料亭の名前は「白砂」というらしい。ぼくはようやく知ることが出来た。潮間の中でも電鉄が通らない、山に近くて交通が不便な地域にそれはあった。当然スマートフォンには出てこない。葦山氏の自宅がすぐ近くにあることだけは確かだった。ちなみに、ぼくの家からもそこまで遠くはない。発電所からもそれほど遠くはなかった。逆にいえばそれだけひとが住んでいないところにあるということでもある。

 三島は見てわかるくらい緊張していて、見ているぼくもだんだん緊張してきた。葦山氏は仕事が長引いてしまい遅くなると女将さんから連絡があり、味噌汁とご飯と鯖の塩焼きの定食をぼくらはいただいていた。未だにこの料亭の仕組みがよくわからなかったけれど、不安はなかった。

「そういえば、彼らは予定が入ってしまって無理だったようです。すみません」

「気にしなくていいよ」

 「彼ら」とは、ぼくが呼びたいと思ったもうひとつのバンドのことだ。

「潮間が遠すぎて、次のハコに間に合わない、らしいです」

 三島はぎこちなくほほえんだ。そんなに悲痛な顔をしなくてもいいだろうと思ったけれど、逆に悲痛でない顔をされてもそれはそれで変だなと思い直した。きっとぼくは同じ状況になったときに無表情でいるし、相手に冷たい人間だ、とでも思われるかもしれない。それこそ、人間性の違いというやつだろう。

 あさりの味噌汁は貝殻がすべて取り除かれている。砂もなくて丁寧に作られていた。この前来たときにもたぶん飲んだはずだが、覚えがない。きっと緊張していたのだ。いや、もしかしたら飲み過ぎたせいで忘れてしまったのだろうか。まだ着慣れていないリクルートスーツのまま、三島はぎこちなく味噌汁を飲んでいる。いつのまにか鯖の骨がきれいによけられていた。ぼくの骨はばらばらのままだ。さすがに、言葉を発することが出来なかった。

「遅くなってしまったね」

 葦山氏が入ってきた。あれを頼むよ、と女将さんにひとこと告げると、三島をみて柔らかくほほえんだ。

「祥太くんじゃないか」

「お久しぶりです」

「お父さんには世話になったなあ」

「こちらこそ、その節はありがとうございました」

 三島は立ってお辞儀をした。携帯電話ショップの前で店番をする人型のロボットを思い出したけれど、かれの瞳はどうしようもなくひとのそれだなと同時に思った。

「お知り合いですか?」

「石本くん、このまちではみんなが『お知り合い』みたいなもんなんじゃ」

 とはいえかれは、とりわけ特別じゃが。

 葦山氏はそう付け加えたが、どう特別なのかまでは聞くことができなかった。

「かれを、出演者に加えたいと思います」

「なんと、君も音楽をやっていたのか」

「はい。ハヅキとバンドを組んでいます」

「ハヅキちゃんと? それは知らなかった。彼女は元気か?」

 どうやら「うしお」で働いていることを知らないらしい。三島はだまってうなずいた。ぼくはそれを言わないことにした。

 やがて女将さんがおすしの入った桶を運んできた。

「食べよう。絶品だぞ」

 この前、これを食べたような気もする。もっとも、味を覚えていないのではじめても同然だ。

「いただきます」

 ぼくらは声を揃えた。揃ったわけではなかった。おすしの味はやっぱりよくわからなかった。たしかにうまいはずなのに。

「どんな音楽か、聞いてもいいかの」

 ぼくは三島のほうを向いた。三島はうなずくと、スマートフォンから「アコヤガイ」の曲のPVを流し始めた。

 海の底、光のとどかない深海をイメージした、ライブで最初にやった曲だった。

「面白い曲じゃ。それに、聞いたことがない曲調じゃなあ」

「千歳でこういう曲をライブでやってるんです」

「かれらを、『シオマソニック』のトリにしたいと思うのです」

「ふむ……」

 葦山氏は少しうつむいて考えた。そしておちょこをなめるように日本酒を飲むと、顔を上げた。

「潮間というまちを象徴するような曲で、わたしもいいとはおもうのじゃが……他にも曲はあるのじゃな?」

「はい、何曲か」

「三曲、いや四曲くらいやることはできるかの」

 葦山氏の言いたいことはなんとなくわかった。これが最後の曲では、あまりにも重苦しすぎる余韻が残る。印象づけることはやぶさかではないけれど、イベント全体の流れを考えると、最後の最後にこれを演奏して欲しくはないだろう。

「もちろん。もっと明るめの曲もあります」

「そうじゃな。できれば、最後はもっと激しい曲の方が盛り上がるかもしれん」

 葦山氏は柄にもなくふわっとしたものの言い方をした。ぼくも似たようなことを考えていたせいかあまり気にはならなかった。

「わかりました。考えてみます」

 三島は大きくうなずいた。

「ワクは大丈夫でしょうか?」

 ぼくはついに気になっていたことを聞いた。結局、ぼくだけで集めることが出来たのはかれらだけだったからだ。

「うむ、仕方がない。ひとりひとりの持ち時間を少しのばすことで対応しようと思う。もう、待っているわけにもいかんからの」

 葦山氏はきわめて冷静にそう言った。一気に酒が回ってきたのか、ぼくの身体が急に熱くなった。とにかく、こうしてなんとか出演者たちを揃えることができたということで、ぼくと三島は顔を見合わせた。かれの神妙な表情が少し可笑しかった。

 「白砂」を出ると、目の前に黒塗りの車が二台止まっていた。

「わたしは前の方で帰るから、君たちは後ろの車で帰りなさい。家の場所は伝えてあるから心配しなくともよい」

 葦山氏はしっかりとした足で前の車に向かった。黒塗りの扉が開いて、後部座席に女のひとが座っているのがちらりと見えた。

 ぼくは目を疑った。

 扉が閉じて、葦山氏を乗せた車は走り去った。三島を見ると、二台めの車を見てぼんやりとしている。

「行こうか」

 ぼくは声をかけた。三島は黙って後部座席に座る。

「出ます」

 運転手が無愛想に言って車を滑るように走らせた。

 前の車にいたのは、市ノ瀬主任のように見えたけれど、もしかすると気のせいだったのかもしれない。もっとも、仮に気のせいではなくてほんとうに市ノ瀬主任だったとしても、なにもおかしなことはないしとがめることもないのだから、心に留めておく必要はないのだろう。

 宿舎の前に着いたので、ぼくは三島におやすみと言って車から降りた。三島はぼんやりと返事をした。扉はやっぱり無遠慮にしまって、車は滑るように遠ざかっていった。

 いつもなら途切れるはずの記憶が、その日に限っては布団で眠るまで残っていた。

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