2-2

 くたびれたソファに座った男は、オールバックに固めた髪を落ち着かない様子で撫でつける。このアウトロー映画の主人公も顔負けしそうな強面の男は、煙草に火をつけた。

 男を前にして、ハイエナはいつもの無表情顔で腕を組むと、壁にもたれる。


「あの子に何もしてないだろうな?」


「心配するな、逞しく生きている」


 澄ました表情で飄々と答えるハイエナに対し、「本当だろうな?」と凄む。人相の悪い目つきがさらに吊り上がった。

 男に対し、彼は臆するふうでもなく手で制すと、静かに言った。


「だがアイツはここで生きていくためには、少々甘すぎるな」


「当然だ……! ついこの間まで、あの子は何の不自由もなくアンティーターで暮らしていたんだぞ!? そして、本当なら、ずっとそのまま暮らすはずだったんだ 」


「だが、もうここでしか生きていけない。本人の為にも、ここで生きていくすべを、嫌でも叩き込むしかないだろう。そうじゃないか? ヤブイヌ」


 その言葉に、ヤブイヌ、と呼ばれた男は大きなため息をついた。煙草の煙がムッとハイエナの顔に掛かるが、眉一つ動かさない。


「……だからと言って、お前の無茶苦茶な復讐劇には絶対巻き込むんじゃあないぞ。死ぬなら一人で死ね。あの子はナナホシと顔合わせが終わったら、俺が引き取る。いいな?」


 まるで、ハイエナの思惑を少しでも掠め取ろうとするかのように、眼光は鋭いまま、彼は念を押す。

 しかし、そんなヤブイヌを一笑するように一瞬だけ冷たく笑うと「本人は、どう思うだろうな?」と返した。

 そんな彼の表情は見ず、前のめりになって灰皿に灰を落とす。苦虫を嚙み潰したように、


「いいか? 人はな、そうカンタンに意図通り動くものでもない。お前は手のひらで転がしているつもりかもしれんが、いずれ手に余るようになるぞ。あまり他人様を舐めるもんじゃあない」


「あぁ、そうだったな」


「……食えん奴め」


 ハイエナはここで壁から離れると、「ところで……」とヤブイヌの背後のデスクに目をやる。

 そして目を細めると、眉を顰めながら口を開いた。


「アゲハが来る前に、片づけた方がいいぞ」


 そう言って視線の先を指差した。ヤブイヌは「なに!?」と、先ほどのハードボイルドな雰囲気とは打って変わり、ひどく間抜けな声を出した。


「いつ!? ここにか!?」


 焦燥した様子で、ハイエナの方に前のめりになって問い詰める。

 だが、答える気のなさそうなハイエナに痺れを切らしたのか、答えを待たずに席を立つ。そして取りつかれたかのように、並べてある無数の写真たちを一枚一枚丁寧に片づけて行った。

 写真の被写体はその全てが、がアゲハだった。

 ベビーベッドで寝ているアゲハから、家の前で泣いている小さなアゲハ、そしてつい最近の下校中のアゲハまで……。

 その様子を見るふうでもなく、ハイエナは立ち去った。



「何なの!? アンタたちと馴れ合う気なんてさらさらない!」


 目の前のいかにも性格がきつそうな少女はヒステリック気味に怒鳴った。苛立たしげに眼鏡のズレを治す。眼鏡の奥のくりくりとした瞳が、神経質そうに細められる。


「えっ……?」


 予想外の反応だったのだろう、アゲハは言葉を失う。

 何せ、友好的な態度で「よろしく」と差し出した手を勢いよく払われた上、何の前置きもなく怒鳴りつけられたからである。彼女はアゲハと歳が同じくらいに見えたため、いい友達になれる、とでも思ったのかもしれない。


「また随分と威勢がいいメスだなア! 殺すか?」


 ここ二、三日の鬱憤がたまっていた。誰でもいいから、殺したくて仕方がなかった。

 キイキイ喚いていた少女は、ジガバチの言葉がハッタリではないことを感じたのだろう。ピタリと口を閉じた。その姿ににんまりとする。

 

「そっ、それはマズイですよ。さすがに冗談、ですよね……?」


 顔色を窺うように、二人の間に彼女が割って入った。


「そうよ。特に、私はハイエナさまのお気に入りなの」


 おろおろとするアゲハに向かって、少女はバッサリと言い捨てた。

 アゲハの表情がほんの一瞬ピクついたのをジガバチは見逃さなかった。


――掴み掛かるまで、一歩、二歩ってとこかァ? 


「そもそものはなし、アンタさ、まだ理想都市思想が抜けてないでしょ。そんな如何にも甘っちょろそうな人が、ハイエナさまの目的達成のために役立つなんて思えないんだけど。仲良しサークルか何かと勘違いしてないでしょうね?」


――おーっと、そいつァ図星だな。


 彼女の蔑むような視線の先に、アゲハが目を伏せている。


「いい?」


 腕を組みながら人差し指を突き出すと、まるで罪人を晒上げるかのように非難を続けた。


「アンタのミス、躊躇でアンタ自身だけじゃない、同胞が死ぬの。いい子ちゃんぶって、知らない人に媚びへつらって、仲間が死んじゃったら世話無いわよね。結局、役に立つどころか、ハイエナさまの足引っ張るだけなんだから、私らに関わんのはやめてって言ってんのよ」


 少女は指しだした人差し指を突きつけると、アゲハに食って掛かった。

 段々と、黙りこくっているアゲハに謎の苛立ちを覚えてくる。とっとと言い返せ、と言いたくなるのを堪え、ふと我に返る。

 すると、心の声が届いたかのように、俯いていたアゲハが絞り出すように何かを言うのが聞こえた。


「はぁ? 何? 聞こえないんだけど!」


「……よくわかった」


「何がよ?」


 なんと、机にバンと手を置き、アゲハはキッと睨み返したのだ。


「廃都市の民度が低いって事よ」


 ピキリと相手のこめかみに青筋が浮かぶのが、まるで聞こえてくるようだった。


「何ですって?」


「初対面の人に向かって挨拶できないどころか、感覚と思い込みで物を言うとこが、低劣って言ったの」


 アゲハが言い終わるか否かのタイミングで、その鼻っ柱強い少女はついには掴み掛かった。

 二人の姿を遠い目で見ながら、意外なアゲハの態度に内心は驚いていた。

 アンティーターの住民といえば、千万無量ともいえる文明の利器と大層な管理社会の中で茫然自失な生活をしているイメージが強かった。

 それに加えて、だ。


――アレの効力もまだ消えてねェだろ。


 ちょうどその時だった。怒鳴り声を聞いて駆け付けたのだろう、この家の主が慌ただしく部屋に飛び込んできた。


「な! ナナホシちゃん、何してるんだい!!」


 驚きの余り血相を変えた様子で、二人の間に割り込んでくる。さらに男のバンディット感も相俟って、修羅場の雰囲気が増す。

 いかにも裏社会で生きてきました、といった風貌の男だった。無精ひげにキッチリとワックスで七三分けにした髪型、目の堀が深く、歳が分かりづらい。なんともヤニ臭いというのが印象的だった。

 そして、この男こそがハイエナの雇い主であるヤブイヌである。

 彼はアゲハに振り下ろされる寸での拳を掴んで止めると、慌てて二人を引き離す。


「アンタなんか……、どーせ口だけよ」


 ナナホシという少女は捨て台詞を最後に吐くと、アゲハが反論する前に外に飛び出していった。


「えーっと……」


 気まずそうに男は頭を掻くと、おたおたとした様子で彼女の顔を覗き込む。

 そして思い切り作り笑いを浮かべると、こう続けた。 


「ナナホシちゃんとは仲良くなれそうかい? ……なーんちゃって。あはは……」



 ヤブイヌは気さくそうな口ぶりで、その後もアゲハに話し掛け続けた。

 「こっち来るとき大丈夫だった?」とか「廃都市の生活にはもう慣れた?」とか、そう言った類のものである。

 彼女は、「えぇ、まあ……」と適当に濁しながら、きょろきょろとあたりを見回した。彼女の興味はもっぱらこの部屋に移ってしまっていたのだ。

入った時にナナホシの座っていたデスクにはディスプレイ画面が四つほど置いてあり、その向こうには一昔前のスパコンが並んでいた。

 そして、とある機械に目が留まる。


「……あ、これ! 家でも同じ奴使ってました。K-09社の3Dプリンターですよね?」


 モノトーン調のボディを指先でなぞる。懐かしさがこみあげて来た。


「そうかいそうかい! 自由に使っていいよ」


 何かを心得たかのように、若干興奮気味のヤブイヌは、嬉しそうに手を叩いた。

 タバコのヤニの匂いで、思わずくしゃみをする。この臭いは何度嗅いでもなれなかった。自然にしようと思っていたが、バレていたのだろう。「すまんすまん」と彼は言うと、慌てて火を消した。


「プリンターだけじゃない、何でもいつでも、使っていいよ。アイツの家には何もなくて不便だろう? いつでもおいで。鍵、後で渡しとくから」


「ありがとうございます!」


 アゲハは頭を下げると、また、お目当てのものを見つけたようで、一直線に走って行った。

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