chapter3:蜂雀と七星

3-0

『――あんだけ大見栄切って、安牌あんぱいな役取るあたり、さすがひよっこね』


(すでにムカつくなぁ……)


 アゲハを蔑むナナホシの声が、すぐ耳元で聞こえてくる。アゲハは軒下で嫌味を延々と聞かされながら、二人が入って行った玄関を見つめながら待った。

 ヤママユは見るからに堅気の人間では無さそうな風貌をしている、三十代くらいの男だった。


『まぁでも、同い年の女として同情するわ。けど、心配しないで。今回の仕事は失敗ありきでシフト組んでるから。何かあったら外にいる兄さんに泣きつくといいわよ』


 アゲハはそれを聞いて、ああやっぱり……と思った。ホウジャクの性格や雰囲気は彼女とは全く違う。だが、目元がそっくりだったからだ。

 それにしても、揺ぎ無い味方が一人でもお互いにいることが、アゲハは心底羨ましかった。

 アゲハは頭の中で五分数えると、忍び足で玄関に向かった。

 

『まず、廊下のコンセントに盗聴器設置して』


 ナナホシの指示通り、アゲハはメス刃を使ってカバーを外して超小型の盗聴器を設置した。


『使えるか確認するから待って』


 数十秒の間だったが、アゲハは心臓が脈打つ音が聞こえるほど心細かった。『いいよ』とナナホシの声が聞こえた時、ふぅと息を吐いた。知らぬ間に息を止めていたらしい。

 それから、アゲハは指示通りに部屋を回って三つの盗聴器と二つのカメラを付けた。


(終わったぁー……)


 任務が完了し、後は外に出てホウジャクと合流するだけだった。

 だが、アゲハはここで居間に敷いてあるラグの下のに躓き、転びそうになった。


(いったぁ!!)


 寸でで叫び声と転倒を回避すると、後ろを振り返る。やはりラグの盛り上がりがある。アゲハは近づいて、ムカつく元凶を見てやろうとひっぺがえした。

 すると、出てきたのは取っ手だった。地下に保存庫でもあるのだろうか。そして、何よりも気になったのは赤黒い血痕だった。乱雑に拭いた跡があるが、ラグはちょうどそれを隠すかのように敷かれているのだ。

 アゲハは取っ手を引き、入り口を開けた。人一人分の入り口に、建物ワンフロア分の高さ、中は真っ暗である。

 ヒンヤリとした風に乗ってツンとホルムアルデヒドのような臭いがする。そして、強烈な血の匂いだ。

 アゲハは急いで梯子はしごを伝って下に降りる。真っ暗で何も見えない。死体でもあるのではないかと思うと、背筋が寒くなった。


『さっきから何してんの? 早く出なさいよ』


 ナナホシの声を無視し、アゲハは目を凝らした。壁一面に何か貼ってある。

 暗闇に目が慣れたとき、アゲハは一面に張られた写真は全部死体であることに気付き、息を飲んだ。一面真っ赤な死体、裸体の死体、男の死体だった。

 ギョッとして一歩後ずさると、ヒヤリと何かが体に当たった。人だ、人が立っている。

 はっと息を呑んだ声がナナホシにも届いたのだろう。『なに!? 大丈夫なの!?』とナナホシがヒステリックな声を上げた。しかし、半狂乱のアゲハの耳には入ってこない。

 だが、ソレは微動だにしない。そこでようやく、人ではなかったことに気付き、アゲハは徐々に落ち着きを取り戻していった。

 正確には像のようなもの、銅像の様な……。そう思って、よくよく見ると、アゲハは再び叫びだしそうになった。

 ソレは殴打痕のような、内出血の痕が全身にあった。さらに、乾いた血痕もある。違う、これは人工物じゃない。アゲハは全身の毛がよだつのを感じた。

 銅像だと思っていたソレは、成人男性の剥製だったのである。


(ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい……!)


 アゲハは心の中で叫び散らかす。寒いのにバンバンと汗が出る。


(今度こそジガバチが死んじゃう)


 これは、嗜虐的性向どころの話ではない、ヤママユは殺人嗜好症の同性愛者ホモセクシャルだったのだ。

 

『じゃあ、お前がやるか? ヤママユは両性愛者だそうだ。別にお前でもいい』


 そう言ったハイエナの言葉を思い出す。あの時感じた、は嘘をついているものだったのだ。これは試されているのではない。アゲハの尻拭い、いわばジガバチの死刑宣告だった。


「やり残したことを思い出したから、切るね」


 そのことに気付いたアゲハは、腹を据えた。自分が助けるしかなかった。


(待ちなさいアゲハ! 今が頃合いでしょ!)


 しかし、自分の中の危険形質の遺伝子そう叫んでいる気がする。

 何をしているんだろう、甘さを捨てる、そう決めたのに……。ヒイラギの手紙を読んで、腹を括ったのに……。


『は? ちょっと待ちなさいよ、やり残したことって――』


 葛藤の中、アゲハは無線の電源を切った。そして、ナナホシの焦燥した声を締め出したのだった。



「三秒でイカせてやるよ……!」


 ジガバチは顎を引くと、挑発的な目線で下から睨んだ。ヤママユは銀色の歯並びをぎらつかせて、けらけらと笑った。


「その強気加減いいねえ。最高に俺の嗜虐心しぎゃくしんがそそられる」


 そう言うと、ヤママユは正面からジガバチを一発殴りつけると、嬉々とした表情で犯した。

 ジガバチは持ち前の勝ち気でヤママユを煽ったものの、内心は今度こそ死ぬかもしれない、と思った。

 手錠で両手は頭上のベッドに固定されている。さらに、嗜虐的なサディストは殴るけるの暴行に加えて、先ほどから、何度も縫ってある傷を抉ってきた。おかげで血塗れである。

 そしてついに、ヤママユはその殺人的な欲望の頭角を現した。ジガバチを犯しながら、その脇腹をナイフで刺したのである。

 本当は痛みに叫び出したいところだったが、悦ばせたくない一心でそれを飲み込む。こういう相手は、けば哭くほど喜ぶのだ。

 アゲハは気付いているだろうか、いや、気付いても助けには来ないだろう。誰の助けも望めない状況に、ジガバチは死を直感した。自分で打破するしかない、と思い、恍惚とした表情のヤママユに顔面に蹴りを入れる。そして、目いっぱい暴れた。


「なかなか、薬効かないな」


 涼しい声でそう言うと、ヤママユは何度目かの薬を打った。

 しばらくすると、頭がぼーっとして、夢の中にいるような感覚に陥る。そして、再び傷を抉られると、一瞬だけ頭の霧がパーッと晴れる。

 この瞬間、嫌な思い出が蘇る。思い出したくもない、母との生活を……。



 ジガバチの母オオゼリは、彼が物心ついた頃にはすでに壊れていた。


「今日は、この薬」


 そう言って微笑むと、肘関節あたりにある肘窩に注射を打つ。静脈注射である。

 何度も何度も刺され、よく使う前腕の肘窩ちゅうかには、穿刺痕がこびり付いていた。


「お利口さん」


 ボーっとする中、母に抱かれる。キスをされ、舌を絡められる。何も感じない、何をしているのかわからない。されるがままに押し倒される。身を委ねる。天井をぼーっと見つめながら、終わるのを待つのだ。


「……パキラ」


 息子を抱きながら呼ぶのは、違う男の名前だ。決まってこの名前で呼ぶのである。

 この一連の流れが終わっても、頭のモヤモヤは晴れない。まるで霞が、目の前に見えるようだった。ぼんやりする頭で、自分の手首に傷を入れてみる。すると、ズキズキとする痛みと、目をはるような赤い血で、頭の霧がパーッと晴れるのだ。

 この瞬間だけ、生きている感じがする。痛みが心地よく、そして血の色に高揚した。



 夢現ゆめうつつの中で、霞掛かった目の前が晴れていく。

 その時、ヒュッと言う微かな風を切る音と共に、ガクッとヤママユが脱力した。吹き矢の矢羽だ、そう気付いたと同時に「ジガバチ!」と、自分の名を呼ぶ声がした。


「手錠の鍵ってどこですか!?」


 アゲハだった。夢の続きか? と一瞬目を疑ったが、彼女は急いでこちらに駆け寄るとパンっと頬を叩く。「しっかりしてください!」と肩を揺らした。


「薬量が全然足りないんです。きっとすぐに起きます」


 焦っている声が頭上から降って来る。だが、何も考えられず、力が入らない。それどころか、何を言っているのか言葉の理解が出来なかった。

 その時、ヤママユはむくりと起き上がると、「邪魔すんなよ」と言ってアゲハを力いっぱい蹴り倒したのだった。



 恐れていたことが起きていた。おまけに想像を幾分か上回る状況だった。

 筋肉注射が可能なケタミンを用いたが、量があまりに少なすぎた。かき集めてこの一矢に賭けた。当てることが無事できたが、低用量では呼吸の停止どころか、抑制すらできないだろう。短時間眠らせることが出来れば上出来だ。

 さらにジガバチが呆けているのは計算外だった。薬を盛られることは予想していたが、相当投与されたのだろう。パッと見ただけで三本ほどの殻になった注射器が転がっているではないか。

 呼吸は正常だが、焦点が合っていない。流延りゅうぜん症状も出ている。


「薬量が全然足りないんです。きっとすぐに起きます」


 頬を叩いたりつねったりしても、全然だめだ。

 ヤママユにトドメを刺さなければ、そう思った瞬間だった。


「邪魔すんなよ!」


 ドスの利いた声が聞こえた瞬間、アゲハは鳩尾に一発、蹴りを食らう。大きく跳ね飛ばされ、受け身を取る暇もなく、床に叩きつけられた。

 痛みで息ができないほどなのに、頭が冴え渡っている。これは、ヒイラギと別れを遂げた、あの時の感覚に似ている。

 アゲハは地に両手をついて、起き上がると、飛び掛かった。袖に忍ばせていたメス刃で顎のすぐ下を切る。だが、すぐに躱され、刃は届かない。 


「何なんだぁ、てめーは!?」


 右頬を殴られて、大きくよろめく。口の中にジワリと血の味が広がる。

 その途端、右の胸のあたりにつんざくような痛みが走った。が来る! そう思った瞬間、アゲハは大きく左に避ける。間一髪、右の二の腕すれすれのところを、ヤママユのナイフが通り過ぎた。


「アゲハ!!」


 ジガバチの叫ぶ声と共に、ヤママユの右手からナイフが離れた。ジガバチは両腕を拘束されたまま、ヤママユの凶器を持っている右腕を鋭く蹴り飛ばしたのだ。


(躊躇したら、死ぬ!)


 死に物狂いの形相で持ち主を失ったナイフが空を切るのを掴んだ。そして、両手でしっかりと柄を握って襲い掛かった。ヤママユが両腕で掴み掛ったが、一瞬の迷いもなく刃を掌に突き刺す。刃を握り取られる前に、突き刺したナイフを引き抜く。

 ドロリと傷が血が流れ、人を切りつけたのだという事実を目の当たりにする。続いて、もう一方の二の腕を突き刺したが、今度はなかなか刃が抜けなかった。

 焦ったアゲハは、すかさず小分けした生理食塩水をヤママユの顔面にぶち込んだ。先ほどケタミンを希釈するために使ったものの残りである。もちろん生食は水同然の効力しかないが、この状況下である。


「てめぇ何ぶっかけやがった!!」


 そう、アゲハの予測通り何か分からない劇薬を掛けられたと思ったヤママユが両手で顔を覆った。そして必死に生食を拭おうとする。

 アゲハはその瞬間、最後に首元目掛けてメス刃を突き刺した。生温かい血がびしゃりと飛び散る。この光景は二回目だ。

 ヤママユの大きく見開かれた瞳から光が消え、崩れ落ちた。

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