幕間のタコさんおにぎりと、

結咲こはる

 「瀬尾さん11時にご予約されていた間宮様、お仕事の都合で時間変更のご連絡がありました」


 レセプションの甲斐さんに声をかけられた。11時の予約の間宮さんは同世代の女性だ。仕事熱心で、いつも気を張ってて。たぶん職場では頼られるような女性。そんな間宮さんだから、きっと今日も職場で大いに活躍されているのだろう。

 そんなことを瞬時に考えて、にこやかに返事をした。


 「はーい。了解です」


 この美容室で勤務を初めて早2年(美容師歴は12年)。固定のお客様にも恵まれて、穏やかに仕事ができる日々に、感謝を覚える。以前の職場ではとにかく人数を捌かないといけない激務で、深夜過ぎの帰宅なんてザラ。若いうちはとにかく経験が大事だ、という先輩の教えの元になるがままがむしゃらに働いていた。それこそ感謝なんてものを考えた試しもなかった。

この前の休日に久しぶりに会った美容専門学校の同期に「瀬尾、お前笑えたんだな」なんて軽口を叩きつつ身を案じていてくれたくらい、身体的にも精神的にもひどい状態だった。家の事すらできないし、なんなら仕事以外何もしたいと思わなかったし、したくなかった(いやできるなら仕事もしたくなかった)。

それが今では平和ボケしてしまいそうなほど。美容師なんて時間に不規則とされる職種であるわりに、依然と比べたら俄然生活リズムも安定している。昼食をとる時間はともかくだいたいは定時で帰れるし、予約の受付だって現実的な範囲までしか今の職場は受けない。そのおかげか、好きだった読書やDVD鑑賞など趣味に時間を費やせるようになった。たまに仕事帰りにそのまま新作の映画を観て帰ったり。

私生活が充足し始めたおかげもあって、好きな作品の話なんかがお客様との間で話題として上がるとのめり込むように話ができる。それがまた功を制したのか、「話が分かってもらえて心地いい」「共感してもらえたことがとにかく嬉しかった」「こんなわたしでも本当に楽しそうに接してくれる」などのコメントが店の口コミとして寄せられ、今では自然と新規のお客様が増えていく傾向にある。本当に、今はすべてが良い方にことが流れていて、多分自分としてもお客様としてもベストな状態であると思う。それもこれも、今の勤務先となったこの美容室のオーナーのおかげだ。


『プライベートをないがしろにした奴に、ゲストのプライベートを手伝う資格はない』


面接後の採用場面で言い放ったあのオーナーのセリフには、ずいぶんしびれた。


お客様によるキャンセルがでたおかげで、いつもより早く休憩がとれることになった。束の間ではあるが、幕間を裏の控室で過ごそうと戸をノックして中へ入ると、1つ年下の後輩、佐藤さんが昼食をとっていた。まさに今、両手を合わせていただきます!と声をあげていたところだ。


「あ、瀬尾さんお疲れ様です!」

「お疲れ様。今日は予約マックスで入ってて大変だね。大丈夫?」

「大丈夫です!それにここ、マックスと言っても4人までなんで以前に比べたら全然」

「そうだよね、わかるよ」


 佐藤さんの前職場もなかなかに厳しかったらしい話は、ここに着任することになったときに話をした。ここでは担当の美容師がひとりのお客様に対してすべての作業を担うけれど、おおよそそういう人数を捌くような場所では、お客様の髪を触る美容師はころころと変わる。それはもちろんお客様にとっても苦痛ではあるだろうが、美容師側としてもなかなかにしんどい。誰もが同じ価値観で動いていない上に(まあそれはどこの職場でもそうだろうけど)、誰がどこまでの作業を終えてくれているのか、明確にわからない点が本当に困る。真面目で正直な奴らは、みんなこの段階で辞めていった。こんなのゲストに失礼だとか、自分の生活を犠牲にするのは違うだとか。まあ言い分はごもっともだ。俺も本当にそう思った。下働きの頃からずっと、俺はその無駄を、苦行をどうにかできないものかとずっと考えていた。でもそれはもちろん、この業界に入ったばかりの若造が指摘できる問題じゃなかったから、誰に言うこともなかった。それこそ真面目の肩書をまわりから貼り付けられているけれど、根がわりとお気楽主義。だからなんだかんだ、この美容師という職を離れずに今もやっているんだと思う。


 「それに明日オフなんで、近くのサロン勤めの友だちのうちでお泊り会しようって話になってて」

「へえ~」


にいっと無邪気に笑う佐藤さん。なんだか青春だねえ。若いな。なんて思う自分と、実際そう年がそう変わらないのを思い出して、思わず肩を竦めた。自分で自分の首を絞めて笑ってしまう。


「そういえば瀬尾さん、綾辻さんの新作読みました?」

「あ、今読み途中なんだ。ネタバレなしでよろしく」

「意外!まだ読み終えてないんですか?」

「姉ちゃんとその子どもが泊まりに来ててさ。一緒にDVD観てたんだよね」

 「そうだったんですね!」


 佐藤さんは自分の身に置き換えたのか、まるで姉ちゃんが子どもに向けるような優しい目をした。佐藤さんに子どもが生まれたら、やっぱりその目で子どもをかわいがるのだろう。俺は思わず口元がゆるんだ。

こういう、母性というのか。惜しみない、見返りの求めないような純粋な愛情を称えるひとを見ると、なんだかあたたかい気持ちになる。

 ロッカーに入れておいたバッグを開いて、中から冷たい緑茶の入った水筒とおにぎりを二つ取り出し、佐藤さんの前の空いた椅子に「相席失礼」と座った。そのおにぎりに注がれる佐藤さんの視線を感じて、居た堪れなくなった俺は先手を打つ。


 「……あんま見ないでよ」

 「いや……あまりにも個性的なおにぎりだなって思いまして。すいません」

 「謝られるとかえってしんどい」


 笑いを堪える佐藤さんと視線が交わるのが気まずくて、俺はおにぎりを手に取りそのラップを剥がす。いびつな形のおにぎりのてっぺんに生えたウインナーのタコ足。梅干しも昆布も鮭もなくて、でも何も具がないのは寂しいからと冷蔵庫の中にあったタコさんウインナーを入れてみた。姉ちゃんが昨夜、うちで作ってくれたおかずの残りだ。姉ちゃんの子どもはこの皮なしのタコさんウインナーに今すごくハマっているらしい。

個人的には良いと思ったけれど、やはり人前で食べるのは勇気が必要だった。やっぱりちょっと恥ずかしい。恥を忍んで、颯爽とそのタコさんウインナーを食べた。証拠隠滅。ぱくり。残ったのはただの白米のおにぎり。塩結びにもしていないから、なんとも味気ないものになってしまった。せめて海苔でもまいてくればよかった。


 「ああ、タコさんが」

 「……笑ったくせに」

 「や、いい意味で笑ったんです!」

 「どんないい意味だよ」


 右手に持っていた割り箸を置いて左手で口元を隠した。口内に残っている煮物を飲み下そうとしているので、邪魔をするまいと俺は口を噤んだ。それを察した佐藤さんは、右手ですいません、とジェスチャーをし急ぎ飲み込んだ。そして咽ている。焦らなくてもいいのに。そうあえて口にしないのは、それなりに親しいがゆえのちょっとしたいたずら心だ。


 「わたしなんて見て下さいよ!コンビニ弁当ですよ!」


 開口一番、自分をディスるので思わず目を大きくする。ほぼ同時に吹き出してしまった。あぶない、米粒は飛んでいないだろうか。内心焦りながらテーブルの上を見渡した。米粒が飛んだ形跡が見当たらないことに安堵する。


 「ちゃんとしたごはんが食べたくて、ふと幕の内弁当が浮かんだんですよね。そしたらすごい食べたくなって、コンビニ2軒はしごしたんです。でも瀬尾さんのタコさんおにぎりを見て、ちゃんとしたごはんって、そういうもののことだなって思って」


佐藤さんは手元にある食べかけのお弁当を見下ろしたので、一緒になって視線を注ぐ。佐藤さんは会話をしながら食べ進めるのが本当に上手だ。もうほとんど食べられてなくなっている幕の内弁当は、残るは黒ゴマがふりかけられた白米のみ。

まあこんな仕事をしていると早く食べるクセがつくのは至極当然のこと。なんなら片手間に食べにくいこの幕の内弁当を選ぶ時点で、早くさくっと食べ終えられる自信がなければまず買ってはこない。佐藤さんは続けた。


 「やっぱり味付けが単調で、味気ないんですよね、コンビニ弁当って。わたしも次は瀬尾さん考案のタコさんおにぎりにしようっと」

 「いや、そこは別に普通のおにぎりでもいんじゃない?」

 「いやいや。そうじゃないんです。そのタコさんウインナーがおにぎりの具だっていうところがいっちばん重要です」


 びしっと指先を突き立てて佐藤さんは熱弁する。


 「だってこれ、昨日の夜ねえちゃんが作ったやつの残りだよ?」


 たまたま冷蔵庫の中に残り物としてあったから。それをおにぎりの具にしてもいいんじゃないかって思ったから。本当にそれだけの理由。もし冷蔵庫の中に残っていなかったら、俺はべつにわざわざタコさんウインナーを作っておにぎりの具にしようなんて思わなかった。

 佐藤さんは、「そこです」と語彙強く言い放つ。


 「たまたまあったもの。そこです。べつに私もタコさんウインナーを必ずしもおにぎりの具にしたい!って言ってるんじゃないんです。いや?ちょっと食べてみたいから作りますけどね?たぶん。いや、ぜったい」

 「どっちだよ」


 佐藤さんの曖昧な絶対という言葉に思わず吹き出すように笑ってしまった。


 「つくるためにつくるんじゃない。なんていうか……こう、肩肘張んないで、無理しないでできるものをつくるっていうところが、大事なんだなって」

 「ああ、……なるほど」


 佐藤さんの言葉を聞いて、残りのおにぎりを口に含み咀嚼する。そこで気付いた。そもそもこうして手作りの昼食を食べるようになったのは、この職場に着任して働いてからだった。ときどき訪れる姉ちゃんと子どもと過ごす時間がわりと俺はすきで、なんならその甥っ子のためになにかしら買ってやりたいとか思い始めたこと。仕事がうまくまわるようになってから増えた趣味である読書やDVDの購入、レンタルに費やす予算の確保だったり。

 そういう、自分の中での大事にしたい優先順位みたいなものがちゃんとできてから、確かに中間食はあっても、とくに外食は大きく減ったかもしれない。付き合いでいくことはあっても、ひとりで行った外食なんていつが最後だったか。その分、外で食べる食事の価値観というのか……満足度は格段に上がった。

 あるものでなんとかしよう、という思考のクセが生まれているように感じる。

 ちゃんとしたごはん。それは本当に敷居が高かった。高く感じていた。一から作るなんて、それも仕事の時間に合わせて仕込んだりなんだりするなんてやってられない。なら仕事が休みの日なら?いやいや、休みならなおさら何もしたくはない。そうかつての俺は思っていたはずなのに。人間というのはこんなに変われるのだと思うと、なんだか不思議な気分だ。でも悪い気分じゃない。むしろなんだか気持ちが開けたような、明るくて身がかるい。はじめて一人暮らしをはじめるのに借りた、なんにもない、まだ俺に染まり切っていないアパートの部屋みたいな気分だった。今ようやく、俺が俺らしく染まったんじゃないかって思えるような。


 「瀬尾さん……なんかすごーい良い旦那さんになりそうですね」


 突然かけられた佐藤さんの言葉に、ほんのすこしの淡いピンクが混じっていたような気がしたのは気のせいだろうか。それとも話の内容がそういったものだったからか。判断もつきかねる前に、思わず否定してしまう自分がいる。まあ、でも。


 「いつかこういうごはんでも美味しいって、いっしょに食べられるひとに会えたら幸せかもね」


 思わず頬が熱くなる。でも本心だ。どんなに仕事に不満を抱えても、私生活ボロボロになろうとも、なにもやりたくなくなっても。それでもずっとひとりでやってこれたから、ずっとひとりでいいと思ってたけど。こんな話を佐藤さんとしていて思った。

 ひとりでいられることはもう十分わかったから、そろそろ誰かといっしょに過ごすことを考えても良いのかもしれない、と。


 「!り、立候補してもいいですか!?」


 ガタッと席を立ちあがった佐藤さんが片手をまっすぐに伸ばして俺を見下ろした。その顔があんまりにも真っ赤で、本当に熟れたトマトみたいだったから思わずまた笑ってしまった。

 佐藤さんの、この堂々と自分の情けないところも真っ直ぐな気持ちもなんでも恥ずかしがらず表に出せるところは、本当に素敵だと思う。


幕間の食事は、もうひとりじゃなくてもいいし、立派な幕の内弁当でなくてもいいのかもしれない。

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