3-2

 ぼくが関東電力などという、数年前の大震災でおきた送電線の大幅な損傷による長期間にわたる大規模停電によって多額の賠償金を支払っているような風評のよくない電力会社に就職したのはわけがあった。学生時代から細々と続いていた、小説を書いて同人誌にして即売会で売ることをずっと続けたいと思っていたからだ。学生時代に知り合った、それなりに雰囲気が近いであろうひとたちと合同誌を出しながら、自分の短編集を作る、ということを繰り返してもう少しで十年になる頃、ある事件をきっかけにぼくは小説が文字通り書けなくなった。書けなくなってからは編集にまわってなんとかサークルに残っていた。メンバーは徐々に減ってはいたが、ふたりの書き手が残っていることによってぎりぎりではあるもののサークル活動自体はできていた。

 その残りのふたりが彼らで、いつのまにかつきあっていて、今度結婚することを機に同人活動をやめることになったという。連絡は突然だった。次のイベントをどうするのか考えていた頃だったので、ぼくはうろたえた。自分が想像していた以上に衝撃だった。結局サークルに残ったのはぼくだけになった。けれど、ぼくは今小説を書けていない。つまりそれは、活動の停止を余儀なくされてしまったということでもある。だからぼくはぼくで事実をうまく受け止められないでいた。けれどとにかく彼らにおめでとうといいたいから、せめてというような塩梅でそんな会を開いたわけだ。

「石廊崎さんの次回作、ずっと待ってるから」

「石廊崎さんはぼくらの中で一番文章を書いていたし、一番人気があったんだよ」

 ぼくに気を遣ってそんなことを言われても困る。わかっている。ぼくは小説を書くことはできても、同人、つまりアマチュア文芸の世界で目立つようなものを書くことはどうしてもできなかった。ジャンルをまたいだり試行錯誤を繰り返したりしていくうちに、三十という年齢が近づいてきたと思ったらがくっと同年代の仲間が消えてしまった。ふしぎなことにそれから手にとってもらえる数がぱったりと減った。思えばその時からどこかで気がついていたのだろう。かれらはいなくなった仲間の文章を読んでいただけで、ぼくの、ぼく自身の小説なんか読みもしないどころか、そんなものがあるということすら知らないということを。けれどそれでもぼくはかろうじて小説を書き続けていた、はずだった。ある事件がもとで、小説と呼べるような文章を書けなくなってしまった。どうやって小説を書いていたのかも、もうわからなくなっていた。

「信じてくれてないかもしれないけど、ほんとうなんだ」

「ぼくが信じてないってよくわかるね」

「君はなにも信じていないじゃん」

 そうだ、ぼくは彼らのペンネームすらおぼえていなかった。なにも信じられないというのは、ほんとうのことかもしれない。だから潮間というまちを静かだとしか思わないのかもしれない。

「潮間でも、うまくやれそうだね」

「新しい小説待ってますから」

 そうして彼らと別れた。もう二度と会うことはないのだろうと確信した。ぼくは彼らに生かされていた理由をもしかしたら勘違いしていたのかもしれないと思ったけれど、もう遅い。三十を過ぎた時点で小説には生きられないことは確定していたのだから、もっと他の生き方を考えるべきだったのだ。けれども他の生き方というのは、はたしてどんな生き方なのだろうか。そう考えてしまう時点で、やっぱりもう遅いのかもしれない。ぼくの脳裏には、蛍のようにぼんやりと光る浜辺と、その背後からにらみつけるように建つ巨大なコンクリートのろくろが焼きついていた。小さな真珠もどきが無数に転がっている浜辺は、少なくとも彼らと真理にだけは見つかって欲しくなかった。なんとなく、これは潮間の、いや、ほんとうのことを言えばぼく自身の最後の聖域のように思えた。他のだれにわからなくてもいい、あの浜辺はそういう場所だった。そんな気だけがしていた。

 シオマソニックに期待をしているのはそういったところかもしれなかった。ぼくは、同人誌即売会の、あのぎらぎらした荒削りの制作物が並ぶ空間が好きだった。それこそ、ぼくの考える、圧倒的な熱量だけが場を支配している混沌としたにぎわいだった。きっとそれは音楽にもおなじことがいえるのではないかと思う。だから潮間で、アマチュア文芸の世界にいた書き手たちと共鳴できるようなとがった雰囲気で熱気あふれる若々しいバンドをたくさん呼ぶことができれば幸せだろうと思った。葦山氏はシオマソニックを実行させたいときちんと言ってくれたし、ぼくも全力で協力したかった。

 けれど、現実はその最初の一歩で頓挫しかけていた。電力の使用許可を通すのが難しいと同僚が言ってきたのだ。そんなはずはない。こちらの申請はせいぜいサクマソニックの数十分の一の規模だ。わかっている。これは単なる嫌がらせでしかない。結局、ぼくは潮間に島流しにされただけでなく、こうして同僚から日常的に嫌がらせを受けてもいる。普段は気にもとめなかったが、それだけに今ここでそれが効いてきた。面倒だが、しかしまともに戦ったところでどうにかなるものでもないような気がした。

「それは困ったな」

 葦山氏に報告すると、返事はすぐにかえってきた。

「とにかく、私も動いてみるよ」

 とメッセージが来る。こうなったら早いだろう。そういうひとだということはもうわかっていた。

 数日後、同僚は許可が降りたとか細い声で言ってきた。末端の職員は無力だ。ざまあみろというよりはどちらかというと彼に申し訳ないという気持ちのほうが強かった。

 場所はあの浜辺から二キロほど離れた、市役所の方角にある真珠養殖記念公園の特設会場ということになった。八月の真ん中、お盆の時期に行うというところまで、すぐに話が進んだ。とんとん拍子とはまさにこのことだろうというほどあっという間だった。四月に赴任して、五月のある日に始まったそれは、六月にさしかかる頃には特設会場の図面が出来上がり着工の日取りや電気設備の調達などの一部の作業を残すのみとなった。

 その一部の作業のうちのひとつで最も重要なものが残っていると告げられたのは、六月も後半で、季節通りの雨とともに蒸し暑い熱気が現れ始めた頃のことだった。

「どうも、出てくれるアーティストが集まっておらんようなんじゃ」

 氏のいきつけのスナックであるところの「うしお」は、会場の公園と市役所のだいたい中間くらいで、最寄りの潮間市役所前駅からもそれなりに距離がある、きわめて微妙な場所に位置していた。だからだろうか、周りを見渡しても特にひとの出入りが頻繁なようには見えなかった。薄暗いライトと猥雑な店内が物語るとおり、文字通り「場末のスナック」で、聞いたことのない銘柄のウィスキーしかなかったけれど、主任と同じかそれ以上であろうくらいの妙齢の女のひとたちに混じってひとりだけ少女のような見た目の小柄なひとが機敏に動き回っていたのがふしぎだった。彼女はまるで舞台の隅でてきぱきと仕事をこなす黒子のようだった。目立たないように気を配っているし、ここにいるひとたちの中でぼくを除けば唯一といっていい、真っ黒でつやつやと光る髪の毛が逆に目立った。

「私は音楽業界とはどうもソリがあわないようでな、なかなかツテが少ないのだ」

 葦山氏は大げさに困ったような顔をしている。おそらくそんなには困っていないのではないか、とぼくは邪推したけれど、だからといってはなしを聞かないわけにはいかなかった。

「あとどれくらい必要ですか?」

 ほとんど水割りになってしまったハイボールといっしょにいろいろな言葉をのみこんで、ただそれだけを吐いた。

「いくつか、といったところだ。特に、最後に演奏をまかせられるような決め手となるアーティストがおらん。潮間出身の人間はどうも音楽業界にはあまりおらんようでな。潮間にゆかりがあるか、もしくは若くても力がある、それでいてまだあまり売れていないようなひとたちがいればよいが」

「はい……」

「そうも都合よくは見つからんもんじゃの」

「そうですね……」

 ぼくらは同時にため息をついた。どちらも音楽に関してはほとんど、ずぶの素人といってよかったし、だからこそ音楽が好きだったので、つまるところ葦山氏(もしくは、ぼく自身)のわがままに応えられるようなアーティストを見つけられるわけがなかった。若ければ当然実力はそれなりのはずであるし、仮に力があるのであればぼくらよりも先に世間が見つけているはずだ。もちろん、ぼくが十年以上見てきたアマチュア文芸の世界から類推すれば必ずしもそうとはいえないはずだけれども、一般的にはそのはずだし、まして探し方がわからないのだからどうしようもない。

 どうすればよいのだろうか。

 ふと視線を脇にやると、傍らにたたずんでいた黒い少女と目があった。彼女はさっと目をそらし、何事もなかったかのようにふたつとなりのテーブルを拭き始めた。

「そういえば、発電所の若手や役所の若手にはそういう人間がいないのかのう」

 葦山氏が急に何かを思いついたような顔をしたが、実のところぼくもそれを考えついていて、けれど少なくとも記憶には残っていなかった。それもそのはず、執務室にいる職員とまともに会話をしたことなんかほとんどないし、だいいち、職場にわかりやすく楽器を持って行くようなひとがそうそういるわけがない。

 けれど、やるしかない。なぜだかそう思った。千歳まで行けばライブハウスはたくさんある。そういう区画をぼくはよく知っていた。もちろん、知っているだけで入ったことはなかったけれど。だから、そこに行っていろんなバンドのライブを見ていけば、もしかすると面白いものが見つかるかもしれない、と短絡的に考えた。

「石本くんも、何か見つけたらすぐに連絡してくれ」

 ぼくは結局なにもいうことはできずただわかりましたと返した。外に出て、梅雨が近づいてきた時のむわりとした湿気で、静かに夏が迫ってきていることを感じて身震いした。

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