って、一人ほくそ笑む。





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色とりどりの夢 闇の烏龍茶 @sino19530509

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