2-3

 アゲハは邪念を振り払うように、地味な作業を延々と続けた。注射針の側面部分に穴をあける、というものである。

 針は一番太いゲージのものを使っているが、それでも細い。レーザーで開けるほか、ない。


――何なの、アイツ! ハイエナさんを手伝うとか何とか、いつ言ったってのよ!!


 アゲハは彼女の様子を思い出してため息をつく。

 そうは言っても、同時に自分の浅はかさを恥じた。というのも、自分はジガバチを見殺しにはできなかった過去があるからだ。もっぱら興味、そして利用価値があるという理由があったのはそうである。

 しかし、今は利害関係の一致で、首の皮一枚で繋がっているものの、いつ寝首を搔かれてもおかしくないのである。

 咄嗟の口から出たその場しのぎの見切り発車の数々。そのせいで、騙し騙しここまでずるずるとやってきてしまった。アゲハにとっては悔しいことに、ナナホシの言う通りの状況に現在進行形でなりつつあるのだ。どれも自分の甘さが生んだ事態だった。


――きっと、どこか、区切りのいいところであの人も……。


「何してんだよ」


 不意に声を掛けられ、心臓が口から飛び出そうになった。

 振り返ると、いつものようにニタニタしているジガバチが立っていた。


「私も護身用に武器が欲しいなあと思って。吹き矢でも始めようかと」


「はァ?」


 怪訝そうな顔でジガバチが聞き返す。


「拳銃や弓矢は熟練者になるまで時間が掛かります。加えて、私は触ったことすらない。それに対して吹き矢は、熟練度にあまり左右されることなく、吹き筒の長さによって高い命中度を出せます。弓矢より取り回しが良く、矢羽の風切り音も小さいです。毒薬を使えば生かすも殺すも自由にできますしね」


 アゲハはつらつらと話した。


「側面にも穴、開けんのか?」


「あぁ、それは――」


 アゲハはいったん作業をやめると、針を持ち、実際に動きを付けて説明した。


「この側面を針孔を閉じるように栓を通します。そして、矢を吹いて刺さると……、このように栓がズレて中の薬液が注入されるという仕組みですね」


「へェ。馬鹿かと思ったらそうでもねぇのな」


 ククッと笑うと、素直な感想を述べるジガバチの反応に、アゲハは目を伏せて口を一文字にした。



 生身の皮膚に刃物を刺した感覚、不気味に引き攣る体、銃弾を撃ち込まれた肉体の衝撃……。ハァハァ……と肩で息をする知らない男がアゲハの肩を鷲掴みにした。


「……うわぁ!」


 アゲハは悲鳴を上げて飛び起きた。慌てて夢だと気付き、口を押える。ベッドの下で爆睡しているジガバチを踏まないように避けながら、アゲハはベランダに出た。

 汗をびっちりと搔いて気持ち悪い。風に当たりたかったのだ。

 ベランダに立つと、まず空を見上げた。月と、星と、澄んだ空が悲しかった。

 

「眠れないのか?」


 背後でハイエナに声を掛けられ、慌てて目じりの涙を拭う。

 振り返ると、コクリと頷いた。


「あの日私が刺した保衛官は死んだんでしょうか……」


「だろうな」


 アゲハの隣に立つと、ハイエナは顔色一つ変えずに言った。


「私、人を殺したんですね」


「そうだ」


 ハイエナの淡々と語る真実に、思わず目を伏せた。あの人を傷つける感覚は、二度と忘れないだろうと思った。そして、もう前の自分には戻れないということを悟った。


「ハイエナさんが復讐をしようがしまいが、何人殺そうが、別に私は構わないんです。止もしないし、邪魔もしません。手伝えることがあれば手伝います。でも……、お母さんだけは……――」


「なるほど、それがお前の今の答えか」


 ハイエナは真っ赤な瞳でアゲハの目を覗き込み、言葉を遮った。


「ところで、だ。理想都市と呼ばれるアンティーターは、本当に人類の理想を具現化していると思うか?」


「……いいえ」


 少し考えてから、アゲハは答えた。


「本当にそうならば、廃都市なんて生まれません」


「そうだな」


「理想なんてものは人それぞれ違うと思うんです。平和に生きたい人がいる一方で、人を殺すことが好きな人だっていることを知りました。と一括りにしてしまうことがまずおかしいんです。人の思いまで、統一化することなんてできません」


「で、何が言いたい」


「人の言動を意のままに支配できても、人の心を完全に支配するなんて出来ない。だから理想都市は滅びたんじゃないかって」


 ハイエナの瞳の炎が揺れるのがわかった。

 一秒が嫌に長い。汗が引いて寒い。


「フッ……。なんだそれは」


 ハイエナが一笑すると、呆れたように言った。アゲハは肩透かしを食らったような気持ちになり、複雑な面持ちをした。

 そういうと人差し指で、オデコを突く。


「じゃあ、証明してみろ」


 突かれたところをさすっているアゲハを尻目に、ハイエナは挑発的な表情を浮かべたのだった。



 アゲハとジガバチにとって初仕事を迎える日の朝だった。ジガバチはいつにも増して、気が重かった。昨日の晩のことを思い出して、うんざりしたように目を閉じる。


「お前がやることはただ一つ。ターゲットのヤママユと寝ろ」


 夜の仕事に関する話だ。本当に、シンプルだった。その間に、アゲハが彼の家の至る所にカメラと盗聴器を仕掛ける、ということだった。だが、ジガバチの尊厳をまるで全拒否するような言葉に思わず舌打ちする。


『お前は何としてでも生き永らえなさい。人を騙し、殺してでも、臓物を売ってでも、体を売ってでも――』


 誰かの言葉が聞こえたような気がした。


「これを持っていろ」


 最後にそう言って、ハイエナは封筒を渡した。受け取ると、一回折りされた一枚の便箋が入っているのが分かった。

 封筒には【ひいらぎより、親愛なる揚羽あげはねえちゃんへ】と、丁寧な字で綴ってあった。


「アイツの、妹か?」


 妹が死んだ、という話を聞いていた彼は、遺言書であることを推測した。

 ハイエナは頷いた。「読んでも構わん」と、続けた。


「どーせありきたりな姉妹愛を謳う手紙だろ? 興味ないね」


「そう思うのか?」


 ジガバチはその態度に顔をしかめて、手紙を開いた。


「……お前、一体ナニモンなんだ? 何がしたい」


 手紙をざっと読み終えた彼は、訝し気な視線でハイエナに見上げた。


「さあな」


 ポーカーフェイスから、何か少しでも読み取ろうとじっと見たが、何も得ることはできなかったのだった。



「――で、これからの話だ。人選はある程度揃ったが、武器、その備品、お前たちの場合は薬物や設備も必要だろう。方法はシンプルだ。持っている奴らから奪う」


 その日の夜のこと。仄暗くなった廃都市、道中でハイエナが二人に言ったことを思い出す。

 一見作戦会議にもとれるこの風景は、そうではない。命令だった。


「ターゲットは、ここの廃都市を仕切る武装集団だ。喧嘩賭博、薬物取引、売春……、保衛官と癒着している奴らもいる。俺たちはこいつらをSWARM《スワーム》と呼んでいる。スワームの存在自体は確認できている。だが、分かっていないことも多い。スワームの総数、そしてその頭……。それどころか、何人規模なのかも明確ではない」


 ジガバチも別の廃都市で喧嘩賭博けんか売春うりで稼いでいた時期があった。そのため、スワームと言う存在があるという事実は知っていた。


「だがヤブイヌのところにホウジャクというやつがいるんだが、そいつがその尻尾を掴んだそうだ。そこで、お前たちにはそいつからより多くの情報を得るために仕事をしてもらう。

奴はヤママユと呼ばれているそうだ。売春の斡旋をやっていて、言わば、ここ一帯の売春業の元締めだ。奴自身も、毎晩のようにその商品を連れ込んでいるという話だ」


 そう言った。


「準備はいいかい?」


 迎えに来た、ホウジャクという青年が二人を交互に見ながら言った。ホウジャクは、真っ白な肌に体の線が細い中性的な風貌をしていた。虫も殺せなさそうなこの男を、一体だれが殺し家業をやっていると思うだろうか。

 そして、長い睫毛と色の薄い茶色の瞳をもつこの目元は既視感があった。


「ヤママユの部屋の間取りはさっき言った通り。僕たちが来るまで裏で隠れといて。仕掛ける場所とか、設置の仕方は無線でナナホシの指示を仰いでね」


 ナナホシの名が出た途端、分かりやすいほどアゲハの顔が曇った。


「もし、ジガバチで客引きできなかったらどうするんです?」


 アゲハは尋ねた。


「たぶんないと思うけど、そん時は僕がやるかなぁ」


 そういうと、華奢な体をすぼめた。アゲハの顔色があからさまに変わった。こんなに売春が日常茶飯事のことだったとは知らないのだろう。

 ジガバチは心の中で悪態をついた。喧嘩賭博と売春、どっちがいいかと聞かれたら喧嘩を選ぶ。弱い者に迎合し、支配され、尊厳を殺される行為が嫌で嫌で仕方なかったからだ。

 母親を殺してから先にやったのは売春だったが、体が大きく成長していくにつれて食べていけなくなった。それから喧嘩賭博を始めるようになったが、そちらの方が稼げたし、性に合っていた。


「じゃあ僕たちは、ヤママユのところへ行きましょう」


「……はい」


 ホウジャクに返事をした、アゲハをちらと見る。高そうな服、生きる苦労を知らない手先、艶のいい肌と髪、一目でここの住人ではなかったことがわかる。

 非力で弱いそんな少女にすら抗えない今の惨めな状況に、滾々こんこんとした苛立ちが募った。

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