5ー1

 市立図書館で潮間というまちについて調べると、むかしは相当にぎわっていたということがうかがえる。養殖真珠の産地だった頃に鉄道、すなわち現在のJR潮間線が開通したあたりが最盛期で、戦争でぼろぼろになった真珠産業が再興する前にひとびとは逆に鉄道に乗って千歳や東京に出ていってしまった。昭和の終わりごろに発電所を誘致した頃にはおそらくこのまちは何かをあきらめていたのだろうと思われる。真珠の養殖はアコヤガイに球体の核を入れ込んで、その上に貝が真珠となるもとをコーティングしていくという方法なのだが、このような背景で戦前の養殖真珠ブームが去ったあと大量に核が余り、海に廃棄されたのだという。どうやらその一部、もしくはほとんどがあの浜辺に流れ着いて、ああしたふしぎな光景になっているようだ。当初あの浜辺は「真珠が浜」と呼ばれ廃棄された核を有効活用しつつ海水浴場とする予定だったが、発電所が建って水質が変化したためその計画は取り消されたのだという。あの老警官が言っていたことと符合する。つまり、潮間というまちはかつては養殖真珠でにぎわっていたが、今となってはその核となる産業を失って、発電所から生み出される資源に頼っているようだった。

 カミサマみたいなもんなんじゃ。

 葦山氏の声が脳裏をよぎった。たしかに、今を生きる潮間の人間にとっては、あの発電所は神にも等しいほどの存在になり得るだろう。けれどそれは、まちとしてとても悲しいことでもあるような気がする。それはつまり、潮間というまちは発電所と一蓮托生となることを選んだということだ。決断をしたひとたちの諦めと覚悟が伝わってくるかのようで、図書館の資料を前にぼくは言葉を失った。

 しかしうってかわって、潮間発電所は関東電力のひとたちにとっては出先機関の中でも特殊な位置づけで、それこそ主任や葦山氏がぼくに語りかけたように「何らかのわけがあってそこに飛ばされる」ひとのための席しかなかった。ぼく自身、それを当たり前のことだと思いこんでいたが、よくよく考えれば失礼も失礼だし、れっきとした差別ないしは偏見以外の何物でもない。潮間のひとたちにとってこの発電所は押しつけられたものであるにせよ、大切にたいせつにされながら生活のなかに根付いてしまったものなのだ。いや、むしろ押しつけられ、そこに建てざるを得なかったからこそ、ある一定の距離をもってみんなに平等に接されているということなのだろう。葦山氏のいう「カミサマ」とはおそらくそういった雰囲気を端的に表した言葉なのかもしれない。

 保安検査を通り過ぎて執務室の机に座る。奥にいる若い嘱託職員と目があった。よくいえばやさしい、悪くいえばぼんやりした容貌だが、飢えた狼のようにぎらついた瞳をしていた。ほんの少しだけそれが気になって仕事がなかなか進まなかった。

 遠くに沈む夕日を見ながらぼくは潮間電鉄で駅まで向かった。

 原付を買った。

 ぼくはここまで、潮間駅周辺と会場付近である市役所と真珠養殖記念公園一帯、そして家の近所にあるあの浜辺くらいしか、潮間の風景を知らないことに気づいた。それがどうしようもなくもったいないような気がしたのだ。潮間は他の町村とは地理的に隔てられていてそれほど広くはない。けれど、この一帯は風が強いだけでなく、実は高低差も激しい。ぼくの家から浜辺までだってかなりの落差があるし、潮間電鉄が通っているところも、崖の高い方になっているところと低い方になっているところがあるように、列になって並んでいる小さな崖にまちが小分けにされているようなところなのだ。切り通しの急な坂が多いので、徒歩や自転車はあまり向かない。軽自動車も考えたが、中古ならともかく、新車を持つようなお金は入ってこないし、急で狭い道が多い関係上、自動車で行き来するのもなかなか大変なまちだった。ではこのまちのひとびとは何を使っているかというと、それらの崖が走っていない市役所周辺から放射状に伸びている道路を走る潮間電鉄バスか、「古き良き」潮間電鉄か、というところなのだがどちらもほどほどにしか利用されていない。残ったひとびとはバイクを利用していた。そのバイクも、巨大な外国産のものはほとんど見かけず、小型のスクーターか、郵便屋が乗るような原付ばかりで、バイクを多く見かけはするものの、やはり全体的に静かなまちであることには変わりがない。だから動き回るのには自転車か、原付がいいだろうと考えた。たまたまぼくは会社の都合で自動車運転免許を持っていたので、原付であれば乗れるし、自転車だと難しいような急な坂も楽にのぼれるし、思っていたより安く手に入りそうだったので、数日前に潮間電鉄に乗って潮間駅まで向かい、商業施設とは反対の改札口から歩いてすぐのところにあるバイク屋に向かったのだ。スマートフォンで検索をしたらそこがおそらく一番行きやすい場所にある店舗だった。反対側の商業施設にも施設を運営している大手小売店傘下のバイク店はあったが、それでは潮間で原付を買う意味がないような気がした。漠然と、そう思った。

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